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日記・物語・エッセイ・感想その他

日記そのまま

2009-03-28 06:55:33 | 日記
 メルロ・ポンティが指摘するように、形相的直観は記憶の遡行と同一かもしれない。ベルクソンに本質論がないのは「動き」の哲学だからだ。エクリチュールはたんなる「動き」ではない、もちろん「動き」にも遡行は含まれているが、熟考すること。
 ルソーも柳田国男も現象学的。偶然のように、基本読書の理念が一致。
 反省、日本語教室で韓国人に教室新聞の記事を頼み、「愛国心」が話題になった、日本語として不自然なところを訂正したが、うかつであった、日本人と認識が違う、たとえば、韓国とのWBC野球試合で、韓国チームが太極旗をマウンドに立てたこと、韓国選手のヘッドスライディングに対する中島選手の防御の仕方など。日本人の愛国心にもさまざまな屈折がある。
 ナショナリズムは考えてみる価値がある。

柳田国男批判について

2009-03-11 19:46:51 | エッセイ
若いK君と喫茶店での雑談で、村井紀の柳田國男批判について、論理が粗雑過ぎると言ったら、「そんなこといったって、ハイデッガーはどうなんですか」と言われた。なるほど、へんに鬱屈した。
 その数日前、友人のT氏と電話での会話で、やはり柳田批判について語ったことがあった。今朝の、彼のブログを読むと「柳田國男は役人であった。そのために政治的な状況には何も言わずに見過ごしてきた。彼の論文の限界はつねに始めからあったのではなかろうか」と書かれていた。
 私がそれほど細かく村井の論文を紹介したのでもないのに、K君とT氏から即座に、こうした反応が返ってきたことは、意外でもあり、納得させられるところでもあった。
 柳田の立場、つまり社会的なあり方によって、その思想が規定されるという常識が、二人の反応に共通していると言えるだろう。少なくとも一般論として、そう看做されても仕方ないという。
 ハイデッガーとナチスとのかかわりについて、私は深く知っているわけではない。以降、触れることもないだろう。今のところ、柳田についても大正十三年まで、朝鮮半島支配にかかわる官職にあったという、年表程度の知識があるに過ぎない。
 それにしても、こうした常識が一般に通用すること、つまり、村井氏の柳田批判が、私のように無茶だと否定的に捉えるのではなく、肯定的に読まれることを知った。そうでもなければ「岩波現代文庫」から出版されるはずもなかったのである。
ところで、T氏のブログにこだわりたい。まず、「政治的な状況に何も言わず」とあるが、それが、状況的なものを含めて可能であったか、を問いたい。関東大震災前後の政治的な状況は、軍国主義的ファシズムへの傾斜が、恐るべきものであったであろう。知識人として批判的な意見が述べられたか、しかも、官職にあって。
 「見過ごす」というのは倫理的な判断であって、偏った非難であろう。政治的主権意識の遅れた一般庶民はある意味で気楽な立場にいるのに反して、柳田は、知識人として、また、社会的な位置にある者としてより困難な立場にあったのではないと推測できる。倫理的なバランスから言えば、非難されるのは、気楽な庶民の方ではないか、真実を知らなかったというのが言い訳にならないとすれば。批判者は自らの潔白を証明してから、気楽に批判すべきであろう。自分が同じ境遇であるなら、柳田と違って何か発言できたと。
 もう一つ、人間の意識が厳密な意味で規定されるとすれば、人間の自由と文学は成立しないのではないか。まして、その政治的な側面を云々しているのではなく、柳田民俗学そのものを問うている場合である。
 柳田の批判者は、民俗学という文化論においても、政治的な役割がなによりも重要であることを証明してから、初めて柳田を政治的に断罪すべきだろう。
ここで規定されるとは、T氏の文章で言えば「限界」のことであるが、いずれにしても、人間の意識をベルクソン的な純粋持続としてではなく、重石に押さえつけられ身動きできない人間として、意識的存在でなく、処理しやすいように強引に物化されている。にもかかわらず、倫理的に断罪するのは矛盾しているのではないか。石に責任を問えるわけではない。
 これは、他者を物理的に精神的に屈服させ支配するための観念操作である。また、規定や限界は、政治体制によってばかりでなく、肉体的精神的な制約があるのだから、当たり前の話である。それらが、政治とか職務・地位・階級によってなされたように錯覚させる論理操作も行われている。
 ついでに言えば、「関係」や「関与」という言葉も、観念操作には極めて便利に出来ている。関係があるという場合、ピンから錐まで、許容範囲があって、度合いは、非科学的な動向や雰囲気・偏見に左右される。村井氏によれば、柳田が日韓併合に関与できる立場にあったとするのだが、(後に彼の著書にふれる予定だが)、具体的な記述は見当たらない。
 関係や関与という言葉は、実際は、問題と問題、言葉と言葉が並列的に並べられたに過ぎない、無内容な思わせぶりな概念といってよいだろう。これらの概念は予断と憶測のための足場を提供する恐れがある。たしか、ベルクソンも同様な認識を著書で示している。
 私はこんなことをK君やT氏を論難するために書いているのではない。そうではなく、こうした観念操作や誘導がまれなことではなく一般的であることを強調したいに過ぎない。
 なによりも世論を操るマスコミの一見ダイナミズムに見える活動は、無責任な一般論を拡大再生産し形成する機能を担っていることを忘れてはならないだろう。
 誤解がないように記しておきたいが、柳田の政治的な職務・役割と彼の民俗学的思想が、まつたく無縁であるなどと当然思っていない。そうではなく、政治的な判断の場からの断罪の有効性を疑っているに過ぎない。
 私も、『海南小記』と『海上の道』という南島に関する著作を読んで、島津の支配や琉球処分について、柳田は故意に避けて通っているのではないか、そんな疑問を持った。(そのために村井紀氏の著書を読む気になったのである)。
 特に前者の著書は、紀行エッセイ風の著作で、民俗学的好奇心に駆られるまま綴られており、琉球王国時代の抗争については、かなり頁を割きながら、過酷であった薩摩の支配にまったく触れていない。全体に、記述が不用意で、予備知識なしに読むのに苦労するが、次のような、やや誤解を招きそうな記述もある。

