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日記・物語・エッセイ・感想その他

ベルクソン66 【老子を読む】

2010-01-31 07:21:36 | エッセイ
 発祥に「遡る」思想であるベルクソン哲学は、行動に出発し生命にたどり着く。『創造的進化』は、その生命から系統樹という手の形を通じて、行動であるエクリチュールに至る。執筆の手は、始原の生命であるエラン・ヴィタールとの間で収斂と拡散を繰り返す。
 つまり、系統樹は逆さ円錐を逆立ちさせ、円錐に戻して完成された。砂時計は何度でもひっくり返される。
 だが、この装置は、砂時計とは違う。既述のとおり、始原も到達位置も底抜けである。ベルクソン哲学の根源にあるのは、始原も到達位置も不分明なもの、イマージュであり、カオスである。
 「道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。天地の始めには名なし、万物の母には名あり。故に常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の徼(きょう)を観る。此の両者は同じに出でて名を異にす。同じきところ之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門」(『老子』第一章・「徼」は境の意味)
 ベルクソンは、その始原のイマージュを自然な出産の前に、イマージュから観念を、社会的に役立てるために、早産させる。もっとも、ベルクソン個人の責に帰すべきでなく、ギリシア哲学以来の西欧哲学の伝統である。
 西欧哲学において異質なベルクソン的イマージュは、内側の思想であり、社会はその外側である。ルソー的に言えば、内側は自然状態、外側は社会状態ということになる。
 老子は、内側の思想の成熟を待つ自然分娩の思想である。外側から言えば、甘えの思想であろう。外側を内側から決壊させる批評としての甘えであり、外側に先んじて内側はなく、外側の矛盾から生成される。老子は孔子に先立って生まれたのではない。ベルクソン哲学も概念哲学への批判哲学であると私は解している。
 逆さ円錐は、円錐の批評に他ならず、その構造には潜在的に円錐が含まれている。ちなみにマルクス経済学の「使用価値」は「交換価値」への批評概念である。《起源に遡ること》は常に批評といえよう。現象学を省みれば、その詳細はいっそう明らかになる。
 「戸を出でずして天下を知り、牖(ゆう)を窺わずして天道を知る。其の出づること弥々(いよいよ)遠ければ、弥々少し。是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名づけ、為さずして成す」(『老子』四十七章・「牖」は窓の外ほどの意味)

ベルクソン65

2010-01-30 05:42:40 | エッセイ
 「生命には物質の下る坂を遡ろうとする努力がある。分析はそうした努力をたよりに、物質性とは逆の過程が自分を中断するだけで物質を創造するものとしてありうること、なければならぬことを垣間見せてくれる」(岩波文庫『創造的進化』291頁)
 「単純に経験の糸を追うような精神があるとすれば、それにとっては空虚はなく、無もなく、相対的ないし部分的にすらなく、可能的な否定も無い。そのような精神は出来事が出来事に、状態が状態に、ものがものに続くのを見ることであろう。それは絶えざる注意をもっぱら存在するものに、現れてくる状態に、起きる出来事に向ける。現実の中にそれは生きる。かりに判断力があるとしてそれはひたすら現在の存在を肯定するばかりであろう」(岩波文庫『創造的進化』345頁)

