子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

焦土の東京で 15 先生と中学生の職業

2007年05月20日 | 焦土の東京で 土方と夜間高校生
昭和21年4月から、昼間は(親父の仕事・レンガ職人の手伝い)土方の仕事で夜は、夜間中学3年生と言う生活が始まった。

学校に行ってみると、中学3年生は1クラスで、30人位でこのうち女子生徒が10人程だ。

年令もばらばらで、一番の年令者は30才近いと思われた。
しかし、ほとんどは15才前後である。

職業は、判った範囲で言うと。
 自営運送業、税務事務所役員、不動産屋勤務、日本通運勤務、活版印刷所勤務、薬品会社役員、自動車教習所勤務、ソロバン塾経営、国鉄職員、自転車製造業勤務、信用金庫勤務、荒川区役所勤務、装身具製造業、国立病院事務、あめ横商店勤務、都電の運転手、レンガ職(私)、革靴製造職人、中小企業製造業勤務が4人。

追加 質屋の倅、小革製品製造(印鑑入れなど)。

職業もばらばらである。こんなところかな。そのほとんどは、親の仕事の手伝いをしている者が多い。
(職業を思い出し、調べるのが大変だった。自宅内を3か月位あちこちと探す。年賀状・同期会名簿・学友に電話などで問い合わせる。)

先生は次のとおり。
      担当
大橋 校長
折田 先生 数学 クラスの担任(50才くらい)
関  先生 図工       (25才くらいで、我々生徒の年令に最も近い。)
中村 先生 忘れた、思い出せない。
小倉 先生 英語
小倉 先生 国語
和田 先生 忘れた、思い出せない。
?? 先生 音楽 女の先生だが名前が出てこない。

木村 先生 事務
蓮池 先生 事務

まだ、他の科目の先生が、いらっしゃったと思うが、これくらいしか思い出せない。

勉強が始まる。
一時間目 国語の時間 (国語は、今までも比較的好きだったので、この時間は安心して過ごせた。)
二時間目 数学の時間 (数学は、+÷-×程度で簡単なものならまずまず大丈夫。分数になると判らなくなる。)
           (戦時中の中学校で、ろくに数学の基礎勉強をしていない。
            他の科目全般についても基礎の勉強が足りないことが明白だ。)
三時間目 英語の時間 (英語は、前の中学時代に時間割りはあったが、教える先生が兵隊に出ていて、一回も勉強せず。
            なにもわからない。この時間が一番辛い。)
四時間目 音楽の時間 (音楽部屋に移動して、ピアノの音にあわせて声を出す。中年の女の先生で授業も楽しい。)
           (私は外で仕事をしている関係で、地声が大きいので、リズムがずれると、皆にすぐ笑われる。)

今日の授業はこれで終わる。
学校からの帰り道で、同じ方向に歩いて帰る仲間6人ほどと一緒になった。
同じ年代の仲間で、おしゃべりしながらの帰り道の楽しみが、私に追加された。

のちのち、この学友達と長い付き合いが続くことになる。
77才になった私。今の私とまだ友人としての付き合いがある。大切な友人達だ。

 
《仕事の話》

今度の工事現場は、先の「鉛筆工場」の仕事より規模が4~5倍大きい。

工事主は、「ゴム工場の経営者」だ。
現在の工場の隣接地に、今までより一回り大きい設備を作るのだそうだ。

一つ目は、「ゴム・ロール」の基礎工事。
     (先の鉛筆工場のロールより大きく、2倍くらいのものだと言う。)
二つ目は、「ボイラー」工事。これは、親父の専門の「レンガ造り」
     (ゴム・ロールで練ったものを、金型に入れ、ボイラーの蒸気で蒸し上げて製品を作る。)
三つ目は、「煙突の基礎工事」
     (説明を分かりやすくするために。現在のもので説明すると、電気の送電鉄塔。こんな形の小型なも。)
     (この工事現場の鉄製の櫓は、高さ15メートルくらいに成るという。)

《工事内容をもう少し具体的に》

① 煙突の基礎工事

  今回の「ゴム工場」の煙突は、高さ15メートルの鉄骨作りのものだという。  過日の「鉛筆工場・ロール基礎」は、広さが畳み二畳手度で、深さが1.6メートル位だったが。
  今度の仕事は一回り規模が大きい。
  広さが、畳の大きさで表現すると、4.5畳位。
  深さが、            3.5メートル位。

  この中に、鋼鉄製の煙突を支えるための、鉄の櫓を埋め込む基礎工事だ。

② ゴム・ロールの基礎工事

  先にも、説明したが、ここの「ゴム・工場のロール」は、「鉛筆工場」のものより一回り大きい。
  仕事のやり方は、鉛筆工場とほとんど同じなので、此処では省略する。

③ ボイラーの工事

  ボイラーの工事は、「レンガ職人」の出番だ。
  レンガを積む仕事は、親父の本職だからね。
  
  簡単に説明すると、6畳ほどのレンガ構造物を作って。
  この中に「蒸気を発生させる鉄製の円筒を横剥きにすえて」下から「石炭を燃やす。」
  
  この蒸気で、鋳型に入れたゴムを製品にしあげる。

説明が何か難しいな。
簡単な事例で言えば「鯛焼き」を想像してください。
相手が「鯛焼き」は、うどん粉・あんこだが。

  こちらは、ロールで練り上げた「ゴム」だ。
  この「型に入ったゴム」を「蒸気で蒸し上げる」のだ。

何が出来るのかを言ったほうが、理解が早いだろう。
  「地下足袋の底」「運動靴の底」「工業用品のパッキン」などなど色々な物が作られる。

この工事現場は、30日くらいの予定だという。

B職人のダジャレ

B職人が、最初の現場では盛んに「私に向けた・ダジャレ」や「嫌味」を言ったが、そうは「ダジャレの種」が続かないと見えて、ここの現場では秀逸なものは出てこなくなった。

手作業の知恵を二つ

① 3-4-5 の法則。(板を三枚使つて。90度を測る。)

② 馬鹿棒 の使い方。(中心点を測る。長さを測る。材木だ。)

終戦直後のこの時代、「計量機」や「巻き尺」「水平器」など何も有りません。
すべて、手作業です。今度の工事では「目見当」はまずい。

では、《どのようにしたのでしようか。》次回までに考えてね。