「ともかくもなくてすみそうな物(文脈から泡盛の原料の粟を指している―引用者)ばかりのために、なみの百姓の余分の骨折りは、一通りではなかったらしいのに、古くからある宮古の記録では、島の土地があまりに豊沃で、穀類のあり余るところから、人民が放埓で喧嘩争闘のやむ時がない。これは何でも大国に御願い申し、すこし重い年貢でも取り立てて戴いたら、自然に勤労の必要を感じてきて、悪い考えを起こす余裕がなくなろうかと、よくよく思案の後に沖縄に従属を申し出た、ということに伝えている。すなわち最初から現在の民意などは、とくに少しも代表せぬつもりの仕事であつたが、記録は要するに有識階級のものである。沖縄に対する忠臣は同時にまた、島でもながく恩人としてこれを仰いでいるように、書き残されてあるのである」(『海南小記』の二十二章「島布とアワ」)

 引用の箇所は、宮古の沖縄本島への従属――背後に薩摩の人頭税がある――を述べているのだが、柳田の記述は、曖昧で説明不足は免れず、宮古の男たちが、粟の強い酒を飲みふけって怠け者であるかのように採られかねない。村井が指摘するように、著述者としての、公平性を欠き責任回避を思わせる文章であるかも知れない。
 もちろん、引用の趣旨は、読めば分かるとおり、柳田の反文献主義の文脈から、上層に属する階級の記録が当てにならないことを強調しているのだが、妙に力が入っていないのも確かであろう。

 (付記 ブログのT氏は、竹島問題についても発言していて、日本政府の弱腰を批判的に書いているが、こうした隣国との歴史認識に係わる問題は、慎重であるべきで、充分な検証を経ることなく不用意に発言すべきでなかったと思う。村井氏の柳田批判の主たる根拠が、天皇制軍国主義国家の朝鮮半島支配に柳田が加担したとするものだけに付記しておきたい。なお、柳田民俗学を論じる場合、ナショナリズムとの関連は避けて通れない課題である。)