 法華経とベルクソン哲学の両者は、《エクリチュールの思想》の一側面において類縁を持つ。
 逆さ円錐の先端は、ベルクソンによれば、(外界に接する)体であり純粋知覚であり、脳であり、意識であり、純粋持続であり、感覚-運動機能であり、私は言わせればエクリチュールのペンと解する。
 突き詰めれば、エドガー・ポオが喝破したように、拡散と収斂の《神の心臓》であり、生命ということだ。逆さ円錐の底辺は抜けており青天井である。ペン先は、書きつつ読む行為によって生命を持続させるのだ。それが『創造的進化』においてベルクソンが展開する生命論に行き着く。彼によれば、系統樹のゼリー状の根元において、エラン・ヴィタール(生命の衝動)が爆発してその弾みが、四方へと飛び散り、生命の系統樹が出来上がったとする。人類はある種の先端に位置しており、ほぼ完成された意識的な形態である。
 キリスト教神学の影響下にティヤール・シャルダンは、系統樹の人間存在を神の意図を実現させる最高形態としている。それに対して、「認識論」から出発したベルクソンは、系統樹を一体のものとして俯瞰しており、必ずしも個別性を認めていない。〈書く行為〉であるエクリチュールから出発したベルクソン哲学の当然の帰結であろう。ただし、ベルクソンの「生命論」である系統樹が、一種の説明体系であることは否めない。それはエクリチュールの〈読む行為〉であって、〈書く行為〉ではない。本来的なエクリチュールが〈書きつつ読む〉という創造的な行為であるのに対して、説明体系である〈読む行為〉に偏っているといわざるを得ない。意識と生命はその直接性において隔たっている。
 先の引用のとおり、「認識論」と「生命論」の一致は望ましいが、法華経がその「認識論」である方便品と「生命論」とされる如来寿量品が矛盾しているように、同じような意味で、矛盾している。〈読む行為〉の機械的な継続によっては、決して〈書く行為〉という創造的な行為、つまり真のエクリチュールに行き着くはずがない。
 その矛盾を法華経は熱烈な信仰という精神性と行動の物質性において強引に整合させるのである。
 一方、ベルクソンは、説明体系である『創造的進化』では足りずに、最後の主著『道徳と宗教の二源泉』へと向かい、キリスト教的神秘主義宗教家への展望に至る。
 ベルクソンも法華経も、最終的には、機械的な〈読む行為〉を止揚して、生命を生きる宗教家の行動に真のエクリチュールの物質性を見出していく。書物には物理的かつ継続的な行動を感動や同感と同一視する観点が詐術的に含まれているともいえよう。
 もはや、ベルクソン思想も法華経も、ペンを執って書くという《エクリチュールの思想》の圏外である。

ベルクソン64

2010-01-29 05:56:29 | エッセイ
 謀反の弟子たちの退席に、仏陀は清々したというように、人間の滓が出て行ったので、いよいよ自分の説教するときが到来したと宣言する。悪く言えば、集団洗脳するための条件は整ったというわけだ。私が乱暴に茶化して書いているわけではない。正しい教えを語ろうとしても信じない輩が必ずいるものだという教訓になる。法華経の記述は、実際、悪趣味と言っていいほど品がなく、金満主義で美意識を欠いている。表現も洗練されておらず、この経典を作り出した階級のお里が知れると言えよう。法華経の数々の例話を読めば、専門家でなくても、この経典を作り上げ、それを自ら祀り上げた階層のおおよそ推測が出来る。金貸しや商人などの中間富裕層であろう。
 実はここまでは話半分なのである。
 このような途方もない話を書物として読んでいる自分を想像しなければならない。書物におけるイマージュとして、あたかも現実に起こったように感じることが出来るかどうかが試されている。仏陀は「自分の面前において、自分を信じないなど話にならない」と断言して読み手に迫っている。悪趣味の記述にもかかわらず、そこに仏陀の真意を認めて、救済を求める真摯で熱烈な志が、読み手に求められ、仏陀の篩(ふるい)にかけられている。法華経は読み手の真の志が試される試練の書であり、仏陀からは選別の書である。
 法華経には、教説らしい教えがない。法華経の中に、法華経が出てきて、それもその内容ではなく題目つまり書物の題名ばかりが賞賛される。まさに金太郎飴であり、箱の中に箱があるカラクリ箱である。それを崇めよと言い、過去から語り伝えられ、現在においても各地で語られ、未来においても語り伝えねばならないという。たとえ、法華経の一句でも聴けば、成仏するというのだから徹底している。最終的には、それを信じるかどうかは、もはや、問題にならない。題目朗誦を実践すれば、物理的に伝えられるのだから、それで良いのである。次から次へと永遠に物理的に伝播されれば良い。
 後の日蓮によって、題目を唱えることが、法華経を読む行為と同質とされ、法華経の内容が題目に象徴化されたばかりでなく、世俗化されたと言えよう。
 私の要約は論理が混乱しているであろうか。最初は、書物を熱烈に読むことが推奨され、今度は、精神性など「糞食らえ」で、法華経の物質的な伝達流布が目的となっている。
 法華経の精神性は、前半の中心の「方便品」の思想変革のドラマであり、後半の実践という物質性の称揚は「如来寿量品」を中心とする教えである。
 なりふり構わず、手段を選ばず、法華経を後世に伝えれば良いのである、あたかもそれが生命であるかのように、商品でもあるかのように。
 法華経は内側の思想と外側の思想が絶妙なバランスを得ることによって完成された。
 論争にはそれぞれを使い分けるから、論敵はなかなか論破できないように出来ている、ある種、論争のための戦略的経典と言えるかも知れない。私は、法華経は無神論ではないかと疑っている。一応、前世も後世も出てくるが、それこそ方便であって、実質は法華経を読んでいるという瞬間――その読む行為も題目さえ唱えればいいと簡略されている――があるばかりなのだ。つまり、読む行為の物質性、結局はその伝達伝播という社会的役割に信仰がすりかえられているのではないか。一面的であるが、書き物としての《エクリチュールの物質性》の終局の形であろう。法華経の生命思想という場合の生命とは、エクリチュールの物質性の継承を意味している。個々の自由と創造の余地は残されていない。あたかも、教条的な形のマルクス主義のように。

