ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「用心棒」を再び観た

2024年01月21日 | 映画

テレビで放送されていた映画「用心棒」を見た。1961年、監督黒澤明、脚本黒澤明、菊島隆三。この映画を観るのは何回目だろうか、もう数え切れないくらい観ているが、やはり何度観ても面白い。そして人気があるのだろう、テレビで何回も再放送されるのだ、その度にまた観たくなる。私はこれが黒澤映画の最高傑作だと思う。

出演は、三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、東野英治郎、加東大介、志村喬などそうそうたるメンバー。みんな一癖も二癖もあるある面々ばかり。

舞台は賭場の元締めである清兵衛一家と、清兵衛の弟分で跡目相続に不満を持って独立した丑寅一家の二組のやくざが対立するさびれた宿場町。そこへ一人の凄腕の浪人(三船敏郎)がふらりと流れ着く。男はめし屋のおやじ(東野英治郎)から町の実情を聞きくと、巧みな策略で自分が用心棒として役立つことを双方の一家に見せつける。両家といろいろ接触していくうちにこのヤクザ一家たちがどうしようもない連中であることを知ると、双方を戦わせ共倒れをさせようと画策するが・・・、最後には残忍な方法で清兵衛一家を滅ぼした丑寅一家に単身乗り込んで自らの刀を抜き瞬く間に丑寅一家を次々と斬り倒す。そして町の平和を取り戻した彼は、またいずこへとも知れず去っていく。

主人公の浪人役の三船敏郎がとにかくかっこいい、ベランメイ口調の話しぶりでユーモアもある。剣を抜けば凄い腕前。私はこの映画で三船敏郎が一気に好きになった。そして浪人が入り浸っためし屋のおやじ役の東野英治郎の渋さ、丑寅の子分の亥之吉役の加東大介のまぬけぶり、清兵衛の女房役の山田五十鈴の悪賢さなど脇役陣の演技が光る。極めつけは、丑寅の腹心の弟である切れ者の卯之助役の仲代達矢だ。飛び道具のピストルにマフラーのニヒルな殺し屋を演じ、三船敏郎とは違った強烈な個性を出しており、個性と個性のぶつかり合いが両者の最後の決闘だ。

この最後の決闘シーンが最高に素晴らしい、三船敏郎がかっこよすぎる。場面設定も素晴らしいし、三船の姿もかっこいいし、仲代達矢の卯之助との間合いをジリジリ詰めていくときの緊迫感がたまらない。男だったら誰でもこんな役をやって見たいと思うだろう。これを観たイタリアのセルジオ・レオーネ監督が本作をもとにクリント・イーストウッドが主人公の「荒野の用心棒」を作ったのもわかる。素晴らしい、の一言だ。ただ、風で砂埃が派手に起こるシーンはちょっとやり過ぎだと思う。

さて、この映画だが、観ていて日本人なのに日本語が聞き取れない場面が少なくない。特に早口で話すセリフに聞き取りづらいところがあるが自分の耳が悪いのだろうか心配になった。

最高の娯楽映画だとあらためて認識した。


筑波東急GCでゴルフ、帰りに「くろさわ」で若鶏丸焼きを買う

2024年01月20日 | ゴルフ

茨城県つくば市の筑波東急ゴルフクラブに行ってきた。前回は前年9月に訪問したが今回は2回目の訪問。費用は2人で19,800円。

今日は朝の気温は4度くらいだったが風がないのでそんなに寒くは感じなかった。昼間は12度くらいはあっただろうか、暖かく冬のゴルフとしては良い陽気だった。駐車場にある車の数を見るとそんなに混んでいる感じではなかった。


(朝の筑波山が見える)


(朝イチのインの10番)

ここは東急系のゴルフ場で、来場者もおそらく東急系列の会社の社員かOBが多いのだろう、落ち着いた雰囲気がある。値段も若干高めなので若い人はあまり来れないのだろう。コースの手入れも良かったし、クラブハウス内部も良く手入れされており上品な感じがした。私は西武系のゴルフ場よりは東急系のゴルフ場の方が好きだ、と言ってもそれ程多くの東急系ゴルフ場に行っているわけではないが。


コースは18ホールで2グリーン方式、前回はバミューダグリーンだったが、今回はベントクリーンだった。スピードは9.5fくらいだったと思う。ナビつきのリモコンカート方式。ディボット跡やグリーンのボールマークも比較的良く修復されていた。

距離はレギュラーティーで6,215ヤード。コースは広く、ティーショットでプレッシャーがかかるようなホールはあまりないが、フェアウェイに大きな木が植えてあって狙いを狭くしたり空間を邪魔したりして難しくしている。バンカーはある程度の数があった。

フェアウェイの芝が緑色に染めてあり景観的にもきれいだし、ボールも見やすいのは有難い。プレーの進行もほとんど待つこと無くストレス無かった。


(14番のティーグラウンドからの景色、ほぼ200ヤード付近で直角に左ドッグレッグしている)

(14番ミドル、左ドックのコーナー、残り170ヤードだが木が邪魔で打ちにくい)


(筑波山が少し見える)


(クラブハウスに戻る途中で筑波山が見える)

