三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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2007/7/3

1999-01-03 02:55:01 | こんにちの文化
Steve Reich 1936~

『エイト・ラインズ』Eight Lines (1983) ……『八重奏曲』Octet (1979) のアレンジ
 ジョナサン・ノット指揮 Jonathan Nott
 アンサンブル・アンテルコンタンポラン Ensemble Intercontemporain
 2000年 パリ シャトレ座でのライブ映像
 
『大アンサンブルのための音楽』 Music for a Large Ensemble(1978)
string instruments, flutes, clarinets, saxophones, trumpets, pianos, marimbas, vibraphones, xylophones and two female voices.

 ミニマルミュージックの創始者の一人、スティーブ・ライヒのアンサンブル曲をまず聴いて、次回のビデオ作品『スリーテイルズ』の導入としました。

 ミニマルミュージックは、6/19に聴いたイーノの環境音楽のモデルとなった潮流であり、無機的な反復が延々と続いて唐突に終わる「無構造な」作りは、一見、メッセージを含んでいないように聞こえる。
 メッセージ     ←→  スタイル
(構造、情報、意味)   (文体、雰囲気)
 
 デザイン      ←→  パフォーマンス
(設計、知的構成)     (実演、身体的表出)

このペアにおける右の項のみ突出させる「無構造的」な響きの中に、高次のメッセージ(メタ・メッセージ、つまりメッセージについてのメッセージ)が宿っている。「メッセージ中心、デザイン本位の作品ばかりでいいのですか?」と。
 メッセージを隠してスタイルの遊び部分で勝負していた『ひなぎく』(前回鑑賞)と通ずるものがある。

2007/6/26

1999-01-02 02:56:23 | こんにちの文化
■ひなぎく Sedmikrasky 1966年 チェコスロバキア
 監督: Vera Chytilov ヴェラ・ヒティロヴァ 1929~

 場面や音が唐突に変化したり、ことさらにスタイリッシュな映像処理がなされたり、モノクロとカラーのシーンが入り乱れたりと、シンボリックなコラージュ表現に終始することで、間接的メッセージが含まれていることを半ば直接的に露呈している。いわゆる確信犯的な映画である。冷たい政治機構を象徴する歯車や、冒頭と末尾の戦闘シーンが、政治的メッセージの存在を念押し的駄目押し的に強調して、ストーリーも有意味な会話もない映画そのものとの表面的矛盾を際立たせている。

 二人の援交少女のメチャクチャな破壊的行動は、エネルギーのみありあまって目標を見失った当時の東欧の自由化運動を風刺しているようにも感じられる。体制批判というより、反体制的運動の無定見に女性監督ヴェラ・ヒティロヴァは苛立っているかのようだ。

 『ひなぎく』以降、「ダメ女二人組」を主人公にした映画がいくつか作られており(『テルマ&ルイーズ』『ゴーストワールド』など)、その系統の原型とも言える。中でも、ピーター・ジャクソン監督の『乙女の祈り』(1994年,ニュージーランド)は実話にもとづいたリアリズムが『ひなぎく』とは対照的だが、夢と現実が交差するような表現法は相通じるものがあり、社会派女の子映画として比較鑑賞の価値はあろう。

 参考までに、他の文脈でのこの映画の解説は
 http://green.ap.teacup.com/miurat/479.html
 授業・研究等とは関係のない暫定的個人的メモは
 http://green.ap.teacup.com/miurat/541.html

2007/6/19

1999-01-01 18:13:09 | こんにちの文化
 mistaken memories of mediaeval manhattan (1981)
 thursday afternoon (1984)
 ブライアン・イーノ Brian Eno  1948-
DVD『14ビデオ・ペインティングス』より。

