焦土の東京も、兵隊から復員して来た人、軍需工場に徴用されていた人などの男性が戻り賑やかさが復活してきた。
当然に、地方に疎開していた家族も旦那の帰国とともに東京の自宅に戻っての生活が始まる。
我が家でも、「中国の重慶に出兵していた」長男が終戦後二年半振りに復員してきた。
我が家のある「東京・荒川区」の中小企業の街も賑やかさを増した。
私も16才になりました。「親父の仕事の手伝(土方)をしながら」夜間高校に通っています。
我が家の近所も人が戻り活気が出てきました。
家の周りの「職業」を私の知る範囲で並べて見ますと次の通りです。
戦後わがの町の基幹産業で主なものの中小企業は、① 自転車産業 ② 家具製造 ③ 住宅産業 ④ 製縫業 ⑤ 労働者 その他 などです。
もう少し上記の中小企業の内容を分類してみましよう。
① 自転車産業(現在は、中国製品に押されてほとんど残っていません)
A 完成車を製造している親会社が3社ありました。「以下、この下請け会社として、」
B 本体のフレームを作る会社 「パイプを加工し溶接する」
C サドル(椅子) 「人間が座るところを革で作る」
D ハンドル 「自転車の前で方向を決める、パイプを加工」
E ペタル 「足で漕ぐところ」
F タイヤとフレーム 「自転車のタイヤ部分」
G 泥除け 「タイヤの上の泥除け」
H メッキ 「パイプなどで形が仕上がったものをメッキする」
I 塗装 「メッキしない部品は塗装する」
J 自転車修理 「パンクなどの修繕」
まだ、書き足りない部分もかなりありますが、ざっと並べてもこんなにあり、一大産業群です。
かくの如く、自転車産業は大きな産業群を構成していました。
② 家具製造(家内労働)
A 家具用材木屋 「造る家具によって材木の種類が違う。例えばタンスは桐材、椅子類は樫など」
B タンス製造 {桐材を良く乾燥して、張り合わせる」
「接着材は、ごはん(餅米)粒をよく噛むで、へらで練って作る」
(当時は、工業用の接着剤は無かった)
C カンナで桐材を削り、接着する
D 塗装する
E 金具を取り付ける
F 小売の家具屋に廻す
③ 住宅産業(木造住宅の場合)
A 材木屋(住宅用)、(先の家具用材木屋とは別)
B 大工 (棟梁) (木造建築は棟梁が中心に以下の業種で構成されている)
C 基礎工事(土工) (我が家はここに分類される)
D 左官屋 (外壁・内壁を作る)
E こまい屋 (内壁の下地になるものを作る)
F 水道屋 (水道と下水)
G 瓦屋 (屋根)
H トタン屋 (屋根の庇などをトタンで作る、雨樋を取り付ける)
I 畳屋 (部屋の中の畳を作る)
J 経師屋 (部屋の中の襖や障子を作る)
K 家具屋 (外周りの戸や窓戸を作る)
L 電気屋 (家の中に電線を配線し、コンセントとスイッチを設置)
M 鳶職 (建前などの時の高い場所での仕事)
④ 製縫業(家内産業)
A この業種も家の近くに多いと聞いていましたが、家内労働で家の内でやっている仕事なので、私には内容がよく判かりませんでした。
⑤ 労働者
以上の産業に携わるための「工場労働者」「事務職」「営業職」「職人」などが沢山いて、住宅を構えていました。
これらを支える「木造アパート」が数多くあり。
またこの労働者に食事を出す「駅前食堂」などが何軒もありました。
「駅前食堂」に入ると、厨房の前の戸棚におかずが何品か並んでおり、各自が自分でお盆にとり。
ご飯と味噌汁を盛ってもらって椅子で各自が食べます。
こんなやり方で、朝食と夜食を出していました。
現在でも、この形式の食堂が一~二軒残っているはずですが。
⑥ 鉛筆産業 書き忘れましたが「鉛筆産業」も多く存在していました。
A 鉛筆の板材 (18センチの長さ、幅7センチ、厚み0.7センチの板を良く乾燥させ)
B 板に六本の半○の溝を機械で鉛筆芯を入れるところを作る
C この溝に鉛筆の芯を六本入れて、接着剤で二枚の板を重ね合わせて乾燥
D 機械にかけて、六本に分離する
E 六角か丸型かにするため機械に掛ける
F 塗装する
G 鉛筆の両端を切り揃える
H 鉛筆にメーカー名などを印刷する
I 内職屋を纏めている業者に渡す
J 家内労働の婦人が六本づつに紐でくくる。後に箱だけになる
K さらに、紙箱に入れ、箱を一タ゜ース12個に纏める
L 内職屋が来て引き取り、問屋に収める
M 文具店に並ぶ
こんな具合かな。
⑦ 下駄の鼻緒作りの内職というのもあって、これも面白いよ。
⑧ 近所で「うなぎ屋」の下請けが居て「うなぎを捌く」のも面白い。
我が地区の基幹産業は、現在はほとんど全部姿を消してしまいました。