昼食もおいしかった。

家から車で1時間弱で到着するので運転も楽だった。良いコースでした。また来たい。

さて、今日は早い時間のスタートで1時頃にはコースを後にしたので、帰り道の途中の石下(いしげ)にある若鶏の丸焼きで人気の「くろさわ」に電話して丸焼きを予約し買って帰った。ここの丸焼きは地元では有名で大変な人気だ。昼過ぎには売り切れる場合も多く、確実に買いたい人は予約したほうが良い。

今日は1時半頃に到着したら珍しくまだ丸焼きが売れ残っていた。ゴルフに来たときここで丸焼きを買うには、石下から30分から40分くらいの範囲の距離のゴルフ場を選び、速いスタート時間を予約し、ゴルフ終了後2時まえには店に到着するくらいでないといけない、そうでないと売り切れで店が閉まってしまうのだ。

値段はグラム売りで、鶏の大きさで値段が異なる。今日は1,000円くらいだったので普通のサイズか。値段は安いでしょう。夕食はこの丸焼きをつまみに一杯やった。独特のタレによる味付けでなんとも言えない良い味がするのでたまに無性に食べたくなる。

満足した1日でした。


池袋「キッチンABC西池袋店」でランチ

2024年01月19日 | グルメ

東京芸術劇場で公演を見終わったあと、昼時となるので近くでランチを食べようと計画した。池袋はあまり詳しくなく従来は東武のレストラン街で食べることが多かった。今日はデパートでないところでと思ってネットで調べると、芸術劇場から直ぐの所に洋食屋のキッチンABC西池袋店があるのを見つけた。テレビにも出た人気店のようだ、行列がなかったら食べて見ようと思って店の前に来てみた。

12時15分くらいか、店外に行列はなく店内に入ると椅子が2つあり、2人待っていたが直ぐに入れた。結構回転が速そうだ。4人掛けテーブルに相席で腰かける。前の人は見えないようになっているので相席でもそんなに気にならない。

何を食べようか迷ったが黒カレーや黒カレーがかかっているものが人気のようだ。今日はオムカツカレー1,050円というのを注文した。1,000円以下のメニューが多いのでちょっと贅沢なメニューだ。

10分近く待っただろうか、出てきたものを見るとおいしそうだ。味噌汁がついているなと思ったら豚汁のような感じだった。オムライスの上にトンカツが乗っていて、そこに黒カレーがかけてある。早速食べてみると、黒カレーが結構辛い方で、スパイスが効いている。カツは少し薄めで肉厚ではないのが不満だが値段が安いのでしょうがないでしょう。オムライスの中は炒飯のような炒めご飯が入っているのが面白い。シニアにしては量が多めだが、今日は帰宅後夕方に週に1回のランニングをやろうと思っているので、昼食はしっかり食べる必要があるからOKとした。軽めの昼食でランニングするとガス欠状態になり走れなくなるのだ。

店内はそんなに広くないのでぎゅう詰め状態だが、店員の客さばきがうまいのでそんなにストレスは感じない。みんなの食べているものを見ると、結構いろんなものを選んでいるので、ここに来たら絶対に「これ」と言うメニューは無いようだ。この店は東口にもある。

おいしく頂きました。安くてうまいので人気があるのでしょう。

ご馳走様でした。


東京芸術劇場「名曲リサイタル・サロン第28回辻󠄀本玲」を聴きに行く

2024年01月18日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された名曲リサイタル・サロン第28回辻󠄀本玲を観に行ってきた。2階席、2,400円。11時開場、12時過ぎ終演。1階席はかなり埋まっていたが2階席、3階席は空いている席も多かった。客層は中高年の女性が多かったようにみえた。

出演

辻󠄀本 玲(チェロ)
吉武優(ピアノ)

出演を予定していたピアニスト沼沢淑音は怪我のため出演できなくなり、代わって吉武優が出演となった

プログラム

  • S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュード(4分)
  • フランク:チェロ・ソナタ(28分)
  • ピアソラ:ル・グランタンゴ(12分)

アンコール

  • ラフマニノフ:ヴォカリーズ

ナビゲーター:八塩圭子

この公演の良いところはナビゲーターがついていて出演者にいろいろ質問して出演者の人となりがわかるところである。今日も八塩さんが二人にいろいろ日頃の活動のこと、リハーサルの模様、二人の初共演のきっかけ、好きな食べ物などを聞き出していて、面白かった。辻󠄀本氏はN響の首席チェリストであるとともにチェリストだけの6人のグループを率いていることなど知らなかった。二人とも焼肉が好きだと言っていたのはまだ若い証拠だろう。今日の公演の選曲方針を質問され辻󠄀本氏は、これだけ大きなホールで室内楽の公演なので盛大な(と言ったと思うが)雰囲気の曲を選んだと説明していた。

さて、演目だが、今日のメインはフランクのチェロソナタであろう。私はこの曲が好きだ。NHKのクラシック倶楽部でもこの曲を取り上げるバイオリニストが多いのでよく聴く機会があるのだ。当日配布されたプログラムノートの説明によれば、フランクはベルギー出身だが19世紀から20世紀にかけてフランスで活躍した。そしてこの曲はベルギー出身のバイオリンの名手ジェーヌ・イザイの結婚祝いに1886年に作曲された作品である。

