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含羞について

2012-12-31 08:41:08 | エッセイ
 割れ鐘のような大音声、鳴海英吉の朗読は、迫力があった。朗読には、いささか自信があったらしく、頼まれてもなかなか「うん」と引き受けなかった。素人芸ではないのだと言わぬばかりに。なにしろ、初めて彼の朗読を聞いた人は度肝を抜かれたのではないか。
小柄だががっしりとした体躯で、握手の手は労働者の手で、握りつぶされるのではないかと思うほど強かった。柏のような手で背中を「なあ、高橋」などと言ってバシッとやられたら肋骨まで響いた。なにしろ、酒席では酒癖が悪くて、些細なことで腹を立て、女性詩人の頭にビールをぶっかけたのを見たことがあった。近寄りがたかった。
 そんな彼とは別人のような鳴海さんを今では思い浮かべることができる。しんみりと明治の廃仏毀釈や日蓮宗不受不施派を語るとき、あるいは、下世話な話になるが、文部省がかかわる詩祭で受賞したので四国まで行かなければならず、旅費も出ない、左翼のおれが、さあ、どうするか、そんな話をするとき見せる、はにかんだような、照れたような戸惑った様子。どこか淋しげな笑顔。
私はなんとなく納得したことがある。大音声の朗読や粗暴でさえある酒癖、得意とするレアリズム詩、どれもその根底には、みんな彼一流のはにかみがあって、照れ隠しではなかったか。
 次に、鳴海英吉(一九二三~二〇〇〇)晩年の詩集『銃の来歴』のうちから「鬼軍曹」の一部を掲げよう。
この詩は物語性に富んでいて面白い詩だが、このレアリズム詩の底に、古参兵今田軍曹を前にしての、鳴海のはにかみや照れを読み取ってほしいと思う。また、ライバルの今田軍曹にも、鳴海の心に通じる、同じような含羞(がんしゅう)があって、だからこそ彼は鳴海に好意を抱いたのだ。鳴海が三発外したのは、おのれの保身のためばかりではない。おそらく、今田の粗暴な行為も鳴海と同じような性格、テレ隠しが秘められていたに違いない。そもそも、鳴海英吉に「含羞」がなければ、詩人にならなかったのではないか。
 レアリズム詩の多くは、活字表現に至るまでの心理的なプロセスを読み取らなかったら、プロパガンダに過ぎないと私は思っている。
「今田軍曹は 他隊だが 大隊一番の名射手 または 鬼軍曹と呼ばれている 酒乱で 若い兵隊を 殴る・蹴る 兵舎を抜ける 顔が赤黒い四角だから 連想が 鬼になったらしい 五年兵だから 神棚に祭り上げるより仕方ない 「おい おれと射撃くらべをしよう」 おれが軽機射手であると言うと軽機を分解させ 点検しながら言うから 説明した「分かってら おまえは理屈で撃ってんのか? じゃあ あの橋げた 五発三連!」軍曹の射撃は見事だ 的確で点射もいい さすがだなと思ったが おれだって あれくらいはいけると 思ったが 指をひねって三発はずした 凄いなあと思ったのは おれの肩を叩いて おれの顔を立てて 三発はずしたな 見事なもんだ!
他隊だから 会う事はないが 連絡で本部で会った よう元気か 一杯おごる 下士官室に呼ばれた 呑みはじめたら おまえアカだってな  おれは百姓の五男坊で 口べらしって知っているか? 餓鬼の頃から 地主の下男暮らし 現役で軍隊に入ってびっくり 飯はたらふく食えるし 下士官志願して班長になって偉くなった おれの言う事は なんでも通る 軍隊っていい所だと思うが違うかな? おれ 最近 おれの考えは 違うのかなと 思うようになった 八路(パアロ)が 強くなったじゃぁ どうして八路が 強くなったか分からねえんだ おまえはアカだから知っているだろう 毛沢東って 天皇陛下と 同じかい?」
 この散文詩は、鬼軍曹が不名誉なことに、兵営の近くで崖から落ちてあっけなく名誉の戦死を遂げたことを描き、最後はつぎの文章で終えている。
「ほっとしたよ あんなうるせい奴 死ねばいいと 思っていた 今田軍曹は死んだ おれになんの関係がある 今は 薄くなる霧の底で これから攻撃する村落が 黒くうずくまっている 攻撃の合図を待つ おれも鬼になれる 軽機の装填架に実弾を込めた」。