子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

焦土の東京で 8 初めての仕事鉛筆工場

2007年05月03日 | 終戦後の生きざま・私流
15才にして、初めての仕事の手伝いとして、職人さんAとBさん二人の「手元」(雑用係り)として、本格的な仕事現場に出た。

仕事の現場は、「鉛筆の芯を製造している工場」である。
場所は、3月10日の東京大空襲の爆心地に近い、隅田川沿いで焼けなかった工場だ。

お袋から、風呂敷に包んだ「弁当箱」を渡され、何か嬉しく「これで私も認められたのかという思い」と「仕事と言うけど、何をどうすれば良いのか、親父は一言も教えてくれない。」それらの不安が入り交じる。

「今日は熱くなるからな、水を十分とって、帽子を忘れずに被ぶってな。」親父が言ったのは、唯これだけ。

《最初の仕事現場》

職人Aさんと、工場主の旦那と、我が家の親父で仕事のことで盛んに話ている。

さあ、始めるぞと職人のAさん、職人のBさんがこれに応えて、スコップやツルハシを抱えて、仕事をする場所の近に運ぶ。

親父は、打ち合わせが終わってすぐに帰ってしまい居ない。

この現場は、私を含めて三人で仕事を進める事になる。

私 「まず、なにをして良いのか、判らない。」
  「職人Bさんが、道具を抱えて、仕事をする場所に運んだので、まだ残っている道具を二つほど抱え、私も職人Bさんの後についていった。」

職人B「バカヤロー、この道具は今すぐに使うものではない。」(以下、職人Bは・単にBとします。)
  「邪魔になるだけだから、元の場所に戻しておけ。」

私 「最初からこれでは、先が思いやられるな。」
  「と、思ったが、口に出しては言えない。」
  「仕事とは、厳しいものだぞ、と聞いてはいたが、最初からバカヤローでは、情けない。」
  「まあしかし、良かれと運んだ道具か、すぐに使うものでなく邪魔になるなら怒られても仕方ないか。」と思い直す。

《仕事の内容》

この現場の仕事は、「鉛筆の芯、その素材である黒鉛と炭の粉を混ぜて、練り上げる。ロールという機械を据えつける土台をコンクリートで作るのだそうだ。」

この、ロールには、動力で相当の力が懸かるので、ロールを据付て置く土台は頑丈なものを要求されているという。

さて、工事が始まった。職人Aさんが工事をする場所の土間を、棒切れを使って直線を引く。(当時は、白墨などがないので棒でやっている。)

大きさは、畳でいえば二枚分位か。

Aさんが、ツルハシとシヤベルで、傍線で印した内側を堀りはじめる。
Bさんが、掘り出した土を纏めて整理し、バケツに入れて、外の空き地に運びだす。

二人の呼気うが、合っていて仕事がスムースに進む。

私 なにをして良いのか、判らずにまごまごしていると。

Bさんの声が、その時に飛んだ。「この役ただづめ、その辺でまびまごされていたのでは、邪魔だ。どけどけ。」

私 「バカヤロー、の次ぎは、役ただずでは、酷い」
  「このまま、家に帰ってしまおうか、とも思ったが、まだ、仕事現場で何の働きもしていない。」
  「まあ、もう少し様子を見てからか。」「このまま、家に帰ったら親父に叱られる。」いろいろな思いがよぎる。

Aさんが掘り進んでいる穴がだんだん深くなり、Aさんの腰くらいになる。
Aさんが掘った土を、Bさんがバケツに入れて運び出すか、やや高くなってきたので、力がかかり大変な様子。

Bさん「おい、糞坊主手伝え。バケツを囲いの上に出すから、上で受け取って捨ててこい。」

私 「やっと、仕事が廻ってきたかと思うが。」
  「糞坊主はないだろう。」
  「仕事とは、こういうものかい??。」

  「バケツの土は、下に行くほど水分をふくんできて重くなる。」
  「初日だ我慢・がまん。」
 
《昼の弁当》

私 「食べるものが不足している戦後だ。この昼の弁当が唯一の楽しみだ。」
  「ここで、挫けては弁当が食べられない。」

  「仕事でも、何とか手伝いになりそう。」
  「また、どんな風に、この仕事が出来上がって、ロールと言う機械がどのように収まるのかも楽しみだる」

B職人の、「雑言・罵倒・嫌味・駄洒落」に付き合っての昼弁当だけが助け舟だ。

  次回は、B職人の「駄洒落三昧」です。