このチェロソナタはバイオリンソナタとして作曲されたものであったが、その美しい均整の取れた音楽はチェリストにとっても憧れで次第にチェロでも演奏されるようになったとのこと。チェロで演奏されるのを聞くのは初めてだ。確かにこのように当初作曲家が意図した楽器と違う楽器で演奏されるのは良くあることなのだろう。例えば、私の好きなシューベルトの「アルベジオーネ・ソナタ」はアルベジオーネという弦楽器で演奏される前提で書かれた曲だが、現在ではバイオリンやチェロで演奏されている。

全体は4楽章から構成されているが、私が好きなのは第4楽章だ。チェロとピアノのかけ合いのような緊張したメロディーが続き、最後に向って盛り上がるからだ。辻󠄀本氏が言っていた大ホールで演奏するに相応しい音楽とはまさにこれだと思った。

さて、今日の公演ではこのチェロソナタの第2楽章が終わったところだと思うが、客席から盛大な拍手が起こったのでびっくりした。「あれ、今日は2楽章で終っちゃうの?」と思ったが、辻本氏らは冷静に第3楽章に移っていった。途中で拍手してはいけないと言うことはないので問題はないのだが・・・

あと、今日の辻󠄀本氏の演奏だが、曲を演奏しているときに右足でトントン床を叩いてリズムをとっていることがあった。その音が結構大きく、2階席にいる私にも聞えてきた。私は気になるのだが、これも必ずしも非難されるべきことではないのだろう。ピアニストなどでも同様な人はいるし、声を出して弾く人もいると思った。

最後のピアソラであるが、ご存知アルゼンチンタンゴの作曲家兼バンドネオン奏者である。タンゴだけでなく、クラシックの演奏家に依頼されて作曲した作品の数多くあるようだ、今日の演目もそうだ。これはチェリストのロストロポーヴィチに依頼して作曲したものだ。ピアソラらしさが随所に出ていた曲だと思った。

1時間ちょっとの昼休みの公演だが、最後はアンコールまで弾いてくれたのはサービス精神旺盛で感心した。また、ピアニストの吉武優氏はピンチヒッターにもかかわらず、素晴らしい演奏を披露してくれた。インタビューを聞いていると、どうも辻󠄀本氏の方が大先輩のような感じで遠慮していたようにみえたが、演奏の方は堂々と難しいチェロソナタを弾きこなしていたように思う。今後の活躍を期待したい。

楽しめました。

 


浅草公会堂「新春淺草歌舞伎」を観に行く

2024年01月17日 | 歌舞伎

淺草公会堂で開催中の「新春淺草歌舞伎」昼の部を見てきた。今日は3階席の最前列で3,000円。ほぼ満員だったが来ているのは90%以上おばさま方であった。11時開演、14時15分終演。時間的にちょうど良い感じだった。3回最前列は見やすいかと思ったら手すりがありそうでもなかった、2列目くらいが良いかもしれない。また、花道はほとんど見えなかった。

本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香(じゅっしゅこう)
八重垣姫:中村 米吉(30、播磨屋)
武田勝頼:中村 橋之助(28、成駒屋)
腰元濡衣:坂東 新悟(33、大和屋)
白須賀六郎:中村 種之助(30、播磨屋、又五郎息子、歌昇は兄弟)
原小文治:坂東 巳之助(34、大和屋、三津五郎息子、大河ドラマ出演中)
長尾謙信:中村 歌昇(34、播磨屋、又五郎長男)

題名の由来は3段目,慈悲蔵が母のために雪中から筍を掘ろうとする場面が,中国の「廿四孝」(儒教の教えを重んじ孝行を推奨した中国で伝えられてきた24の親孝行の話)にちなむため。

舞台は越後の上杉(長尾)謙信の屋敷、「花作りの簑作」(中村橋之助)が出てくる。この簑作は実は武田勝頼。勝頼は前段で切腹したが実はそれは簑作であった。勝頼は簑作になりすまして上杉屋敷にうまく雇われた。左側の小部屋から死んだにせ者の勝頼の恋人で腰元となって屋敷に入り込んだ濡衣(坂東新吾)が出る。右側の小部屋からは謙信のひとり娘で勝頼の許嫁、八重垣姫(中村米吉)が出る。姫は勝頼が切腹してしまったので日夜嘆いている。部屋に絵師に描かせた勝頼の絵姿をかけ、十種香を焚いてお経を読む日々。姫は座敷にいる絵姿と同じ顔の簑作(勝頼)に気づき濡衣に取り持ちを頼む。起請(諏訪法性の御兜)が欲しいと言われ困惑すると、濡衣は本当のことを教える。そこに謙信(中村歌昇)が登場し「塩尻に使者に行け」と簑作に言う、そして武者に「追いかけて殺せ」と命令する。驚く八重垣姫。あわてて勝頼を追おうとするが、謙信が押さえつけ、さらに「お前もアヤシイ」と、濡衣も取り押える。

あまり変化のない場であるが、八重垣姫を演じた中村米吉が良かった。この八重垣姫は歌舞伎の中でも大役とされる三つの代表的なお姫様役の一つである。他の二つは「鎌倉三代記」の時姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫だそうだがまだ観たことがない。米吉はそういう役を立派に演じていた。

