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悲劇「ヒュポリュトス」を読む

2013-07-07 13:09:44 | エッセイ
 月と狩猟の処女神アルテミスについて調べていて、エウリピデスの悲劇「ヒュポリュトス」(前四二八)に行きついた。この悲劇のあらすじをごく簡単に記しておこう。
 ヒュポリュトスは、アテナイの王テセウスの先妻の息子である。後妻のパイドラが王の留守中に、彼女の乳母の仲立ちで、ヒュポリュトスに恋を仕掛ける。ところが、彼は、悪しざまにパイドラをののしり邪恋を退ける。絶望したパイドラは自殺する。帰国したテセウス王は妻の遺体を前にして、ヒュポリュトスに問いただすが、羞恥の神に仕える彼は口を閉ざして語らない。自殺したパイドラは復讐心に駆られて、ヒュポリュトスに誘惑された旨したためた手紙を残していた。激怒するテセウス王。息子はアテナイを追放されるが、船出の港で怪物――海神ポセイドンがテセウス王と以前交わした誓約による化身――に襲われて体をずたずたに引き裂かれ、瀕死の状態でテセウスの許に届けられる。そこで女神アルテミスが登場、ヒュポリュトスの潔白とパイドラの邪恋を告げる。テセウス王の絶望とヒュポリュトスの死で、この悲劇は終わる。神話的な裏付けは、アルテミスを崇拝するあまりヒュポリュトスが美神アプロディテを顧みないのを美神が立腹して、パイドラをそそのかしたのである。常識的にも、アポロンの双子の処女神アルテミスとエロスを従えた美神アプロディテは仇敵の間柄であるのはもっともと言えよう。淫蕩者にとって凌辱が最大の快楽なのだから。片方は心の清浄を、一方は感覚的な欲望を司る。両者がともに残酷な女神であることも興味深い。古代ギリシアの神々は、みな残酷な面を備えていると言えば言える。アルテミスの祭壇には、あらゆる種類の鳥獣の生け贄が奉げられ、祭りは、凄惨気極まりないものであったと言う。この処女神は取巻きのニンフの一人カリストがゼウスと関係を持った時、熊に変えた。女神の水浴姿を覗き見たアクタイオンは鹿に変えられた。一方のアプロディテと言えば、言わずもがな、トロイア戦争の第一原因を作ったように、残虐な戦いを厭わないことは周知のとおりである。
 エウリピデスの意図はどこにあるのだろうか。激しい情念には、手の施しようがないかのように、アルテミスは、アプロディテの暴虐の前で、まるで無力ではないか。あたかも、アルテミスはアプロディテをはばかり弁解するかのように言っている。
 「神の世界の掟として、ひとりの神が望んでなすことには、いかなる神もこれを妨げることを欲せず、常に傍らに避けておるものである。われもゼウスに憚ることがなくば、いかなる人間よりもわが愛おしむ彼が殺されるのをみすみす見逃すというごとき不面目に、どうして甘んじておろう」(ちくま文庫『ギリシア悲劇Ⅲ』二六八頁)
 もちろん、おのれの無力の弁解ではない。ゼウスのこの掟は、性急な観念操作である二者択一的思考を認めない。本質的に深遠なエクリチュールの思想なのだ。私たち現代人には、アプロディテの優位を強く印象付けるが、古代アテナイ人には、ヒュポリュトスのアルテミスへの敬神と内面の真実に深く感動したのだ。最後に彼が息を引き取る場面を引用(抜粋)する。
 アルテミス「己れの怒りをほしいままにお前の身にはらしたキュプリス(アプロディテのこと)の最も愛しむ人間を、射ち誤つことなきこの弓で射止めて、怨みをはらしてやりましょう。そして不運なお前には、こんどの不幸の償いとして、こよなき栄誉をこのトロイゼン(アテナイ近郊にある)の町で与えましょう。それは嫁がぬさきの乙女たちが、お前のために髪を切って供えるのです。そして深い悲しみの涙とともに、いついつまでも、お前の不運な死を悼んでくれるでありましょう」「ではさらばじゃ。わが眼は死者の姿に触れることは許されず、また死の息吹に当たってもならぬ。見受けるところ、お前の最期の時も間近のように思われるゆえ」
 ヒッポリュトス「ああ、憂いなき女神よ、あなたもどうかご機嫌よく。永い間のご縁でございましたが、お心残りなくお立ち下さい」(同書・二七二頁)
 古代ギリシア人は、永遠に祝福された神々の、人の目に見えない世界が存在していて、それを信じるおのれを嘉した。したがって、死後、語り継がれ、讃えられることがなによりも名誉だったに違いない。よく読むと、アプロディテの最も愛しむ人間とは、自殺したパイドラであり、アルテミスの矢で射殺されたのかもしれないのだ。その復讐としてアプロディテは彼女に手紙と言う《死の証文》を書かせた。一方、アルテミスは、彼の死を古代ギリシア人にとって最も名誉ある供犠と伝説として語られる栄誉を授けたのだ。《死の証文》が文字通り実のない形骸としての〈死のエクリチュール〉であるとすれば、乙女たちに悼まれ、永遠の伝説と化されるのは〈生のエクリチュール〉である。ヒュポリュトスが神官であり、狩猟の処女神に奉げられる獣たちの生け贄によって、アルテミスは顕現するのだと私は思っている。この女神は、女としての受胎能力を持つことなく、〈エクリチュールの神〉として、神格化さたのではないか。こうして、悲劇作家であるエウリピデスの隠れた意図が露わになる。