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日記・物語・エッセイ・感想その他

ツァラトゥストラ⑫ 本文引用(1)

2010-11-30 06:07:46 | エッセイ
 私がもっとも愛する『ツァラトゥストラ』第四部「正午」の一部分をそのまま移し味わって一応本稿を終えたい。

「眠りに落ちながら、ツァラトゥストラは、自分の心に向かってこう言った。
 『静かに! 静かに! 世界は今まさに完全になったのではないか? それにしても私の身の上に何が起こるのだろうか? そよ風が、鏡のように凪いだ海の上で、目には見えず、鳥の羽毛のような軽やかさで踊る、――そのように眠りが私の上で踊る。
 この眠りは私の目を塞がない。それは私の魂を目覚めさせておく。それは軽やかだ。まことに! 鳥の羽毛のような軽やかさだ。
 この眠りは、それとなく、私を説き伏せる。それは内側から、媚びる手で私をやわらかく打つ。そして私を言いなりにする。そうだ。それは私の魂が長々と身を伸ばすようにいやおうなくさせる。――
 ――私の奇妙な魂よ! 何とそれは身を伸ばし、ぐったりとしていることだろう! 第七日の夕べが、ほかならぬこの正午に、私を訪れてきたか? 私の魂は、すでにあまりにも長いこと、見事に熟れた事物の間を恍惚として歩き回ったのか?
 私の魂は、長々と身を伸ばす。長々と、――さらに長々と! それは静かに横たわっている、私の奇妙な魂は。それはすでにあまりにも多くの良いものを味わってきた。その黄金の悲哀が私の魂を圧迫する。切ないまでに。
 ――それはこの上なく静かな入り江に入ってきた船のようだ。――船はいま陸地に身を寄せている。長い旅路と不安な海に疲れて――。陸はずっと頼りになるのではないか?
 そのような船が陸に身を寄せ、もたれかかっているときには―― 一匹の蜘蛛が陸から船へ糸を張り渡すだけで十分なのだ。それ以上に堅固なとも綱を、この船は必要としない。
 静かな入江のそうした疲れた船のように、――そのように、私も、いま大地にひれ伏している。大地に忠実に、信頼を寄せ、時を待ちながら、ほんのかすかな糸でつなぎとめられている。

ツァラトゥストラ⑪

2010-11-29 07:15:47 | エッセイ
 永劫回帰とは、「そうあった」が深みであり「そう欲した」が高みであるところの弁証法である、その場から、おのずから「人間は克服されるべきあるものである」と励ます、も一つの箴言が浮かび上がってくる。
 人間的な「よろこび」は、残念ながら持続は許されない。「そうあった」と「そう欲した」との微妙な瞬間的な均衡、いや「そうあった」が逆に「そう欲した」を覆い潰す一瞬がある。「すべて過ぎ行かざるもの、――それこそ比喩に過ぎない! 詩人たちは嘘をつきすぎる」(同文庫上巻・143頁)という一瞬が。
 神々の永遠の至福と違う。ふたたび下山しなければならない。ニーチェの語彙である「没落」はこの事態を指している。厳密に言えば、高みへのための、あるいは、悦びのための没落である。
 沈黙を裏切り「書く」ということは、文字という記号を使う限り、いかなる意味においても、「没落」であることを忘れてはならない。本書の驚嘆すべきところは、ツァラトゥストラをして至福にとどまることなく没落への勇気と嫌悪を第三部の「幻影と謎」「快癒に向かう者」の章で見事に描いていることだ。

ツァラトゥストラ⑩

2010-11-28 08:33:43 | エッセイ
最初に挙げた箴言をもう一度熟読してみよう。
「よろこび」の高みと「悲しみ」の深み。その関係は――私たちは至福に生きる神々ではないのだから――人が生きる上で「悲しみ」のどん底から這い上がりであり、「高み」への登攀である。その「高み」の「よろこび」は深みである「悲しみ」に依存している。くだけて言えば、苦労したからこそ喜びが高まるということ。高みは、悲しみをそのパースペクティブのうちに包むことができる。逆に、悲しみにはそのパースペクティブが与えられていない。端的に言えば、深い喜びには悲しみが含まれているが、悲しみは喜びを知らないといえよう。