与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)源氏店
三世瀬川如皐 作

切られ与三郎:中村 隼人
お富:中村 米吉
番頭藤八:市村 橘太郎
蝙蝠の安五郎:尾上 松也
和泉屋多左衛門:中村 歌六(73、播磨屋)

お冨(中村米吉)は深川の芸者だったが木更津のヤクザ赤間源蔵に身請けされた、与三郎(中村隼人)は武士のお坊ちゃんだが木更津の親戚に預けられて謹慎中、その二人が海岸で出会い恋仲に。それが源三に見つかりお富は逃げて海に飛び込むが与三郎は全身を切り刻まれる(切られ与三郎)。お富は夜釣りをしていた江戸の質屋の大番頭の多左衛門(中村歌六)に拾われ妾として楽な暮らしをしていると、ごろつきに落ちぶれた与三郎が訪ねてきて、死んだと思ったお富が自分を忘れて楽々と暮らしているのに腹をたて強請る。多左衛門は、商売でも始めてそれからまた来なさいと与三郎に金を渡して帰す、多左衛門は帰り際にそっと自分の紙入れを置くがそこに入っていたお守り、それはお富の持っているのと同じもの。見て驚くお富、多左衛門は兄さんだった、これがわかり与三郎と寄りを戻すが・・・

この演目は初めて観るもの。昨年歌舞伎作者の河竹黙阿弥を題材にした小説「元の黙阿弥」(奥山景布子)を読んだが(こちら参照)、その中で、黙阿弥が作った「切られお冨」と言う作品が出てくる。この「切られお冨」は当時黙阿弥のライバルであった瀬川如皐が先に作ってヒットした「切られ与三郎」の書き換えであり、この「切られ与三郎」こそ本日上演の与話情浮名横櫛の通称であるのだ。そういったこともあり観たくなったのだ。

さて、今日の演目の解説をイヤホンガイドで聞いていて驚いた。この「切られ与三郎」を歌にしたのが今の60才以上の人なら知っている人が多いと思うが、春日八郎がむかし歌って大ヒットした「お冨さん」なのである。

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店

歌詞の粋な黒塀というのはお冨が住んでいる多左衛門の屋敷の洒落た渋墨塗りの黒い塀のことであり、与三郎とお冨は赤間源蔵に逢引きを見つかり、二人とも生きてはいないと思っていたのだ。それが両方とも生き残り、与三郎はゆすりたかりで生活し、お冨は大邸宅に住む身になっていたことから騒動になるのがこの演目だ。「玄冶店」(げんやだな)と言うのは現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目あたりの地名で、今でいう高級住宅街、徳川家光に仕えた医師の岡本玄冶の敷地跡から、その一帯が玄治店と呼ばれるようになったそうだが、歌舞伎では実名を使わず「源冶店」としたものだ。今ではこの玄冶店と言う地名は残っていないが、ちょうどそのあたりに「玄冶店濱田屋」という料亭があり、人形町の交差点に玄冶店跡という石碑が立っているようだ。濱田屋は知っていたがこの石碑は知らなかった。こういう石碑などは原敬首相や浜口雄幸首相の暗殺現場にもあった(それを見たときのブログ)が普段は気付かないものだ。今度人形町に行ったとき確認したい。

さて、与話情浮名横櫛(切られ与三郎)であったが、与三郎役の中村隼人が良かった、大向こうから何回も声がかかっていた。また、お冨役の中村米吉もなかなか良かったと思う。この2人は両方とも似合いの役だと思った。また、蝙蝠安の尾上松也も良い感じを出していた。さすが座頭だ。

神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)どんつく

荷持どんつく:坂東 巳之助
親方鶴太夫:中村 歌昇
太鼓打:中村 種之助
大工:中村 隼人
子守:中村 莟玉
若旦那:中村 橋之助
芸者:中村 米吉
白酒売:坂東 新悟
田舎侍:尾上 松也

ウィキによれば、若手登竜門として歌舞伎の常連客らに親しまれている『新春浅草歌舞伎公演』の2024年開催が決定時点で興行主・松竹より「今回で一区切り」との話があり、座頭・尾上松也のみではなく、四代目中村歌昇や巳之助ら主な30代メンバー7名の卒業が決定されたので、巳之助は全員が一緒に出演可能な演目をと考え、三津五郎家の家の芸でもある『神楽諷雲井曲毱、通称:どんつく』を選択した。舞台上の賑わいを江戸時代の民衆にとってのエンタメとして、観客にも疑似体験して貰えれば嬉しいとインタビューにて語っている。

午前の部の最後を飾る演目として、新春歌舞伎出演の全員が勢揃いの所作を存分に楽しめた。

 

さて、今日の幕間の食事は、淺草松屋の地下で「ゆしま扇」の弁当にした。また、甘味は公会堂近くの舟和の「あんこ玉」にした。1個から売ってくれるので有難い。

2時過ぎに終わったので、蔵前のパンのペリカンに寄ってロールパン5つ入りを買って帰り、夕食で食べた。相変わらずおいしいパンであった。

 


