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日記・物語・エッセイ・感想その他

魔術師①

2010-07-31 06:11:51 | エッセイ
分厚い文庫本で上下二巻に分かれた長編がある。裏表紙に書かれたコマーシャルコピーを読んでみよう。

「イギリスの中産階級に生まれ、オクスフォードを出た青年ニコラス・アーフェは、すでに人生にある種の虚しさを感じていた。ある女性とのエロティックな恋が終わったのをきっかけに、英語教師としてエーゲ海の孤島に渡る。そしてそこで不思議な老人コンヒスに出会う。次々に起きる、複雑怪奇な出来事――。サスペンスあふれる恋愛小説。冒険小説、そしてオカルティズム哲学の希有な物語」

 面白い作品である。読者をぐいぐいとひきつける力があって、退屈する心配はない。著者の巧妙な仕掛けに知的な好奇心を大いに満足させられる。こうした小説の常としてストーリーや結末を書いてしまったのでは、興味は半減されてしまう。探求自体に醍醐味があるのだから。
 しかし、本書にはある種の道しるべのようなものが必要かと思われる。油断すると全体が見えなくなって、読み終わって後で、著者の狙いが一向に掴めないということも大いに考えられる類の書物なのだ。それでも読後に、はぐらかされたようなすっきりとしない後味が残る。
 本書、ファウルズの『魔術師』(小笠原豊樹訳・河出文庫)の面白みは、やはり、孤島の学校に教師として赴任した若いニコラスが、不思議な別荘でリリーとローザと名乗る二人の美女に出会い、彼の性的な欲求をもてあそばれ、自尊心がずたずたにそれて、放り出されるまでの物語が美しく詩的でさえあるドラマであることだろう。ニコラスに対する奇妙な裁判以降、やや観念的になり、読者として辛い展開の連続であるが、最後の数頁の結末は、見事としか言いようがない。
 ちなみに、エーゲ海の孤島という舞台は、村上春樹の『遠い太鼓』でかなり詳しく書かれていて参考になる。具体的な根拠は言いにくいが、『ねじまき鳥クロニクル』を読んで、本書は村上好みの作品と思われた

オーレリアン⑧ 恋と革命

2010-07-30 04:32:55 | エッセイ
ナチスに対する抵抗運動と恋愛の純粋性が、ベレニスによって結び付けられているが、その性急になんの違和感もない逼迫した情況であったといえよう。野蛮なファシズムの侵攻を前にして、選択の幅はごく限られていたのだ。
わたしが本書を読んだ六十年安保当時、経営者側からの組合分裂攻撃にさらされていたので、実際に、恋人同士が、第一組合と第二組合に分かれて離別したり、逆に、両者が第一組合に残って、分裂攻撃と戦ったケースもいくらもあった。本書では、ベレニスは、レジスタンス運動に参加しており、オーレリアンは、おそらく、普通のブルジョワとして、ナチスに屈服したヴィシー政府を支持していたのであろう。
結末におけるオーレリアンのエゴイズムの描写は、マルキストとしてのアラゴンの真骨頂であろうが、逆に、社会主義レアリスムの限界を示してはいないか、エゴイズムの理解が浅薄だという意味で。オーレリアンの感情的な対応は彼の政治的な信条とまったく関係ない。ベレニスは、激しい性格のパターンとして現実味がある。アラゴンの共産主義的夢想は、後の社会主義の歴史的経過によって、無残にも否定されたといえないか。詩人ポール・エリュアールにもいえることだが。ただ、彼らの詩的感性は今なお輝きを失っていない。恋とは、思い出の中で必然的に失恋に終わらざるを得ない宿命ではないだろうか。手に残るのは日常であって、つねに逃げ去るものとして、あたかも失われた革命のように。
しめくくりに、青春のころ、わたしがアンダーラインを引いた箇所を掲げておく。オーレリアンと知り合って間もないころにベレニスが語った言葉の一節。

「ああ、オーレリアン! せめて人生に大きな、純粋な、そしてきれいなものが一つあって欲しいわ――せめて、ね。あたしあなたを信じたい、オーレリアン――」(同書・上巻283頁)