ベルクソン63 【書物崇拝】

2010-01-28 05:10:31 | エッセイ
 長大な法華経は、教説を読むためというよりも、書物であることを過剰なまでに意識した経典である。下世話な言い方になるが、書物のカラクリを知り尽くした経典ということだ。歴史上の仏陀が説法した頃(紀元前約四百年)に、それを書物に記すという技術的手段や習慣があったかどうか、大いに疑問である。多種にわたる教えの散逸を防ぎ、異論の発生を根元から絶つために、何度かにわたって、弟子たちによって結集が行われて、経典の編纂がなされたという。
 仏教成立史にあまり詳しくない者が法華経を紐解いてさえも、これが果たして仏陀自身によって説かれた教典とはどうしても信じがたい記述を見出すことがある。
 大乗仏教の経典である法華経の成立は、紀元元年頃と推定されているので、歴史上のゴータマ・ブッダの死去から四世紀もの時を経ている。ちなみに、最古の経典の一つである『ブッダ最後の旅』(中村元訳・岩波文庫)における、仏陀最期の説教の形式は、かなり法華経と似ている。だが、法華経のような、もったいぶった仰々しさが見られないばかりか、経典崇拝主義的な傾向も見られない。
 法華経の一語一説を朗誦しても成仏疑いなしなどという極端な教説、「一詩頌でも、これを聴いて心に留める者はすべて『さとり』に到達すること疑いなし」(岩波文庫『法華経(上)』方便品・107頁)。
 法華経は仏陀の寂滅後数世紀のときを経て編纂されたと専門家の意見も一致している。
 信仰の書ということを離れて法華経を読めば、想像力の雄大さどころか、誇大妄想の嘘八百としか読めない。冒頭から腰を抜かすほどの場景が展開される。仏陀は、霊鷲山に弟子だけでも一万二千人、仏陀の眷属など二千人、菩薩に至っては八万人、その他の神々や精霊・妖怪変化などを集める。天から花々が散り、地震が起こり、何事が起きるのかと仰天しているところへ、仏陀の額から光を放ち、その先の東方へ過去未来現在の世界を現出させ、そこで仏陀を敬い仏陀の教えを広めている僧侶たちの姿を放映する。
 その後も、仏陀は説教の合間に数々の奇蹟や瑞兆を起こす。たまりかねた五千人の弟子たちが、「自分たちは奇蹟を見るために集まったのではない」と憤慨して退席する有様なのである。
 こうした奇蹟以上に不可解なのは法華経という書の不思議である。法華経を読んでいくと、一向に仏陀の教えらしきものは示されない。ただ、仏陀は弟子たちにお前たちが得たという「悟り」は方便に過ぎないとして否定し、仏陀である自分の「悟り」こそが、本物だと説くだけである。退席した五千人の弟子たちも、仏陀の独善的な態度に、あきれ果て侮辱を感じて出て行ったのである。

