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読響「第263回日曜マチネシリーズ」を聴きに行く

2024年01月22日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された第263回日曜マチネーシリーズを聴きに行ってきた。今日は2階のA席、6,000円。14時開演、16時前終演。ヴァイグレ指揮の読響の演奏を聴くのは初めてだ。客席は1階はほぼ満員、2階・3階は8割方の埋まり具合か。来ている人の平均年令は高めに思えた。

出演

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ(独、61)
クラリネット=ダニエル・オッテンザマー(墺、37、ウィーンフィルのクラリネット奏者)

演目

ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序(8分)
ウェーバー:クラリネット協奏曲第2番 変ホ長調 作品74(19分)
(アンコール:ダニエル・オッテンザマーによる即興演奏)
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」(39分)

ウェーバー(英、1826年6月、39才没)のクラリネット協奏曲第2番を聴くのは初めてだ。事前にYouTubeで予習してみると結構親しみやすいメロディーだ。ループ再生にして午前中に読書をしながらBGMで何回も聞いていると、良い曲だなと思った。俄然、芸術劇場で聞くのが楽しみになってきた。

当日もらった読響のノーツを読むとウェーバーはクラリネット奏者のベールマンのために小協奏曲を作曲し、ミュンヘンで初演された際、バイエルン王が感嘆し、直ちにウェーバーに2曲の協奏曲を作曲するように求め、できたのがクラリネット協奏曲の1番と2番(いずれも1811年)であると書いてある。ただ、これ以降ウェーバーはオペラの方に興味を移していき、「魔弾の射手」は1821年初演である。

この曲を何回か聞くうちに何となくこの曲は何も知らされなければモーツアルト(1791年没)の曲ではないかと思えてきた。曲全体のムードもそうだし、部分的にもフィガロの結婚のようなメロディーもあり、ウェーバーはもしかしたらモーツアルトを意識して作曲したのではないかと思えてきたがどうであろうか。

クラリネットのダニエル・オッテンザマーはさすがウィーンフィルのメンバー、素晴らしい演奏だった。そして、アンコールで即興演奏をしてくれた。静かな曲でまるで尺八を吹いているように感じた。ところがその静かな演奏中、2階の私の席の直ぐ側で携帯の通知音であろうか2回も鳴らした不届き者がいたのにはがっかりした。

本日のメインは何と言ってもベートーベンの「田園」である。「田園」は私がクラシック音楽を聴き始めた40才頃からずっと聴き続けている曲であり、いろんな思いがある。以前、「田園」について思うところを当ブログで書いた(こちらを参照)が今日は少し別の観点から「田園」について述べたい。

ベートーベンの「田園」で思い出されるのはウィーン郊外のハイリゲンシュタットだ。田園交響曲の田園とはハイリゲンシュタットのことだ。ベートーベンはこのちいさな町をよほど気に入ったらしく11回も滞在した。そして、この町で「田園」の楽想をふくらませ作曲した。

問題は「ハイリゲンシュタットの遺書」のことだ。これはベートーベンが難聴を苦にしてハイリゲンシュタットで遺書を書き(1802年10月)、死のうと思ったが、死ななかった。その理由はわからないが作家の宮城谷昌光氏は「死にたいと思ったが、死のうとはしなかった、そして第5交響曲と第6交響曲を書いた、このあたりの微妙な心理の襞が重要だ」と書いている(「クラシック千夜一曲」)

このハイリゲンシュタットの遺書を書いた家が今ではベートーベン記念館となっている。ウィーン旅行に行ったとき是非ハイリゲンシュタットに行きたいと思い、シェーンブルン宮殿に行く時間を惜しんでハイリゲンシュタットのベートーベン記念館を訪問した。ただ、ベートーベンが歩きながら「田園」の構想を練ったことで知られる「ベートーベンの散歩道」が近くにあったが、嫁さんが朝から歩き回ってもう疲れたと言うので行くのは諦めたのが残念だった。


(ベートーベン記念館訪問時の写真から)

今日のヴァイグレ指揮の読響の演奏だが、「田園」については自分の評価基準が確立されており、すなわちベーム指揮の「田園」かトスカニーニ指揮の「田園」を理想とする、それと照らしてどうか、という判断をするのを常とするが、今日の演奏は合格点だと思った。私が注目するのは第5楽章だが、今日の演奏は素晴らしく、身も心も演奏に捧げることができた。ヴァイグレはなかなか良い指揮者だと思った。

終演後、出口のところで指揮を終ったばかりのヴァイグレが能登半島地震の義援金寄付の箱を持って立っていたのには驚いた。私は既に石川県指定の口座に直接振込済みであるので通り過ぎたが、ヴァイグレさんも偉いものだ。