オーレリアン⑦ 後日談

2010-07-29 05:13:48 | エッセイ
最後の「エピローグ」において、始めてアラゴンは社会主義者らしい面目を示して、一応の結末に導く。本書は、膨大な長編シリーズの一冊であり最終結末ではない。
舞台はベレニスの恋愛事件から十八年たっている。オーレリアンは、故郷に帰り工場経営者となり、平凡な結婚をして所帯を持ち子供もいる。第二次大戦が勃発すると従軍してナチスと戦い、敗残の部隊として退却を続けてベレニスの住む地方都市にやってくる。ベレニスは、ポールとの生活を清算した後、薬剤師である夫リュシアンのもとにいったん戻ったが、別居して夫の家の近くに一人で生活している。リュシアンは敗残の部隊とともにやってきたオーレリアンを歓待する。今では彼になんのわだかまりも感じていない。彼は昔の恋人同士を再会させようと、街から離れた別荘のパーティーに案内する。だが、二人の心の隔たりは大きい。ベレニスはスペインのパルチザンをかくまっており、ナチスへの徹底抗戦を説き、オーレリアンはひたすら早期終戦を願っている。
以下は、別荘からの帰りの自動車で、ナチス先遣隊の機銃掃射を受けた場面の引用である。ドイツ軍は、侵攻する際、少しでも不穏な空気を察知すると、無差別に発砲しては、殺戮を繰り返して威嚇するのである。ガストンは同行の運転手の名。

「「ドイツ兵だよ――もちろん」オーレリアンは言った。「彼は腕を動かさずにいた。出血しているに違いない。あれはきっと機銃自動車だろう。ドイツ軍はよくあれをああいうふうに道を偵察するためにでたらめに使うのだ。近頃は無益な損害を避けようとしてまずああした偵察をやる。敵に出会うとしつこく戦わず、右か左に迂回してほかの道に出てしまう――彼は鈍痛に痺れてしまった腕をさわってみようとした――ガストンが口汚くののしっていた。ほかの連中も後ろで度を失ってわけのわからぬ声をあげている。「後を追っかけてくるだろうか?」「そうじゃなかろう。見えませんか、あなた?」これはルールチョワが言ったのだ。彼は手探りで、ベレニスの肩にまわした腕に流れているねっとりとした血を感じた。彼女が気づくかもしれない。彼は彼女に言った。「ベレニス――心配しないでいいですよ」「あたし、心配しないわ――」と彼女は囁いた。それは昔の声、パリのタクシーの中である夜聞いたあの声だ。オーレリアンは負傷したというばかばかしい自尊心が身内に湧くのを感じた。「なんでもないんです」と低い声でそばの女の耳に囁く。そして彼女は、「わかっているの――なんでもないの――」その言い方に、彼は少しむっとした。彼がなんでもないと言うのはいいとして、彼女までがそんなに軽く考えるなんて! そこで彼ははっきりこういってしまう、「僕は怪我をしたんです――」だが、ガストンがそれを聞いてしまった。そして気をきかして、車を止めた。「怪我をしたんですって?」「なあに、ほんのちょっとだけ――」ルールチョワはベレニスの頭が自分のほうにぐったりもたれかかるのを感じた。「怪我をされたって!」後ろで親類の娘が甲高い声を立てた。「ルールチョワさんが怪我をしたって!」
 ガストンは懐中電灯を取り出した。黄色い光の刷毛がまず膝から、次に顔に当たり、場所を捜した。「腕だ」とルールチョワは光の行く先を教えた。と、光は垂れた手の上、見せかけの恋人たちの抱き合っているところ、ベレニスを抱えている血に染まった腕を照らした。血は女の衣裳の上にべっとり流れ、ベレニスの頭は横に傾いていた。
「ベレニス!」
 みんなが一緒に叫んだ。オーレリアンの無傷の手が彼女の顔を起こした。彼女は目を半ば閉じ、微笑を、セーヌ河の未知の女の微笑を浮かべていた――弾丸は大きな死の首飾りのように点々と胸さきを貫いていた。オーレリアンはすぐ彼女が死んでいるのを見て取った。
「だのに、おれは自分の腕のことを言ったりして!」」(同書・下巻399頁)

オーレリアン⑥

2010-07-28 06:26:12 | エッセイ
「あなた――あたしはいつもこういうふうだったの――汚れのついたり、欠けて傷がついたり、折り目のついたりした物は――どんなに美しいものでも――もう見ることもできないの――捨ててしまわなくちゃ気が済まない――あたしはそれがもう辛抱できなくなっちまう――」(同書・下巻130頁)