ベルクソン62

2010-01-27 05:37:59 | エッセイ
 「知性が外から自然におしつける作りものの一元性を捨てることによって、私たちは内的な生きた本物の一元性をたぶんありのままに発見するようになる。けだし私たちが純粋知性を越えようとして費やす努力は私たちを導いてなにか知性よりももっと広々としたものに、私たちの知性が切り抜かれて浮き出てくるものとの生地だったはずのものに連れて行く」(岩波文庫『創造的進化』239頁)

 ベルクソンが哲学的直感を説明して、端的に「同感」と言っているように、日蓮は法華経を読むことによって誰よりも深い感動と共感を得たのだ。若き宮沢賢治の場合も同じであったであろう。重要なのは、法華経という書物=エクリチュールを読む行為の深さである。
 すでに、逆さ円錐はベルクソンの執筆のペンであろうと私は書いた。もし、読む行為に段階があるとすれば、執筆者がペンを握り、書きつつ読むように読むのが、最上級であろう。日蓮も賢治も、そのように、仏陀が直接おのれに語りかけるものとして法華経を読んだのである。時代を隔てた今日においても、言葉の全き意味で日蓮ほどの法華経の読み手を見出すことは出来ないであろう。もし、批判があるとすれば、それを信奉した日蓮への批判ではなく、法華経思想そのものへの批判でなければならない。法華経は経典という書物の絶対的エクリチュールに生きることを強要する。日蓮に至っては自らを経典化する段階に達してスーパー・エクリチュール化する。つまり、問題は、ベルクソンが創造的進化という生命論において、法華経においては盲目的な経典崇拝によって、自らのエクリチュール思想を逸脱して行くことである。
 文学的な意味でのエクリチュール《書きつつ読む行為》とは、妄想と実践の中間に位置する。妄想を鎮め、実践に陶酔しての自己疎外から免れる行為である。つまり、イマージュを生きるとでも言えようか。シャーリ=プトラの「私は完全にさとりを得ました」という発語はそうした意味で、信仰的発語というよりも、象徴的かつ治療的発語であり、エクリチュールの本旨を示している。
 「方便品第二」以降の法華経は、内的な緊張に耐えかねて、経典崇拝という継続の道を選んだとも言えよう。その理論的なバックボーンをなしているのが、久遠成仏、つまり、永遠の過去から永遠の未来に向けて、継続する生命という流れに目覚めること。「如来寿量品第十六」の思想である。ベルクソン的には、『創造的進化』を支える系統樹的な生命、エラン・ヴィタールを生きることと類似する。エランの最先端で示されるキリスト教神秘家の姿が、外形的な意味で、すなわち布教的実践の強調で、なんと日蓮と似ていることか。もはや、そこではエクリチュール思想の面影は完全に消え失せている。

「愛――神秘家一人ひとりが彼自ら愛されると同時に、彼を通して、また彼あるがため、他の諸人の魂もまた人類の愛へと打ち開かれるようにする愛。愛――彼ら神秘家に、あるいは生き続けるその記憶に身を捧げ、このモデルに自分の生活を合致させる人を介しても伝わって行き得る愛。さらに一歩を進めよう。偉大な神秘家の言葉、あるいはその模倣者のうちの一人の言葉が、我々のうちの誰かのうちに反響を見出すとすれば、それは我々自身の胸底にも神秘家が一人眠っており、目覚まされる機会をひたすら待っているからではないだろうか」(ベルクソン『道徳と宗教の二つの源泉』森口美都男訳第一章「世界の名著・ベルクソン」312頁)

ベルクソン61

2010-01-26 05:21:33 | エッセイ
 『創造的進化』の本論に入る前の冒頭、「序説」から、私たちは極めて法華経的な言説を見出すことができる。長いが引用したい。