陸奥宗光「新訂蹇蹇録(日清戦争秘録)」を読む(その4・完)

2024年01月16日 | 読書

(承前)

「第十四章講和談判開始前における清国及び欧州諸強国の挙動」から「第二十一章露、独、仏三国の干渉(下)」まで

  • 講和条約開始前の段階で、政府内部のみならず国民の間にも講和条件についていろんな意見が出た、特に領土割譲や賠償金について。
  • これに対して、講和条件はあまりに苛大になるのは得策ではないと主張し一書をしたためて伊藤総理に渡したのは谷子爵であった。しかし、世間の強気の論調に抗してその内容を公にすることはできなかった。
  • この時期、我が国一般の人心は、戦争に厭きてなく、講和はまだ早いと叫んでおり、たとえ講和するにしても清国に対し今一層の屈辱を与えることを以て自ら快とする状況であった。欧州各強国が何らかの陰謀、野心を持っていることに考えが及ぶ人はいなかった。
  • 講和の予備交渉である広島会議において清国から全権大臣2名が来日したが、全権委任状は国際的な要件を満たしていないため、会議は成立したかった。この時、日本全権の伊藤総理は「従来清国は殆ど全然けい離し、時にあるいは列国の社団に伍伴するために生じる所の利益を享受したこともあるが、その交際に随伴する責守は往々自ら顧みざることあり。清国は常に孤立と猜疑とを以てその政策となす。故に外交上の関係において善隣の道に必要とするところの公明真実を欠くなり」と述べた。
  • この頃、欧州各国では、講和条件は苛大に失せず、平和回復の速成を望むとなった、新聞社説でも欧州各国は日本が清国大陸の寸土たりとも割取することを許諾せざるべしとなってきた。
  • 下関談判において日本側の講和条件を見た李鴻章は、この提案に自己の意見を述べるのを避け、以てその責めを逃れていた。そして、反論として勉めて事実問題に入るのを避け、専ら東方大局の危機を概言し、日清両国の形勢に論及し、日本の国運を賞賛すると同時に清国内政の困難を説き、人を激し人を悦ばすと共に人の憐れみを乞わんとするが如し、と述べている。
  • そして、相手をして本題に立ちいるを得ず帰路に彷徨せしむるは特に清国外交の慣手段なり、故に我は我が提案の全体もしくは各条につき事実問題を論決すべしと主張した。
  • 講和条約は全権同士で4月17日に調印。その後天皇や中国皇帝の批准を得て明治28年(1895年)5月8日に手続が完了する予定だった。

  • 4月23日に、露・仏・独の在京公使が外務次官に面会し、講和条約中、遼東半島割地の一条について異議を提示した。
  • 露国は昨年以来その軍艦を続々東洋に集合し、今や強大なる海軍力を日本、支那の沿岸に有し居るのみならず、昨今の形勢を見て世間種々様々の流言飛語放つもの少なからず。
  • 就中露国は既にこの方面の諸港に停泊する同国艦隊に対して、24時間にいつでも出帆し得るべき準備をなし置くべき旨内命を下せりとの一事はすこぶるその実あるが如し。
  • 閣議で検討したのは伊藤総理の3つの案、全面拒否、列強会議を作り議論、受諾。いろいろ議論して勧告の全部または一部を承諾せざるを得ないことになった。ただ、批准交換の日、5月8日まで十余日あるので、一方においてなお対応策がないか必死に検討し、露・英・伊・米各国公使が苦心惨して各国の助力が得られるか探ったが、伊国が同情を示した以外は効果がなかった。しかし、この外交努力は決して無駄ではなかった。干渉してきた三国がいかなる理由で干渉してきたのか、その干渉の程度は如何に強勢なのか、第三者たる諸国がこの事件にどういう関心を持っているかがわかったからだ。また、実力上の強援を得られなくても、徳義上の声援を博し、三国を牽制し得た。
  • この結果、三国に全部または一部を容れ妥協を図るしかなくなった。露国の底意は日本が遼東半島を獲得すれば、将来、半島のみならず満洲北部を併呑し露国の領土を危うくするというものだが、露国は猜疑心強く、その憶測すこぶる過大である。
  • 三国干渉は当初露が大陸において日本が領土割譲を受けることが自国に対する脅威になる、また、嫉妬の情から(校注341-2より)から反対し、当時露仏同盟があったので仏が加わり、最後に独が加わった、これが意外に思われた。陸奥は、独は戦争中、日本に懇篤の表彰をしていたので、三国干渉への突然の参加を「独の豹変」と言っている。独仏間に確執があるところ、独は露仏同盟の親密なるのを嫌っている所に日清戦争終結の難問が出て、英が退き、露が窮するのを見て独これを好機会と見て俄にこれに投じた、としている。すなわち、独の豹変の底意は全くよって以て欧州大陸の政略上、仏露の同盟を遮断し、遂に仏国をして孤立の位置に立たしめんと欲するためである。
  • 日本に対する干渉を躊躇していた露は独仏の援助を得て、前日までの姿勢を一変させ、4月23日に至り、傍若無人に猛然恣意運動を始めた。このように三国干渉の由来は、その根本は露国であることは勿論だけど、露国をしてかくまでに急激にその猛勢を逞しくするに至らしめたのは、実に独の豹変に基因していたからだ。
  • 日清戦争後、なお列強割拠の形勢は利害互いに相出入りし、その戦争の終結の決心は単に砲火、剣戟のみによらず、外交の駆け引き敏活ならざれば、交戦者往々意外の危険に瀕することになる、要するに兵力の後援なき外交はいかなる正確に根拠しても、その終局に至り失敗を免れない。
  • 三国干渉の話が起こると、清国からの領土の割譲は多いほど良いと言う戦勝の熱狂が社会に充満していたが、三国から砲撃を受けまた戦争になるかもしれないという恐怖と屈辱感に満ちた。講和条約締結期日まで2週間しかない切迫した状況で政府は内外の形勢調和に苦心し、講和条約は予定通り締結して、同時に三国の干渉を受け容れると言う危機一髪のギリギリの決断をした。あとで振り返ってもこれ以上のことは誰もできないであろう。

