メルロ・ポンティが指摘するように、形相的直観は記憶の遡行と同一かもしれない。ベルクソンに本質論がないのは「動き」の哲学だからだ。エクリチュールはたんなる「動き」ではない、もちろん「動き」にも遡行は含まれているが、熟考すること。
ルソーも柳田国男も現象学的。偶然のように、基本読書の理念が一致。
反省、日本語教室で韓国人に教室新聞の記事を頼み、「愛国心」が話題になった、日本語として不自然なところを訂正したが、うかつであった、日本人と認識が違う、たとえば、韓国とのWBC野球試合で、韓国チームが太極旗をマウンドに立てたこと、韓国選手のヘッドスライディングに対する中島選手の防御の仕方など。日本人の愛国心にもさまざまな屈折がある。
ナショナリズムは考えてみる価値がある。
ルソーも柳田国男も現象学的。偶然のように、基本読書の理念が一致。
反省、日本語教室で韓国人に教室新聞の記事を頼み、「愛国心」が話題になった、日本語として不自然なところを訂正したが、うかつであった、日本人と認識が違う、たとえば、韓国とのWBC野球試合で、韓国チームが太極旗をマウンドに立てたこと、韓国選手のヘッドスライディングに対する中島選手の防御の仕方など。日本人の愛国心にもさまざまな屈折がある。
ナショナリズムは考えてみる価値がある。