15才で初めての仕事にでかけた。
仕事先は、「鉛筆の芯を製造する工場」の中小企業だ。
当時の中小企業は、事業主の住まいと、工場が同じ土地の中にある場合が多い。こちらの工場も同じ形態で、工事現場に奥さんがお茶などを運んで来て、声を交わすこともある。
奥さん「坊やごくろうさんね。何才ですか。」と必ずと言って聞いてくることが多い。
私 「はい、15才です。」と正直に答える。
《仕事の続き》
職人Aさんが、前日までに畳み二畳程の大きさの四角い穴を掘り進み、深さが職人の腰くらいになった。昨日は約1メートル位掘ったのか。
今日は、この続きを掘り進むのだ。予定は、さらに後50センチくらいと職人のAさんが言っていた。
この位いの深さになると「土に水分が混じり、べとべとしてくる。」バケツに入れて運ぶ土もその分重くなる。
旦那の話「この辺の土地は、昔から隅田川の川原だったところで、上流から流れてきた土砂が堆積し、上層は粘土質、その下に砂が堆積しているのが普通な土質なのだよ。」と言う。
「荒木田の地名。」「この辺の土は、荒木田といって、左官屋さんが使っている 下壁の壁に藁を交ぜて塗りこむ壁の材料になる土なのだよ。」
「この証拠に、現在でもこの下手の町、尾竹橋の近くに、荒木田と言う地名が残っており、交差点に荒木田交番という名称を使っている警察署があるよ。」
旦那の講釈が始まる。大変に参考になるが、話を聞いていたのでは仕事が進まない。
《掘り終わる》
職人Aさんが、鉄の棒を持で掘った場所の底をさらに突き刺して、確かめている。
「砂の層まであと少しあるな。」
「あすは、松杭を20本ほど打ち込むぞ。」といいながら。
「やっとおわったぞ、さあ、一服だ。」と言い穴から上がってきた。
「予定の深さまでにはなったが。まだ、粘土質の場所だ。」
「粘土が予定より深いな。」
Aさんの話「基礎コンクリートが、粘土質の上に乗って止まっているのでは、粘土のため、だんだん基礎が沈みこんでしまう。少なくとも、砂地までと思ったが、水が沸いてきてしまい、これ以上は無理だ。」と言う。
「そこで、対策として松杭を砂地まで打ち込んで、基礎の沈下を防ぐる」と言う訳だ。
《その翌日》
職人Aさんが、朝一番に長靴で掘った穴に降りた。
「これは、昨日より水が深いぞ。」
「バケツを下せ。水を汲むから、上で受け取れ。」
小一時間、三人での水汲みが続く。やっと底の土が見えてくる。
職人Aさん。「職人B、お前も降りろ。」の命令。
私 「穴の上で一人、穴の中をながめている。」
A 「おい坊主、松の杭を三本ほど担いでこい。」の声。
「Bに静かに一本づつ渡せ。」
B 「糞坊主、蛸(たこ)を持って来い。」
私 「蛸って、食べる蛸ですか?。」
B 「馬鹿野労。こんな水の中で蛸など食う訳がないだろ。」
私 「蛸って、どんな形をしているんですか。それは、工事道具ですか。」
B 「この、蛸野労。そんなことも判らないのか。早くしろ。」
A 「20センチくらいの、丸太材木で先のほうに鉄輪が入っていて、持つ棒が二本付いているものだ。」「今朝、家から積んできたやつだ。」
私 「これですか。」
B 「只飯食いの役立たずめ。それが蛸というのだ。」
「逆さまにして、よく見てみろ、頭に鉢巻の箍(たが)を嵌め、胴体に二本の足が付いているだろ。」
私 「職人Bは、よくもこんなくだらんことばかりいうのだろう。」
「駄洒落でも、もう少し増しな言い方を勉強しろよ。」と私は思う。
今日は、水との戦いをしながら、20本の杭打ちで終わる。
さあ、明日からは、次兄と手伝いを加勢に入れての、総勢5人によるコンクリートの打ち込みだ。
現在なら、コンクリート・ミキサーによるのだろうが、終戦後の焦土の東京ではすべて手作業である。