ツァラトゥストラ⑨

2010-11-27 14:29:44 | エッセイ
 ニーチェの箴言を自分に都合のいいように、細切れにして処世術的な座右として利用するのではなく、本書全体を大河の流れのような、人生の慰めとして捉えたい。それが、私の解釈する永劫回帰の意味の枠組みである。
『ツァラトゥストラ』の永劫回帰は、若い読者の鋭い直観が瞬間的に捉えることがあるとしても、一般的には、青春の時代に理解できる類の思想ではなく、人生の「正午」を過ぎたもののための大いなる肯定である。
 求めて直ちに得られるものではなく、努力の結果、正当な報酬として眠りのように、自然に至福として、上方からそれは訪れる。
 なぜならば、おのれが何を欲しているのかは、凡庸な人間にとって人生の「正午」を過ぎなければ、明確な輪郭を結ばないから。
 その救済のあり方は、妥協でもなく、衰弱でもなく、撤退でもない、追認でもない、まして強弁や居直りでもない、その思想のパースペクティブに依存している。

ツァラトゥストラ⑧

2010-11-26 08:19:03 | エッセイ
『そうであった』と『私はそのように欲した』の間には、歴史的な、時間的な経過というパースペクティブ(構造的な見通しの視界)、あるいは、同じことだが、思考方向のダイナミックな転換が必要とされる。速度と重力の本質が同じであるという意味で。
 そして、前者の存在を前提にした後者である事は自明であり、その逆は、意識の上では成立しない。しかし、創造者にとって欲する前に有ることは明らかに矛盾である。この両者の反復こそが、永劫回帰の核をなすものではないか。
 ニーチェの箴言は、ひとつの慰めとして降りくだるようにやってくる。大いなる肯定として。『そうであった』の上に『そのように欲した』が蔽うようにやってくる。驚くべき事に、さらに、その上に『そうであった』が降りてくる。それが永遠に反復として。
 唐突であるが、ここで梶井基次郎の『Kの昇天』における月光と影との関係やポオの『渦』における漂流物と渦との弁証法、あるいはプルーストにおける記憶の遡行の文学空間と同質の構造をなすものと同定される。
バシュラール的な表現を真似れば、ニーチェの『ツァラトゥストラ』は《ディオニゾス》の詩学であり、梶井のそれは《アポロン》のそれである。ついでに言えば、ポオは冥界《ハデス》の詩学であろう。

ツァラトゥストラ⑦ 永劫回帰

2010-11-25 06:36:14 | エッセイ
「永劫回帰」とはなにか?
 ニーチェの著作をいくら読んでも一向に見えてこない。そのために書かれたとされる『ツァラトゥストラ』においてさえも詩的な比喩以上のものではない。そのテキストをいかに理解するかは読者それぞれに負かされているのではないか。
 そうした観点から、読んでみたい。

「過ぎ去った人間たちを救済し、すべての『そうであった』を『私はそのように欲した』につくりかえること――これこそ私が救済と呼びたいものだ」(同文庫上巻・242頁)
「『そうあった』は、すべて断片であり、謎であり、残酷な偶然である、――創造する意志がそれに向かって、『しかし、私がそうあることを意志した!』と、言うまでは」(同文庫上巻・245頁)

 生の闘いはいくら果敢に闘ったとしても、それは瞬間にしか過ぎず、ほどなく虚空へと結果は消え去っていく。共同体への信頼を失った現代、記憶は急速に失われていく。すべての『そうあった』は失われていく記憶の悲鳴のようなものだ。そこで自己完結的な『私がそのように欲した』という大いなる矜持が――おのれの闘いを、その結果ではなく、それをよしとする肯定が訪れ、戦士の悟りといったものが要請される。