 「認識論と生命論とはたがいに分離できぬものらしい。生命論は認識批判をともなわないと知性がゆだねてくれた概念をそのまま鵜呑みにせぬわけにはゆかない。そのような(認識批判を伴わない――引用者)生命論は既製の枠をもう動かぬものと見て、この枠のなかにさまざまな事実を有無をいわせず押しこめることしかできない。こうしてお誂えむきの符号法がえられる。それは実証科学にとってはたぶん必要でさえあるかも知れないが、対象のじかな眺めではない。他方また認識論は、知性を生命の一般的進化のなかへもどさないなら、認識の枠がどのようにして形づくられたかもどうしたらこれを拡張ないしは超えでることができるかも、私たちに教えてくれないであろう。認識論と生命論というこの二つの探求はまた合流しなければいけない。そして、循環過程を描きながら、たがいにどこまでも推進しあわねばならぬ。
 この二つが組むならば、哲学の設ける重要な諸問題はいよいよ確実でいっそう経験に密接した方法で解けるにちがいない。けだし、かりにこの共同の企てがうまくゆけば、私たちは知性の描くおおよそ形成される現場につれていってもらえるし、そこからまた、物質が私たちの知性の描くおおよその恰好で生成するさまを目撃することにもなろう。ふたつの研究は自然と精神とをまさにその根のところまで掘り下げることになる。それらはスペンサのにせの進化論を真の進化論で置きかえることになる。前者は要するに、すでに進化をとげた現在の事象をおなじ進化をとげた細片に裁断して、その上でこれらの断片から事象を再編成するものであり、したがって肝腎の説明されるはずの事柄をあらかじめ全部みとめてしまっている。それにかわる真の進化論は、事象をその発生し成長するままに跡づけることであろう」(真方敬道訳『創造的進化』岩波文庫・12頁)

 ここでいう「認識論」は、ものの認識の仕方である。ベルクソン的には、哲学的直観つまり純粋持続であり、「方便品」における舎利弗の悟り方を意味している。その他の弟子たちは「既製の枠」に取りこめられた記号的認識の仕方しか出来ない人々とみなされる。
 若き日蓮は、おそらく、法華経を読み、歴史上の仏陀が霊鷲山において大勢の弟子に囲まれて説いたとされる法華経を、その場で悟りに達した舎利弗のように、仏陀から直接法華経を通じて語りかけられ、諭されたと感じ、舎利弗と同様に、仏陀から認められる前に自ら仏陀となったと自覚したのである。
 なぜ日蓮が法華経をこのようなドラマチックな読み方が出来たか。彼がほかの誰よりも、熱烈な信仰心と偏向のない虚心によってこの経典に接することが出来たからに他ならない。法華経とは仏陀から直接語りかけられたように、読まれることを期待して作られた経典なのである。
 ちなみに、上記引用の記述は、認識論と生命論との分離以前、その起源に遡る、発生の現場に立ち戻るという点で、ベルクソン哲学とフッサール現象学が極めて近い位置に接近していることを示していよう。

