子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

目の付け方(私の金銭管理) その8

2009年06月07日 | 我が家のつれづれ
私も28才になった。
昭和33年(1958)のことである。

当時の結婚年齢としは、この年28才では「晩婚」である。
同じ職場内に勤めている、女子職員が何かと気になるようになった。

ハイキング、海水浴などを私が計画する場合、必ず何人かの女子職員の中にいて参加している。
よけいなこともいわすせに、会計・料理など、頼まれたことはやってくれる。
私より5才年下である。

もう一人、気になる私より2才年下の女子職員がいて、彼女は確り者で何事も先頭でやってくれる。
彼女もいいなと思うようになった。

《当時の結婚事情》

 A.当時は、職場内での男女交際はご法度である。
 B.もし仮に、交際が判ると、男か女のどちらかが、退職または・ほかの店舗に転勤になる。
 C.結婚のための交際でも、どちらかが退職する雰囲気がある。
 D.女子職員は、「寿退職」と言って、結婚後も勤めていることはまずない。
 E.基本的に、結婚後の女子は、「専業主婦」というのが世間常識である。

《結婚を決めた》

私は、5才年下の同じ職場の女子職員を「ハイキングの帰り道に映画にさそったら。」、「ハイ」と返事をもらえた。
こんなことで、その後数回「映画に誘う」「二人きりでのハイキングにもOKが出た」

こんな、出会いから、「我が家での私の立場を話し」「彼女の家庭内の出来事を聞く」
「彼女は、4人兄弟姉妹の末っ子であると言う。」

彼女の家庭は、「中小企業で従業員も10数人いる様子。」
戦後の復興期のため、仕事も沢山あり、家庭も裕福なようだ」
これに比べ、「我が家は、数段見劣りする家庭だ。」

彼女の親御さんに判ったら「OKが出るか??不安である。」
「親御さんのOKが出るまでは、清く正しくが一番である。」と自分に言い聞かせる。
「お互い、まだ手も握らないで我慢している。」
当時の男女交際は、こんなものが普通だったのだょ。