ツァラトゥストラ⑥

2010-11-24 06:28:10 | エッセイ
芸術家の作業と違うのは、自発性の内奥から――あたかも鳥がせっせと巣を作り上げるように、外形に囚われることなく――造形するという、もっとも自覚的な困難な闘いだということであろう。
充実という宿命だけを頼りに、彫刻家が彫像を作ったり、あるいは、詩人が言葉で詩作品を作るようには、決して外形的にいかなるものも作り出さない、いかなる切り離しも不可能であるにもかかわらず、しかも、内面の他者性を不断に生きねばならない点で、いわゆる芸術家と異なっている。
 勇気をもって闘わない人間は、人間にいまだ達せず、人間の名に値しない。
「超人」とは理想としての古代ギリシアの神々であり、ツァラトゥストラその人である。人間はそれに至るための「橋」なのだ。そのように、ニーチェはツァラトゥストラを介して言っている。

ツァラトゥストラ⑤

2010-11-23 08:21:34 | エッセイ
古代ギリシア人のような神々への憧れと讃美ではなく、虚空と虚無の困難を向こうに回して、その目標や目的――ニーチェの思想からは適当な概念ではないが――をおのれの前方へ定立させることを含めて、それを現存させる勇気と行動の総体が自立した人間を造る。大理石のかけらから彫像を作り出す芸術家の創作作業と似ている。ニーチェはツァラトゥストラに次のように言わせている。

「ああ、あなたがた人間たちよ、石のなかに一つの像が眠っている」(同文庫上巻・第二部144頁)

ツァラトゥストラ④

2010-11-22 06:54:54 | エッセイ
ニーチェは神々の世界への信仰を現代に復活させることを試みたのではない。すでにソクラテスやペリクレスの古典ギリシア期では、古代ギリシア世界を可能にした信仰と歴史の奇跡的なダイナミズムが失われており、ニーチェはその文化の凋落を見抜いていた。一方、ニーチェの時代のドイツでは、市民社会の成立によって、俗物根性の知識階級と目先の利益に右往左往する大衆が幅を利かせていた。
 そこから、彼の「超人」と「永劫回帰」の思想が生まれたといえよう。

「人間は克服されなければならない或る物である」(同文庫上巻・第一部78頁)というニーチェの箴言は、友人へのメッセージである前に、すでに彼自身の思想的な克服の記念碑である。
 考えてみれば、不思議な言葉である。なにを克服するのか明示されていないから。おそらく、その前に立ちふさがる困難であろう。人間を現状に満足させ、あきらめさせる「重力の魔」の克服であろう。
 しかし、それだけであったら、ニーチェを待つまでもなく、人間の精神文化において勇気は一度も信用を失ったことはない。その勇気によって自立した人間を自ら作り上げていくという、その誇りと努力の道筋が「人間」であるとニーチェは言っている。

ツァラトゥストラ③

2010-11-21 12:52:21 | エッセイ
それがなぜ、高度な美術作品や建築や学問を生み出すことが出来たのか。古代ギリシア人は、自分たちの生きている人間世界を神々の世界と比べるならば、ちっぽけで夢のように実体のない世界であると考え、神々を敬い讃美し、自らの節度を守ることによって、神々の至福――神々の実存――をいくぶんでも相伴にあずかれると思ったのである。
 そうした世界観に裏付けられて、彼らが創り出した美術作品は、現実以上に写実的で現実的なのだ。信仰と超越者を失った現代人の現実的なるものが非常に貧しいものであるのを直感的に感じる多くの美術家が、ギリシア世界に憧れを持つのは当然といわなければならない。芸術家の世界において、いわゆる現実が現実ではなく、おのれの作品造形の世界だけが現実としての充実感を持つといえるだろう。