この章では日清戦争の講和条約締結とその後の三国干渉に我が国がどう対応したのかが詳しく述べられている。陸奥はあらゆる手段を使って情勢判断をし、対応方針を考え、伊藤総理や閣僚と協議しながらギリギリの交渉を進め、結果として我が国を誤りなく導いた。その功績は大きいだろうと感じた。陸奥ら我々の先人たちが如何に苦労して困難な時代を乗り切ってきたのかよくわかる。

黒船の軍事的圧力により開国し、苦労して近代化を進めていた我が国であったが、まだ国際社会ではよちよち歩きの半人前であった。その我が国が日清戦争においては朝鮮、清国のみならず露国、英国などの他国の情勢把握、外交交渉などにおいて素晴らしい対応力を見せ、かつ、他国から非難されることがないよう細心の注意を払いながら行動できたのは驚異的と言うべきあろう。当時のリーダー達がいかに偉大であった改めて認識した。

一方、我が国国民は、清国を頑迷愚昧の一大保守国と侮り(清国も日本に対し、妄りに欧州文明の皮相を模倣する一小島夷と嘲り、両者の感情氷炭相容れず)、予想外の連戦連勝の報に増長し驕慢に流れ欲望が増大したなどあまり褒められたものではない一面を有していた。これらの点は仕方ない面もあるが後世の我々が教訓とすべきであろう。

陸奥であるが、以前より肺結核を患っており、明治28年に三国干渉が到来したとき、この難題をめぐって閣議が行われたのは、既に兵庫県舞子で療養生活に入っていた病床においてであった。そして、明治30年(1897年)8月24日、肺結核のため西ヶ原の陸奥邸で死去した。享年54才。

(完)


田中学「きみのお金は誰のため」を読む

2024年01月15日 | 読書

田中学著「きみのお金は誰のため」(東洋経済新報社)をKindleで読んで見た。副題に「ボスが教えてくれたお金の謎と社会のしくみ」とある。私がよく見る株式投資関係のYouTuberが推薦していたので興味を持った。本の帯には「大人も子どもも知っておきたい経済教養小説」と書いてある。

小説の主な登場人物は3人

  • 一人は中学2年生の佐久間悠斗君、家はとんかつ屋で両親と兄と暮らしている。学校で担任の先生による進路指導があり、「年収の高い仕事が良いです」と希望を述べる。
  • もう一人は若い女性の久能七海、アメリカの投資銀行の日本支店に勤務し、為替や日本国債の取引を担当している。
  • そして「ボス」と呼ばれる初老の男性、投資で莫大な富を築く。七海の会社の顧客、洋館の大邸宅に住む。

あるきっかけでこの3人がボスの邸宅でお金の話をすることになり、何回か続く。その主要なテーマは以下の3つ。これらはボスから若い二人に問題提起され、二人があれこれ答えるが、最初のうちはピント外れな答えでボスは満足せず、ヒントを出して二人に考えさせる、そうして議論していくうちにボスの言いたいことがわかってくる。

お金の謎1:お金自体に価値はない
お金の謎2:お金で解決できる問題はない
お金の謎3:みんなでお金を貯めても意味がない

ボスの話はなかなか“うんちく“に富んでおり、面白い。読んでいて、”なるほど“と思った所を少し紹介しよう。

  • お金に価値があるのは選ぶ物があるときだ、教育に力を入れようと国が予算をつけても教える人がいなければ何もできない(お金で解決できる問題はない)
  • ジンバブエの人がハイパーインフレに苦しんだのはお金が増えすぎたからではなく、物が生産できない状況にあったからだ、インフレ対策で金を配っても意味がない(お金で解決できる問題はない)
  • 少子化が進めば生産する人が減り、どんなに金を持っていても買えるのもがなく、生活していけない(お金に価値はない)(みんなでお金を貯めても意味がない)
  • 年金問題は金が足りないのが問題なのではない、少子化で生産力が足りないのが問題なのだ、年金問題を解決するには少子化をくい止めたり一人あたりの生産性を上げることだ(お金を貯めても意味がない)

確かに金があれば何でも解決するわけではないであろう。金で命は買えないし、金さえあれば結婚できるわけではないし、友人ができるわけでもない。金さえあれば幸せになれるわけでもないだろう。