ベレニスはオーレリアンのもとから、そしてエドモン・バルバンターヌの家から去っていく。夫の住んでいる地方都市に帰ったのでもない。物語の後半は、パリから離れて、ダダの若い詩人ポール・ドニと同棲するベレニスを描く。ポールは彼女に夢中だが、彼女の心は恋愛感情とは程遠く冷え切っている。
ベレニスが一人で散歩しているとき、偶然、クロード・モネの睡蓮の庭園でオーレリアンに出会うが、彼女の心は閉ざされたままであった。やがて、ベレニスはポール・ドニのもとをも去っていく。
 オーレリアンは、彼女が若造のポールと同棲していたことを知り、嫉妬に苛まれる。パリで出くわした二人の恋敵同士は、互いに嫉妬に狂いながら傷つけあい飲み明かす。そんなとき、ポールは黒人相手の刃傷沙汰に飛び込んで、ほとんど自殺のような最期を遂げる。

オーレリアン⑤

2010-07-27 06:01:11 | エッセイ
「「あたしここへきたのは十二時頃だったの――あなたはいらっしゃらない――あたし待っていたかったの――時間がたってつい眠ってしまって――家政婦の人がそうしているところを見つけて――」
 彼は彼女の着物がよれよれになっているのに気づいた。真夜中といえば、「リュリ」(酒場の名)で女の腕がからみついてきた――のを思い出す。彼は低い声で言った。
「やっぱり、あなたはほんとうに来てくれたんだ――」
 底なしの沈黙。その淵の端に立った二人が、不幸、償うことの出来ぬもの、この残酷なものの大きさをじっと覗き込んでいた。ベレニスの目の中に、あの長かった一夜、待ちわびた切なさ、恐ろしさ、気の弱りが表れていた。前の夜のある瞬間に、彼らの思いが、ちょうど真夜中にそうだったように、交差したことを二人とも知らなかった。
 彼は、彼女がこの裏切り、年末に当たって犯した失錯をけっして許してくれないだろう、と知っていた――シモーヌ――まったく、愚劣すぎた! 「まあ、わけを少し聞いてください――」彼女は両手で顔を隠していた。泣いていた。
 「あなた、泣いてますね? ベレニス――ベレニス――」
 「いや、さわらないで。うっちゃっといて」
 彼は相手の言うままにした。自分のしたことを思えば死にたい気持だ。が、そのことをうまく言うことができなかった。とにかく、したに違いない。彼は生きてそこにいる。そして彼女は、彼に会いにやってきた。「あなたはこうして来てくれたのに――それだのに、僕は――」
「あなたは!」
 これ以上言うことがあったか? 何もかも明瞭じゃないか? 不幸というのはそういうものだ。彼は承知できなかった。
「だけど、あなたは僕があなたを愛していることをよく知っているのに――あなたしか愛していないことを――あなたが僕の生命だということを――」
 こういう憐れな大げさな言葉を、彼女は聞き流していた」(同書・下巻128頁)

オーレリアン④ 朝帰り

2010-07-26 05:59:25 | エッセイ
以下の引用は、朝方、オーレリアンがアパルトマンに帰り着いた場面である。エドモンが、ベレニスの失踪先を探して、すでにやってきていた。彼はベレニスをかくまったとしてオーレリアンを厳しくなじる。妻の自殺未遂やベレニスの行方不明、それに取り乱した夫リュシアン・モレルの愁嘆に、やり場のない怒りをぶつけて、リュシアンの悪口をわめき散らす。オーレリアンは身の潔白を示すために、シモーヌと一晩いっしょだったことを告白する。やっとエドモンは納得して帰って行く。

