子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

17 家計管理の実行 その13 

2009年02月04日 | 私が歩んできた道を振り返って
家を建て、世帯を持った。私が29才昭和34年(1959)である。

一番もん大事なのは、1.計画し、2.計画通りに実行できるか、3.何か問題が無いか。
文字どおり1.プラン 2.ドウ 3.チエックである。

何事も計画通りにスムースにいくもではない。常に何語とかの問題が起きてくる。
この場合に備えて考えながら進んで行く用意を常にしておくことが肝要だと私は思っている。。

《結果を求めるには》

私の考え方は常に3つの考えを立てて進んでいく。

 1.一つは、仮説を3つ立てる。計画は3つの案を立てると言うことから始まる。
 2.二つ目は、3つの仮設内からこれだと思う方法を選んで実行する。
 3.三つ目は、実行する段階で、上手く進まない、計画通りでない。
   こんなときには、一つ目の3つある仮設に戻り、3案ある仮設を再検討するのだ。
山道でも、最初の計画よりずれ込んでいたたら、なるべく早く軌道修正をしてやらないと、深みにはまり、修正がきかなくなるものだから。
ある時には、逆戻りして、次の仮設からやり直す覚悟が必要だ。こんな時になった時には相当な決心を要するものだぞ。


《我が家の生活設計の実行》

 1.土地を借り。
 2.家を建てる。
 3.結婚式を挙げる。
 4.新婚旅行を実行した。
 5.新婚世帯の生活設計を立てる。

此処までの話は、前のブログにくどくど書いてきた。
一番肝心なのは、私の財政問題である。

私の我が家は、職人の家庭で小沢山、何時も金が無かった。
こんなことから、我が家では親に金銭面で、全然頼れない環境であった。

 1.の「土地を借り」から、5.の「新婚所帯の生活設計」まで、自己責任でやり抜かねばならないのだ。

 一つ目の、土地を借りは、幸い借地だったので「権利金」の支払で済んだので金銭的には、計画金銭は私の考えていたものより1/3で済んだ。
残りの金銭は建築費と結婚守備予算に回せる。
だだし、毎月「地代」の支払がある。
この時代は、毎月の家計「私の月給」の中の支払計画に組み込むひつようがある。

 2.の「家を建てる。」では、自己資金と、職場借り入れ、住宅金融公庫借り入れを、それぞれ1/3として計画したので、家計の中からの支払が増える。

まず、「住宅金融公庫の借り入れ」は15年返済としたので、「家賃」のつもりで、毎月の家計の中に組みこむ。

そして、「職場からの借り入れ」は、私の毎回の賞与1/2を充ててかえす。
私の計算では、返済終了まで5年間と計算した。
賞与の返済1/2としたのは、新婚世帯で家具什器が何も無い出発ですから、買える財源は賞与しかないのですから。
ここで、女房に相談し協力を求めることにした。
女房も子供が出来るまで、共稼ぎをすると言っているので、女房も賞与の1/2について、「職場借り入れ」の返済に協力してもらえないかと提案。
快く「いいですよる」といってもらえた。
女房も勤めているあうだは、自分の月給はまるまる自分で使えるし。賞与も半分は自由だ。
こんなことで、「職場借り入れ」は5年の計画が2年半で終わった。

 3.「結婚式を挙げる。」ここは、私自身の資金でやり抜くしかない。

前にも書いたが、私の兄弟に相談したら、総予算の20%を出しておけ、残りは「お祝い金」で賄えると思うからと言うことになり、翌日に「新婚旅行」に出かけ、帰ってきてから、清算する。
「結婚式」の清算も、何とかやりくりして済んだ。

 4.「新婚旅行」は、「紀州旅行」が「伊豆半島旅行」になったので、費用が浮いて、土産代や旅行中の小使い、に回すことが出来た。
ここまでくれば、金銭的な目途も先が見えてきて、私の精神面も安定して「新婚生活」を迎える心構えが出来た。

 5.「家庭世帯の生活設計」のポイントは、「私の小使い」を含めて、「私一人の月給の範囲内」で、毎月の生活を切り盛りするという事で、「私の月給袋そっくり女房に渡して任せる」ことにしたことだ。
女房も2年程度の友が瀬技で、やがて「専業主婦」という姿が見えている。
当時は、女性は「結婚」を契機に寿退職するということが普通の世情だから。
いお、当時は女性の職場と言うのは、例外なく少なかったし、勤めの女性は珍しかった。

さて、「私の月給の中から決まって定期的に支出する金銭」を上げるとこんなことかな。
 ア・私の小使い。(この金額は、女房と相談の上決めた額)
 イ・地代。
 ウ・住宅金融公庫の毎月返済。
 エ・公共料金の支払。
 オ・毎日の食材。
 カ・たまに私の肌着・靴下程度
 キ・専業主婦になってからは、自分の裁量での買い物「洋服類」
 ク・これらのやりくり内容には、私は口を挟まない。
 ケ・家計がどうしても、不足する時には、私の「蓄えている賞与から補足する。」
《50年間やって来た生活》

以上、こんな生活計画で我が家は、現在までその後に一回も借金もせずに50年やって来た。
まあ、貧乏人の生活の知恵と思ってみてください。

子供も3人育てたし、それぞれ所帯を持たせた。
外孫を含めて孫の数は5人。
家も増築を2回したし。
現在、息子夫婦に二階を全部上げて、玄関だけ共有だが、(風呂、台所、便所、3部屋)がある。

我が家は、現在年金生活で生活している。
家計のやりかは、現在でも同じやり方である。

この項「私が歩んできた道を振り返って」は、ここで終わることにする。