以上のような話をした上で、格差や将来へのツケについての議論に発展していく。

  • 現代の格差はフランス革命時の王室と庶民の格差と同じくらいになっていると言うが、内容は異なる。今は一部の人が富を独占しているが、その独占している人も庶民も同じスマホを使っているし、同じネットを使ってオンラインでネット通販をしている、金持ちも庶民も同じだ。富の格差はあるが暮らしぶりはフランス革命時ほどの格差はない
  • 今の大金持ちはみんなを等しく便利にした会社の創業者が結果的に金持ちになったものだ。中身を見ないで富の格差だけ見て批判するのはおかしい
  • 問題なのは、富の格差が生じたり、ネットの普及で街の商店が減ってきた時、「社会が悪い」と思うことだ。社会という悪の組織のせいにして自分がその社会を作っていることを忘れていることが一番タチが悪い
  • 国の借金が増えると上の世代に文句を言う人がいるが、間違えだ。政府の借金は個人や企業の預金となっている。上の世代が将来にツケを残しているのではないことは明らかだ、世代間の格差ではなく、同世代間の格差が問題である
  • 借金をして破綻した国とそうでない国の差は、借金をして誰に働いてもらったかの違いだ、借金して国内の労働力に頼る場合は問題ない
  • 「誰のために働くのか」、それを「家族のため」と思う人は、すなわち家族のために金を儲けると考えている人だ。そうでなく、働くのは誰かのためだ。良いサービスを提供する、良い商品を販売する、それはみな、世のため人のためである。その働くという行為にお金は絡むかどうかは本質的な問題ではない
  • 働くのは自分たちの社会のためだ、その「自分たち」という範囲をどんどん広げて行くのが大事だ、金の奴隷になっている人ほどこの「自分たち」の範囲が狭い、これを広げるには目的を共有することが必要だし、人を愛することが必要

この小説の最後には、どんでん返しのような驚きがあるが、それは読んでのお楽しみにしよう。お金に関することについて、いろいろ考えさせる小説であることは確かであり、金にまつわる問題について改めて考えを巡らせるには良い本だと思った。


都響「第991回定期演奏会」(ブルックナー生誕200年記念)を聴きに行く

2024年01月14日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された東京都交響楽団第991回定期演奏会Cシリーズ(ブルックナー生誕200年記念)に行ってきた。今日はS席、6,600円。座席は若干の空席があったが、9割くらいは埋まっていたのではないか。

演目

モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー/交響曲第1番 ハ短調 WAB101(1891年ウィーン稿)

出演

東京都交響楽団
指揮:下野竜也
ピアノ:津田裕也

ピアノの津田裕也氏は、仙台市生まれ、05年東京藝術大学を首席卒業、10年東京藝術大学大学院修士課程を首席修了、11年ベルリン芸術大学を最優秀の成績で卒業。既に数々の賞を国内外で受賞しており、また、国内及びドイツの主要オーケストラとの競演、ソロリサイタルの開催、デュオやトリオを組み演奏やCDの発売などもしている。細身の体で繊細な感性をお持ちのように見えた。

さて、今日の演奏であるが、演奏開始前に能登半島の地震により亡くなった方々に捧げる追悼演奏をやりますとアナウンスがあり、バッハの管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068より「エア」(G線上のアリア)が演奏された。

モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番、ハ短調 K.491。

モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、ニ短調の第20番とともに短調をとるこのハ短調の作品は、1786年3月24日に完成したもの。私はモーツアルトの2つの短調のピアノ協奏曲はいずれも大好きだ。モーツアルトの短調の作品はただ暗い、もの悲しい、重いなどのイメージだけでは語れない、そういった中にも「美しさ」とか「やさしさ」を感ずるのである。本作品の第2楽章はホ長調であるが本当に素晴らしい癒やしのメロディーだ。今日の津田氏のピアノはその辺の所を良く演じていたと思う。

作家の百田尚樹氏は「この名曲が凄すぎる」(PHP)の中で、モーツアルトの短調はいずれも恐ろしいまでの傑作だとし、本当はモーツアルトの心の底から生まれる旋律は短調ではなかったかと述べている。そこまで私はわからないが、やはり24番は素晴らしいと感じた。

ブルックナー/交響曲第1番 ハ短調 WAB101(1891年ウィーン稿)

私はこの曲を聴くのは初めてだ。特に事前に予習としてCDを聴いてきたわけではないが、都響のホームページに出ている曲目の解説によれば、この1番交響曲は「全体の壮大な構成など以後のブルックナーの交響曲を特徴づけることになるいくつかの手法や性格が示されいる。初演は1868年5月、成功したとも失敗したとも評されているが、その後長らく演奏される機会がなかったが、1890年3月からこの第1番の改訂作業に入り、1年以上かけてこれに取り組む。こうして装い新たにされたのが改訂稿(ウィーン稿)だ、2つの稿の大きな相違点はオーケストレーションにあるため、当然ながら両稿の異同も主として響きの違いにある」とある。