「ルールチョワは三杯目の茶をがぶっと飲み込んだ。レモンの小さな切れを噛んでそのすっぱい苦みを味わった。いや、ずいぶん酔っ払ったものだ――彼はシャワーを浴びに行った。
 寝室の真ん中まできたとき、自分の面前にベレニスが立っているのを見た。
 彼女はイブニングドレス姿であった。いつかマリーの家(マリー・ペルスヴァル夫人の夜会のこと)で見たあの蓮の着物、あらわな肩や腕が白い布地からふるえるように浮き出し、折り返した長い黒手袋をはめていた。栗鼠の毛皮のマントが今ぬげ落ちたというふうに地面に引き摺っていた。顔には疲れと昼間の光におびえたような表情が浮び、ブロンド髪がくしゃくしゃに乱れている。じいっとオーレリアンを見つめていた。彼は黙ってしまった。二人とも言うことがなにもなかった。何もかも言ってしまったあとだ。一切が恐ろしいほど明白だった。彼女が不幸の像そのままであるように、彼は感じた。その唇は今までにもなくふるえ、紅をささない頬に血の筋がもっとはっきりしていた。ベレニスは心のうちで、《これじゃあたし、きっときれいではないわ》と思っていた。男はため息をもらした。失格の感情。
「あなた聞きましたか?」
「一語残らず――」
 聞いたとしても後の話がしよくなったわけではなかった。彼は、シモーヌのこと、そういうのはなんでもないんだということを、説明しようと思った――彼女は従兄(エドモンのこと)への憎しみを身にしみて感じているらしかった――二人でじつにいやな言葉をかわしていた。彼、「僕は、あなた以外に誰も愛してやしない――」彼女、「あの人はあなたの前でリュシアンをあんなに馬鹿扱いにしなくてもいいのに!」」(下巻126頁)

オーレリアン③ 愛の裏切り

2010-07-25 06:07:13 | エッセイ
エドモンの妻ブランシェットは、オーレリアンが自分ではなくベレニスを愛していることを知って衝撃を受け、自殺未遂を起こす。ベレニスを自分のところに留めて外出を禁じ、恋の妨害なのだが、表向きは、夫の浮気への嫉妬のためとされる。妻のパリ滞在が長引いたのを心配して夫のリュシアン・モレルが田舎からやってきてバルバンターヌのところに逗留することになる。このためベレニスは、オーレリアンに一切連絡をよこさないように約束させ、必ず、機会をみつけて彼に会いに来ると誓う。オーレリアンの彼女の来訪をただ待つだけの辛い日々が始まる。その間、ちょっと外出していた隙に、ベレニスが訪れ、石膏マスクを置いていく。それは彼女が壊してしまった水死の女のマスクではなく、ベレニスがわざわざ石膏屋に作らせた自分の石膏である。死のマスクと対抗するかのような生のマスクである。
 一方、オーレリアンは、途方もない大金を払ってベレニスの肖像画を買い求める。前衛画家ザラモが描いて画廊に飾ってあったものだ。それは生――見開いた目――と死――閉ざした目を二重写しにした奇妙な作品である。
恋人からの連絡がないまま、オーレリアンの不安と焦燥の生活が続く。こらえきれなくなった彼は、ついに夜の巷に出かけていき、深酒をして、以前から関係のあった酒場の女シモーヌと一晩を過ごす。彼女もまた水死人の女と同様に、幼い頃、事故で失った母の無意識の象徴なのであろう。生と死は、恋人との自立した愛と母なるものとの葛藤という観点からも捉えられよう。

オーレリアン② 水死人の女

2010-07-24 05:32:57 | エッセイ
彼はパリの中心サン・イル島にアパルトマンの一角を借りて住んでおり、そこは周知のとおり、セーヌ川に浮ぶ巨大な島である。見下ろせば、自分が水の中にいるような幻覚を持つことが出来る水流の合流点に位置していて、彼の不安定な精神的情況を暗示している。故郷からの仕送りで遊興費に困ることもなく、通いの家政婦を雇い、独身貴族の生活を満喫しているといえそうだ。日々あてもなく、社交界の夜会や著名な劇場やレストランそして酒場やキャバレーに出没している。
 寝室の壁には、セーヌ川から引き上げられた水死人の女のデスマスクが架かっている。ベッドに横たわると、水に浮んでゆらゆらと漂う船室にいる感じに、マスクが水先案内人の役割をしているかのように。彼がなぜ《セーヌ河の未知の女》と呼ばれる不吉な石膏マスクを買い求めることになったのか。著者は詳しくは説明していないが、五歳のころ、父母を不可解な自動車事故で失っており、不幸であった母への無意識な憧憬と関係がありそうだ。
 今では、オーレリアンは、デスマスクの女が目を閉じたときのベレニスにそっくりなのを、強く意識している。ベレニスを最初に自分のアパルトマンへ連れてきたとき、石膏の女のマイクを見て、ベレニスは大きな衝撃を受ける。彼に抱きすくめられ、手にしていたマスクを取り落として、まるでわざとのように粉々にしてしまう。そのとき、ベレニスはオーレリアンに身を任せることを拒み、再会を約して滞在先のエドモンの屋敷へ帰って行く。