ベルクソン60 【創造的進化と法華経】

2010-01-25 05:30:57 | エッセイ
 ベルクソンの主著『創造的進化』を読むたびに、法華経と似ていると思う。なぜなのか、考えてみたい。
 東と西と文化の潮流が違う思想を単純に比較することは許されない。すでに触れたが、東洋哲学(ここではインド哲学)で言う「純粋意識」と西洋哲学のそれは大きく隔たっている。
本来、持続が要件である意識は、東洋哲学にはない。存在や実存・あるいは実在、そして弁証法についても同じことが言えよう。人間の思想であるから、東西文化の交流が一般的になった現在では、急速な接近はありえる。つきつめれば、西欧思想の底流にはエクリチュールの思想が流れているが、東洋においては極めて希薄である。
 相違はその出自にもかかわる。すでにあげた哲学概念は、西欧哲学において、ギリシア・キリスト教思想の影響をもろに受けている。ここで私が東洋哲学として想定しているのは、中国とインドの哲学である。井筒俊彦氏のイスラム系思想はとりあえず想定外である。
 ベルクソン哲学は、ほかの西欧哲学を相対化する企てであるから、事情はいくらか違う。彼は、「意識」は別として「存在」とか「実存」などという概念に重きを置かない。その分、私たちにとって、とっつきやすいかもしれない。逆に西欧哲学の主流は「意識」をまともに扱わない。
 法華経思想は、一般的に言う仏教思想や東洋哲学と大きく隔たっており、孤立している思想である。
 紛らわしい表現になるが、法華経の孤立を認めない従来の仏教思想に対して、その孤立を認めて真っ向から、当時の仏教界に挑戦したのが、日蓮である。つまり、特種な意味において、法華経は仏教とは本来無縁であるはずのエクリチュールの思想によって貫かれている。
 法華経をつぶさに読めば、日蓮が解したように、従来の仏教宗派を根本から否定する思想を根幹としていることが分かる。法華経において、仏陀は、弟子たちを「声聞・独覚」と呼んで彼らの存在価値を一応認めているように見える。しかし、それは彼らが将来法華経を受け入れるのを前提にして彼らの「悟り」を一段階として認めたに過ぎない。
 「方便品第二」から次章「比喩品第三」にかけてのドラマは、法華経の一つのクライマックスである。驚くべきことに、第一の弟子シャーリ・プトラ(舎利弗)が仏陀の説教を聞き、仏陀の承認を受ける前に法華経の悟りに達したことを宣言する。
 「今日、世尊から親しく教えを承り、わたくしは「さとり」の境地に達しました。今日、わたくしは完全に「さとり」を得ました」(岩波文庫『法華経(上)』方便品・137頁)
 それを仏陀はただちに追認する。いまだ仏陀が法華経の内容を詳しく説く以前においてである。しかも師であるブッダの承認を待たずに。
 この思想変革のドラマは、おそらく法華経思想の真髄であろう。マルクス流の弁証法的洗脳とほとんど変わらない。
 これまで教説を外形的に外側から理解していた舎利弗が、仏陀の真意を内側から、つまり、ベルクソンの哲学用語を用いれば、外側をなぞるような理解から、哲学的直観によって、内側の純粋持続に目覚めた一瞬なのである。読書にたとえれば、字句字面に捉われていた舎利弗が、内面から深い感動を持って仏陀の真意を理解したのである。

ベルクソン59

2010-01-24 05:55:55 | エッセイ
 私が云いたいのは、逆さ円錐がベルクソンの執筆のペンであるように、天気輪から交通標識に変わった柱は、賢治が「銀河鉄道の夜」を書いている執筆のペンの象徴であろうということである。
 にもかかわらず、列車が法華経である可能性にこだわったのは、彼は熱心な法華経信者であり、常に、文学と信仰の間で、葛藤を続けていたであろうという想像に基づく。
 だが、それは危惧に過ぎないのかもしれない。『銀河鉄道の夜』では、形式的な意味で葛藤は拭い去られている。賢治はジョバンニとカンパネルラに、(タイタニック号を連想させる)客船の遭難で溺れ死んだキリスト教徒を銀河鉄道で同乗させ、彼らの救いを描いている。書くことにおいては、法華経信仰ではなく、意識をつづる文学=エクリチュールの道に従ったのである。
 詩集・心象スケッチ『春と修羅』における「せわしくせはしく明滅しながら、いかにも確かに灯り続ける因果交流電燈」とは、賢治が今それを書いている意識そのものであり「おれは一人の修羅なのだ」という断定は、信仰者でもなく、さりとて生活者でもない、ものを書くことにとり憑かれた一個の魔物としての、独自の文学的自覚と言えよう。
 ついでだが、賢治は、膨大な作品の中で、直接、法華経信仰をうかがわせる作品は「ひかりの素足」のみである。おそらく、雪の中で遭難した無垢な子供の魂を救うという、やむにやまれぬ創作意欲がこの作品を作らせたのであろう。だが、必ずしも、成功した作品と言い切れない。後半の死後の世界が法華経そのままの描写でイマジネーションに乏しくて古臭い。草稿の表紙に「凝集を要す。恐らく不可」「余りにセンチメンタル。迎意的なり」と赤インクで賢治は書いている。本人も作品として満足していなかったことが判る。
 ただ、臨終の床まで賢治はおのれの信仰を全うし、いささかも、作品への愛着を示していないことを明記しておきたい。すでに自己のうちに読み手である他者を発見していた賢治にとって、文学はひたすらおのれのためあったに違いない。おそらく《書く行為=エクリチュール》の本旨も、そこにあるのであろう。逆説的に言えば、私たちも「銀河鉄道の夜」ばかりでなく、彼の作品を、ひと時の時間つぶしでなく、ひたすらおのれのために読むことにこだわるべきなのであろう。