この説明を読んだ上で本日の演奏を聴いてみたが、第一印象は良い曲だと感じた。後のブルックナーの交響曲を思わせる雄大さも感じた。演奏時間は50分の長さだったが、集中力を維持して聴けた。ただ、初稿(リンツ版)との違いなどはわかるわけもなく、指揮の下野竜也がウィーン稿をどう解釈して指揮するかが注目されるとホームページに書いてあったが、そこまでの知識はないのでこれ以上の感想は述べられない。

ブルックナーは今まで多く聴いてきたわけではない、CDで持っているのも4番、7番、8番だけだ。8番は朝比奈隆指揮の大阪フィル版とショルティ指揮のウィーンフィル版があるが、いずれも良い曲だと思っている。私の敬愛する宇野功芳氏もモーツアルトに加えブルックナーを絶賛しているので、今後もっとじっくりと聴いていきたい。

楽しめました。

 

 


祇園茶寮×タニタカフェと水道蛇口オブジェ

2024年01月13日 | グルメ

柏に用事があって出かけた時、ランチを柏の葉の駅に隣接してる「ららぽーと柏の葉」に入っている「祇園茶寮×タニタカフェ」でとった。ここのレストラン街にはたまに行くのだが、行列ができていることが多く、入るのを諦めていた。しかし、今日は行列もなく、直ぐに入れたので初めて入ってみた。

タニタカフェとは、ホームページによれば「健康総合企業のタニタが提案する「楽しさ」「心地よさ」といった“こころの健康づくり”をテーマにした新しいスタイルのコンセプトカフェ、日々の暮らしの中で自然と健康を取り入れる事を目指します」とある。メニューについては「日々の暮らしの中で自然と健康を取り入れられ、“楽しくておいしいヘルシーメニュー”を提供します。たくさんの野菜を使用したフォーやワンプレートなどの食事メニューや、“噛むスムージー”=カムージー、カロリーは控えめでもおいしさはそのままのスイーツなど、様々なスタイルで提供します」とある。

また、京都祇園茶寮というのは京都の八坂神社南楼門前にある料理屋のようだが知らなかった。普通のお座敷で日本料理を食べさせるのではなく、パンを使った料理や抹茶ラテなどの飲み物を提供するモダンな店のようだ。

店の外にはメニューのサンプルがでており、かなりいろんな種類のメニューが用意されているようである。中に入って、メニューを見ると、タニタ独自メニューと祇園茶寮とのコラボメニュー、祇園茶寮独自メニューがある。考えた結果、私はコラボメニューから「15品目の季節野菜の黒カレー(味噌汁付き、1,350円くらいだったか)」を、嫁さんは祇園茶寮独自メニューから「彩り御膳:豚しゃぶ、かにクリームコロッケ、京おばんざい3種」(1,350円くらい)を選んだ。

食べてみると、さすがにヘルシー感満載、体に良さそうなものばかりで作ってある感じがした。シニアにはちょうど良いメニューである。私が食べたカレーはコラボメニューなので、京風おばんざいも数種類丸く丸めて盛り付けてあり、おいしかった。

来ている客を見るとけっこう若いカップルなどもいて、どちらかと言えば高齢者は少なかった。最近の若者は健康志向なのか、悪いことではないだろう。

おいしく頂きました。ご馳走様でした。

 

ところで柏の葉付近の道路を走っていたら奇妙な建造物に出会った。水道から水が出ているオブジェで、その存在は以前新聞にも取り上げられており、知っていたが実際に見たことはなかった。それが今日、偶然にその前を通りがかったのである。

ちょっと調べてみると、これは柏市十余二の「ダイエックス(dyex)」という建物設備、水道工事関係の会社の巨大広告オブジェのようだ。ただ、以前の写真を見ると以前はもっと低位置に蛇口が設置してあったが、今日見たものはかなり高い位置に蛇口があった、手を加えたのかもしれない、遊び心のある会社かもしれない。

なかなか面白いオブジェだと思った。近くに来たら見に行ってみるのもよいでしょう。


すき家で「肉2倍牛カレー」を食べる

2024年01月12日 | グルメ

今日の昼は一人だったので、昼食は近くのすき家に行って「肉2倍牛カレー」920円を食べてみた。以前、すき家のホームページを見て、このカレーがおいしそうだったので食べてみたかったのだ。すき家の看板を見ると、「牛丼・カレー」とでている。すき家は最早牛丼だけでなくカレーが一つの重要な売り物の店になっているようだ。力を入れているのだろう。

いつものようにカウンター席に腰かけ、目の前にあるタブレット端末から注文をした。待ち時間は5分くらいか。直ぐに出てきた。

食べてみると、カレーのルーはいつものすき家のカレーの味、牛肉は牛丼にのっている牛肉の味、その慣れ親しんだ両方の味を混ぜながら食べるとおいしかった。ただ、なんとも言えない不思議な味でもある。牛丼とカレーが混ざった複雑な味、面白いとも言えるが中途半端とも言える。先日食べた「炭火焼きほろほろチキンカレー」750円ほどのインパクトはないと感じた。ただ、値段は「肉2倍牛カレー」の方が高いので、こちらの方が贅沢なメニューなのだろう。

実は、今日は「肉味噌牛坦々鍋」890円も食べたかったが、迷った末カレーにした。次回は「肉味噌牛坦々鍋」に挑戦したい。

ご馳走様でした。