⑦⑧これらは、次回に。
当然に、地方に疎開していた家族も旦那の帰国とともに東京の自宅に戻っての生活が始まる。
我が家でも、「中国の重慶に出兵していた」長男が終戦後二年半振りに復員してきた。
我が家のある「東京・荒川区」の中小企業の街も賑やかさを増した。
私も16才になりました。「親父の仕事の手伝(土方)をしながら」夜間高校に通っています。
我が家の近所も人が戻り活気が出てきました。
家の周りの「職業」を私の知る範囲で並べて見ますと次の通りです。
戦後わがの町の基幹産業で主なものの中小企業は、① 自転車産業 ② 家具製造 ③ 住宅産業 ④ 製縫業 ⑤ 労働者 その他 などです。
もう少し上記の中小企業の内容を分類してみましよう。
① 自転車産業(現在は、中国製品に押されてほとんど残っていません)
A 完成車を製造している親会社が3社ありました。「以下、この下請け会社として、」
B 本体のフレームを作る会社 「パイプを加工し溶接する」
C サドル(椅子) 「人間が座るところを革で作る」
D ハンドル 「自転車の前で方向を決める、パイプを加工」
E ペタル 「足で漕ぐところ」
F タイヤとフレーム 「自転車のタイヤ部分」
G 泥除け 「タイヤの上の泥除け」
H メッキ 「パイプなどで形が仕上がったものをメッキする」
I 塗装 「メッキしない部品は塗装する」
J 自転車修理 「パンクなどの修繕」
まだ、書き足りない部分もかなりありますが、ざっと並べてもこんなにあり、一大産業群です。
かくの如く、自転車産業は大きな産業群を構成していました。
② 家具製造(家内労働)
A 家具用材木屋 「造る家具によって材木の種類が違う。例えばタンスは桐材、椅子類は樫など」
B タンス製造 {桐材を良く乾燥して、張り合わせる」
「接着材は、ごはん(餅米)粒をよく噛むで、へらで練って作る」
(当時は、工業用の接着剤は無かった)
C カンナで桐材を削り、接着する
D 塗装する
E 金具を取り付ける
F 小売の家具屋に廻す
③ 住宅産業(木造住宅の場合)
A 材木屋(住宅用)、(先の家具用材木屋とは別)
B 大工 (棟梁) (木造建築は棟梁が中心に以下の業種で構成されている)
C 基礎工事(土工) (我が家はここに分類される)
D 左官屋 (外壁・内壁を作る)
E こまい屋 (内壁の下地になるものを作る)
F 水道屋 (水道と下水)
G 瓦屋 (屋根)
H トタン屋 (屋根の庇などをトタンで作る、雨樋を取り付ける)
I 畳屋 (部屋の中の畳を作る)
J 経師屋 (部屋の中の襖や障子を作る)
K 家具屋 (外周りの戸や窓戸を作る)
L 電気屋 (家の中に電線を配線し、コンセントとスイッチを設置)
M 鳶職 (建前などの時の高い場所での仕事)
④ 製縫業(家内産業)
A この業種も家の近くに多いと聞いていましたが、家内労働で家の内でやっている仕事なので、私には内容がよく判かりませんでした。
⑤ 労働者
以上の産業に携わるための「工場労働者」「事務職」「営業職」「職人」などが沢山いて、住宅を構えていました。
これらを支える「木造アパート」が数多くあり。
またこの労働者に食事を出す「駅前食堂」などが何軒もありました。
「駅前食堂」に入ると、厨房の前の戸棚におかずが何品か並んでおり、各自が自分でお盆にとり。
ご飯と味噌汁を盛ってもらって椅子で各自が食べます。
こんなやり方で、朝食と夜食を出していました。
現在でも、この形式の食堂が一~二軒残っているはずですが。
⑥ 鉛筆産業 書き忘れましたが「鉛筆産業」も多く存在していました。
A 鉛筆の板材 (18センチの長さ、幅7センチ、厚み0.7センチの板を良く乾燥させ)
B 板に六本の半○の溝を機械で鉛筆芯を入れるところを作る
C この溝に鉛筆の芯を六本入れて、接着剤で二枚の板を重ね合わせて乾燥
D 機械にかけて、六本に分離する
E 六角か丸型かにするため機械に掛ける
F 塗装する
G 鉛筆の両端を切り揃える
H 鉛筆にメーカー名などを印刷する
I 内職屋を纏めている業者に渡す
J 家内労働の婦人が六本づつに紐でくくる。後に箱だけになる
K さらに、紙箱に入れ、箱を一タ゜ース12個に纏める
L 内職屋が来て引き取り、問屋に収める
M 文具店に並ぶ
こんな具合かな。
⑦ 下駄の鼻緒作りの内職というのもあって、これも面白いよ。
⑧ 近所で「うなぎ屋」の下請けが居て「うなぎを捌く」のも面白い。
我が地区の基幹産業は、現在はほとんど全部姿を消してしまいました。
⑦⑧これらは、次回に。