オーレリアン①

2010-07-23 05:50:17 | エッセイ
戦後青年のための恋愛小説『オーレリアン』が、もてはやされる時代が、ふたたびやってくることがあるだろうか。シュルレアリスムの詩人から社会主義レアリスムを標榜する作家に変貌を遂げたルイ・アラゴン(1897-1982)の代表的な著作である。本書の新潮文庫奥付を見ると、昭和33年初版となっている。単行本はそれ以前に出版されたと思われる。
わたしが手にしたのは、その初版の日付とそれほど隔たっていない六十年安保闘争のころである。職場の労働組合の読書会で取り上げられた。アラゴンやエリュアールなどの詩人を語ることは、当時、職場恋愛が盛んであったこともあって、左翼へ傾斜した若者の間では流行でさえあった。ロシアの詩人マヤコフスキーやチリのネルーダを含めて、愛と革命の著作が続々と出版された。
本書の内容に入ろう。
主人公オーレリアン・ルールチョワは、ハンサムで長身、女性にもてるブルジョワ青年と設定されている。彼は、物心がついてから第一次大戦のため戦場と兵営で明け暮れ、パリの日常に戻ったら三十という歳になっていた。外見とは違って、放蕩に身を持ち崩すこともなく、精神的な一種の不安感を持ちながらも、恋愛については高い理想を抱いていた。本書の真の主人公は、オーレリアンではなく、彼の恋人となる人妻ベレニス・モレルであることが、物語が展開するにつれて明らかになる。彼女は、母が父のもとを去り、その父からも省みられない不幸な少女時代を過ごす。後に、平凡な薬剤師と結婚し地方都市で生活していたが、たまたま、保養のためにパリの親戚でほんの十数日間滞在している。
本書の特徴の一つは、パリという巨大な文明都市のデカダンで芸術的な雰囲気を、ブルジョワ社交界を中心に華やかに描いたことであろう。ベレニスの滞在するバルバンターヌ家は、裕福な実業家エドモンと妻ブランシェットの愛憎葛藤の場でもあった。ベレニスの従兄に当たるエドモンは、妻への愛情をすでに失っており舞台女優ローズ・メルローズを愛人にしている。彼は、パリ生活の思い出に、ベレニスを夜会に連れて行ったり、自分の戦友オーレリアンをあてがって恋のアバンチュールを演出する。妻がオーレリアンに好意を抱いているのを察知して、それを牽制する意図もある。

軽蔑⑧ 欲望と写実

2010-07-22 06:00:08 | エッセイ
「わたしはエミリアの背後にたたずみ、落ち着きのない姿勢で彼女に目を向けていた。先に言ったように彼女は裸だった。その傍らに置かれている衣服は、鮮やかな色どりのまま小さく丸められていたが、それがあまりに小さくて、目の前のこの大きな肉体を包んでいたことが嘘のように思われた。エミリアの裸体を一目見た瞬間にわたしの心をもっとも打ったのは、あれこれの細部ではなく、その全身であり、この裸体の大きさと豊かさだった。エミリアがほかの多くの女たちと比べて大きくはないことをわたしも知っていた。しかしこのときには、海と空がその大きさをいくぶん彼女に与えでもしたかのように、彼女の裸の体はひどく大きく思われた。こうして横たわっていると、両の乳房は逞しい盛り上がりと丸みとをいくぶん失っていたが、しかしこのときのわたしの目には、いつもよりも大きく豊かで、ばら色の丸い乳首もいっそう魅惑的に映った。砂にじかに触れているその脇腹も、いっそう逞しく肉感的であった。そして白い腹はその円みの中へありったけの日の光を吸収しているかのようであった。さらに両の脚は、砂地の傾斜のためにいくぶんほかの部分より低くなり、自身の重みのために重たげに長く伸びていた。この肉体がこんなにも逞しく、こんなにも魅惑的に見えるのはなぜだろうかとわたしは考えた。そして、この魅力が、突然に目覚めたわたしの欲望に原因していることに気がついた。その性急さと激しさにもかかわらず、この欲望は肉体的であるよりもむしろ精神的なもので、彼女の肉体にでも、その肉体の中へでもなく、その肉体を介して彼女と結びつきたいという願いであった」(222頁)