この、話は次回に。
仕事先は、「鉛筆の芯を製造する工場」の中小企業だ。
当時の中小企業は、事業主の住まいと、工場が同じ土地の中にある場合が多い。こちらの工場も同じ形態で、工事現場に奥さんがお茶などを運んで来て、声を交わすこともある。
奥さん「坊やごくろうさんね。何才ですか。」と必ずと言って聞いてくることが多い。
私 「はい、15才です。」と正直に答える。
《仕事の続き》
職人Aさんが、前日までに畳み二畳程の大きさの四角い穴を掘り進み、深さが職人の腰くらいになった。昨日は約1メートル位掘ったのか。
今日は、この続きを掘り進むのだ。予定は、さらに後50センチくらいと職人のAさんが言っていた。
この位いの深さになると「土に水分が混じり、べとべとしてくる。」バケツに入れて運ぶ土もその分重くなる。
旦那の話「この辺の土地は、昔から隅田川の川原だったところで、上流から流れてきた土砂が堆積し、上層は粘土質、その下に砂が堆積しているのが普通な土質なのだよ。」と言う。
「荒木田の地名。」「この辺の土は、荒木田といって、左官屋さんが使っている 下壁の壁に藁を交ぜて塗りこむ壁の材料になる土なのだよ。」
「この証拠に、現在でもこの下手の町、尾竹橋の近くに、荒木田と言う地名が残っており、交差点に荒木田交番という名称を使っている警察署があるよ。」
旦那の講釈が始まる。大変に参考になるが、話を聞いていたのでは仕事が進まない。
《掘り終わる》
職人Aさんが、鉄の棒を持で掘った場所の底をさらに突き刺して、確かめている。
「砂の層まであと少しあるな。」
「あすは、松杭を20本ほど打ち込むぞ。」といいながら。
「やっとおわったぞ、さあ、一服だ。」と言い穴から上がってきた。
「予定の深さまでにはなったが。まだ、粘土質の場所だ。」
「粘土が予定より深いな。」
Aさんの話「基礎コンクリートが、粘土質の上に乗って止まっているのでは、粘土のため、だんだん基礎が沈みこんでしまう。少なくとも、砂地までと思ったが、水が沸いてきてしまい、これ以上は無理だ。」と言う。
「そこで、対策として松杭を砂地まで打ち込んで、基礎の沈下を防ぐる」と言う訳だ。
《その翌日》
職人Aさんが、朝一番に長靴で掘った穴に降りた。
「これは、昨日より水が深いぞ。」
「バケツを下せ。水を汲むから、上で受け取れ。」
小一時間、三人での水汲みが続く。やっと底の土が見えてくる。
職人Aさん。「職人B、お前も降りろ。」の命令。
私 「穴の上で一人、穴の中をながめている。」
A 「おい坊主、松の杭を三本ほど担いでこい。」の声。
「Bに静かに一本づつ渡せ。」
B 「糞坊主、蛸(たこ)を持って来い。」
私 「蛸って、食べる蛸ですか?。」
B 「馬鹿野労。こんな水の中で蛸など食う訳がないだろ。」
私 「蛸って、どんな形をしているんですか。それは、工事道具ですか。」
B 「この、蛸野労。そんなことも判らないのか。早くしろ。」
A 「20センチくらいの、丸太材木で先のほうに鉄輪が入っていて、持つ棒が二本付いているものだ。」「今朝、家から積んできたやつだ。」
私 「これですか。」
B 「只飯食いの役立たずめ。それが蛸というのだ。」
「逆さまにして、よく見てみろ、頭に鉢巻の箍(たが)を嵌め、胴体に二本の足が付いているだろ。」
私 「職人Bは、よくもこんなくだらんことばかりいうのだろう。」
「駄洒落でも、もう少し増しな言い方を勉強しろよ。」と私は思う。
今日は、水との戦いをしながら、20本の杭打ちで終わる。
さあ、明日からは、次兄と手伝いを加勢に入れての、総勢5人によるコンクリートの打ち込みだ。
現在なら、コンクリート・ミキサーによるのだろうが、終戦後の焦土の東京ではすべて手作業である。
この、話は次回に。