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気ままに生活してるシニアの残日録

人形町の「玄冶店史跡碑」を見に行く

2024年01月31日 | 街歩き・国内旅行

人形町でランチを食べて、壽堂で黄金芋を買い、そのあと、行ってみようと思っていた「玄冶店史跡碑」を見に行ってみた。場所は人形町の交差点の直ぐ近くにある。

なぜ、この史跡碑を見たいかというと、先日観劇した新春浅草歌舞伎の演目に、「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」があり、主人公のお冨が玄冶店(げんやだな)の質屋の大番頭に囲われていたため、玄冶店という地域に興味を持ったためである。

玄冶店は、江戸時代の新和泉町、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたりであり、人形町3丁目交差点付近には「玄冶店」の史蹟碑が建てられその歴史が書かれている。

玄冶店の地名は、徳川家の御典医であった岡本玄冶(1587~1645年)に由来し、玄冶は3代将軍家光が痘瘡を病んだ折りに見事にこれを全快させその名を高めたといわれた人物。玄冶は幕府から拝領した土地に借家を建て、庶民に貸したことから一帯が「玄冶店(げんやだな)」と呼ばれるようになった。

(注)江戸時代には店舗のことは「見世(みせ)」と書いたり「店(たな)」と書いたりしていた。「店(たな)」と読む言葉には商家の勤め人のことを「お店者」、借家を借りるのを「店借り」、借りてる住人を「店子」などがある(Yahoo!のQ&Aより引用)。

人形町の地下鉄の駅を出ると石碑は直ぐに見つけられた。そしてその史跡的な意味が書かれた説明板に上に書いたようなことが書かれていた。あたりを見ると、この石碑に注目する人は皆無で、言われなければ気付かない存在となっているが、これは仕方ないだろう。

玄冶店の地名はなくなったが、玄冶店濱田家という料亭が直ぐ近くにある。店のホームページを見ると「濱田家は大正元年、歌舞伎の舞台としても知られる玄冶店の跡地にて創業致しました。以来百余年、料亭としての伝統を時代の風を採り入れながら今も大切に守り続けております。」と出ている。由緒ある料亭のようだ。昼食は2万円から3万円、夕食は3万円から5万円くらいの値段で、一般庶民が利用する店ではなさそうだが、「一見さんお断り」ではないようなので、お金に余裕のある方は利用できるのでしょう。


(玄冶店あたりの景色、右が濱田屋)

見聞を広めることができました。