三浦俊彦@goo@anthropicworld

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2007/5/7

2000-02-28 01:41:21 | 映示作品データ
「家での静かな一週間」
Tichý týden v dome (1969年、チェコスロバキア)20分
「ジャバウォッキー」
Zvahlav aneb Saticky Slameného Huberta(Jabberwocky) (1971年、チェコスロバキア) 14分
監督 ヤン・シュワンクマイエル Jan Svankmajer 1934年~
音楽(ジャバウォッキー) ズデネク・リシュカ Zdenek Liska 1922~83

 「特定の意味を持たないがゆえに、強引に意味を考えさせることにより、新たな意味を観賞者に創造させる」――ナンセンス作品は、確かにこのような効能を持つ。しかし、無意味な語や映像の羅列がありさえすれば、観賞者に対して「新しい意味体験」を強いる傑作になるとは限らない。実際、ナンセンス作品の中には、本当に無意味なだけの、啓発機能を持たない駄作も多い(時間があれば、そのような「駄作」もいくつか紹介したいと思うが)。シュワンクマイエルの作品は、この点で、周到に計算された啓発的ナンセンスの傑作と言えるだろう。
 「家での静かな一週間」は、モノクロ+音声のパート(外部)と、カラー+無音のパート(室内)が繰り返されて、日常の一側面を交代で強調しつつ捨象する。一週間の日課表を律儀に抹消しながら、男は機械的な反復作業を続ける。それとは対照的に室内は混沌として、二度と同じ繰り返しはないかのような乱雑運動。穴から覗かれるまではぼやけていて、見られることで室内があわてて焦点を結ぶ、といった構成がどの曜日でも繰り返されるが、これは、量子力学の観測問題(光を当てるまでは電子の位置その他の物理量は定まらない)を思わせる。
 「ジャバウォッキー」の室内の混乱も、「家での静かな一週間」と似ているが、イメージ的に、子どもが部屋を散らかすありさまをシミュレーションした形になっている。そのぶんわかりやすい。一方向に進もうとする迷路の進行と、全体の堂々巡り的な展開とが矛盾して、その緊張が最後に解体される。が、それは爆発的なカタルシスによるスッキリ解決ではなく、猫を鳥カゴに閉じこめるという収束的な形の解決だ。子どもがライバル(邪魔者)を片づけた格好だが、これは同時に、子ども部屋からの成長脱出が社会への「囲い込まれ」である、という事実を暗示しているようにも思われよう。
 一見、デタラメのようなナンセンス世界が、ただのデタラメに終わっていないのは、その表層的な映像表現の質の高さによるところも大きいが、それ以上に、ストーリー(?)の運びがそこはかとなく社会的な意味情報を伝えているからなのである。

 なお、シュワンクマイエルはDVDがたくさん出ていますが、作品を探すときは、「シュヴァンクマイエル」で検索したほうが多く出てくるでしょう。監督作品はどれも傑作。ただし、別の人の監督作品で、シュワンクマイエルが映像特殊効果に協力だけしている映画もシュワンクマイエルの名で登録されていることがあるので要注意。
 シュワンクマイエルの長編では、『オテサーネク』と『アリス』が特にお薦めです。
 http://green.ap.teacup.com/miurat/496.html
 http://green.ap.teacup.com/miurat/293.html
 http://green.ap.teacup.com/miurat/298.html

 授業用でなく自分用メモとして書いたものは↓
    http://green.ap.teacup.com/miurat/515.html
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