ベルクソン58

2010-01-23 06:04:16 | エッセイ
 手元の『宮沢賢治童話大全』(講談社)の「注」には、「天気輪の柱」について、次のように書かれている。
 「当時、盛岡や花巻の寺では、花崗岩でできた柱の中心をくりぬいて、くるくるまわる鉄の輪をはめこんだものがあって、これは飢饉で死んだ人々の供養のためのものといわれた。このイメージから作者が創作した言葉といわれている」
 子供の意識は、大人と比べると鮮明な一本線であり、すべての子供は意識の神経症を患っているとさえ言えそうだ。子供たちが列車や乗り物を例外なく好むのは、それらは意識の連綿の代替物で治療効果的な慰めを見出すためあろう。賢治の鉄道とストーリーへのこだわりは、その童心をなぞる。逆説的に云えば、大人は労働と習慣によって、意識から疎外されていると言えよう。
 天気輪の柱に戻ると、「注」から推測すれば、それは紛れもない墓標であることがわかる。
 墓標である天気輪の柱が、鉄道標識に変わる転換は、死から生への転換である。
 《書く行為》は、それ自体が豊穣なイマージュをいったん言葉によって、それ以外のもの、言葉で表現できたもの以外を殺すことに繋がっている。イマージュを殺すことによって、言葉が生まれるともいえる。墓標は単に死を示すことではない。かつて生きていたことを示すのだ。
 天気輪の柱が交通標識へ変貌を遂げて、銀河鉄道の列車を待つことになる。丘はジョバンニが列車を待つ人知れぬ小さな駅なのだ。
 一方では、墓標なのだから、祈りと読経の場である。私には、銀河鉄道の列車がそのまま賢治が信奉した法華経――あのつづれ折りの経品だという空想を完全には払拭できない。
 引用を熟読して欲しい。「銀河ステーション」という言葉が天気輪の柱を通じて天から降るように降りてくるのだ。この声は決定的なシグナルである。この駅名とも取れる言葉なくして、ジョバンニが銀河鉄道に乗り込むこともなく、親友カンパネルラとの旅は始まらなかった。この旅はつづられなかった。天気輪の柱は現世と冥界の境界に位置する。エリアーデ的区分に従えば、俗と聖の結界、祭りの《さ庭》にほかならない。

ベルクソン57 【天気輪の柱】

2010-01-22 05:39:32 | エッセイ
 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のクライマックスは、日常を描く前半と銀河鉄道の旅をつづる後半を結ぶ第五章「天気輪の柱」だろう。
 遠くに銀河が横たわる夜空の場景を丘へ向かって、自分を機関車に見立てて息を弾ませながら走るジョバンニ。足元でそよぐつめ草の花やピカピカと青く光る昆虫は、「よだかの星」が地上に墜落したよだかの屍の燐光であるように、カンパネルラの水死の予感でもある。夜だというのに鳥が一羽鳴きながら通り過ぎていく。これも予兆だ。
 熱愛するカンパネルラの死、それはある意味で、友を独占するための不吉な願いでさえある。現実の思い出は、遥か彼方で愉しげに語らう夜汽車の中のさんざめき、おそらくカンパネルラの混じっているであろう(たしか梶井基次郎の作品「過古」にも夜汽車を眺めて感動するシーンがあった)、それは賢治であるジョバンニを締めだしている。彼は、丘の上に寝転び涙にくれて泣いている。その証拠に北の空の琴座の星が涙に滲んで、キノコのように脚をいくつも伸ばしているではないか。遠くに見える町の明かりが海底のお宮と見立てたように、死の象徴である水のイメージと意識の象徴である列車のイメージで一貫している。
 ベルクソン的なイマージュの展開と捉えても、情景は、限りなく壮麗で、日本文学におけるイマジネーションの一つの頂点を示しているように思われる。

「そして、ジョバンニはすぐ後ろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとう凛と動かないようになり、濃い鋼青の空の野原に立ちました。いま新しく焼いたばかりの青い鋼の板のような、空の野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、不思議な声が、銀河ステーションという声がした――」

 (引用に当たり読みやすいように平仮名から漢字に変えた箇所がある)