 「環境音楽」を創始したイギリスのロッカー、イーノのビデオ作品。イーノは、若い頃はロキシー・ミュージックなどのグローブに参加してごく普通のロックをやっていた。
 ジャンル的には、「インスタレーション」の一種と言える。ほとんど動きのない風景や人物を記録し続けるビデオ映像が、縦と横の2バージョンで収録されている。これは、テレビを普通に置いたときの見え方と、横に倒して置いたときの見え方に相当する。会場のフロアに、あるものは縦に、あるものは横向きに置かれたいくつかのテレビに同じ映像が流れる。室内の観賞者は床にすわったり寝そべったり、思い思いの姿勢で見ていればいい。目をそらしても、ウトウトしてふと目を覚ましても、ずっと同じような映像だから観賞に支障はない。音楽もずっと平坦な調子で部屋の空気に溶け込んでいる。実際、そのようなインスタレーション・ライブが特殊なコンサートのようにして何度も開催された。
 このような「無視できる作品」は、どのようなメッセージを伝えているのだろうか。芸術作品は、何らかの意味内容(テーマ、メッセージ)を、特定の形式(メロディ、ストーリー、構図など)によってデザインし、パフォーマンス(スタイル、演奏、文体、色彩、筆遣いなど)によってさらに具体化(表出)するのが通例である。中でも、意味内容は芸術作品を他のモノから区別する「芸術の本質」とも言える。雲や椅子やカブトムシや太陽はただあるだけで、「何についての」ものでもないのに対し、ゴッホの絵やミケランジェロの彫刻やドビュッシーのピアノ曲は、「○○について表現している」と言えるような、テーマやメッセージ○○を持っているのは当然だとされる。では、ブライアン・イーノの環境音楽と環境映像は、いったい何「についての」作品なのだろうか。無視してもいい、聞き流しても見なくてもかまわないような「環境芸術」は、芸術と言えるのだろうか。単なるインテリア――タペストリーや観葉植物、空気清浄機のようなモノではないだろうか。
 「○○について語っている」という条件は、厳密には、すべての芸術作品にあてはまるわけではない。抽象美術、メロディを持たないジャズや現代音楽、ナンセンスな言葉を連ねた詩、などは、具体的な事柄を描写していない場合がある。工芸や建築の大半もそうである。しかし、抽象美術もジャズも前衛詩も、観賞者の注意を喚起し知覚を要求する点で、何かを言おうとはしている。テーマは、色や形そのものだったり、音やリズムそのものだったり、言葉の響きだったり語義の衝突から生じる違和感や快感だったりするだろう。工芸や建築も色や形を主張するとともに、機能(使い勝手、住み心地)などをも表現している。芸術作品には、必ずや何らかの主題、テーマがある。では、そもそも「聞き逃してもよい」「見過ごしてもよい」ように作られた環境芸術はどうなのだろうか。抽象美術のように知覚の集中を要求しさえしない芸術とは一体?
 環境音楽や環境映像のテーマは、抽象芸術のテーマ(色、形……)よりもっと抽象的一般的である。それは「芸術それ自体」だと言っていいだろう。「芸術とは何か」を問いかけるのが環境音楽や環境映像のテーマと言えるのである。
 別に、注意して見続けなくてもいい、聞き続けなくてもいい、無視してもいい、そういう体験が本当の体験になるような芸術作品があってもいいのではないか、そういう問いかけが、イーノのテーマなのである。
 イーノの環境芸術には、まだしも「心地よさ」がある。名人芸的なハーモニーのセンスも感じられないわけではない。しかし、全く音を出さない音楽、大量生産の既製品を置くだけの美術、など、20世紀に生まれた多くの「概念芸術」は、心地よさすら備えていない。さすが芸術家だから初めて作れたのだなあ、といった特殊技能も感じさせない。この「何でも芸術」という境地もまた、「これだって芸術だよな?」と、芸術という文化のあり方そのものをわれわれに問いかける作用を発揮している。現代では、ただの土の塊を美術館に置くだけで、(それをやったのが芸術家であり、これは芸術だと主張しさえすれば)芸術作品だと認められることになっている。「?」とあなたが思ったとたんに、そこには芸術的メッセージ伝達が成功している。何かが「芸術作品である」として提示されたとたんに、それは必ずメッセージを持つというわけである。
 芸術自身について問いかけ、芸術そのものをテーマにする芸術作品は、「メタ芸術」と呼ぶことができ、実際そう呼ばれている。

 ある意味では、イーノの環境芸術は、「心地よさ」があるぶん、もっと過激なデュシャンやケージの概念芸術(ただ便器を置いたり、音を一つも出さないピアノ曲だったり)よりもむしろ根本的かつリアルに「芸術」概念を問い直す作用を持つかもしれない。なぜなら、「何でも芸術」というメッセージより、「心地よければ何でも芸術」というメッセージのほうが、普通に説得力があり、「そうか、心地よければ何でも芸術なんだ」と本当に信じさせかねないからである。イーノの環境音楽が芸術なら、チューインガムやオイルマッサージや入浴剤や愛玩犬やセックスやジョギングやマスターベーションも芸術かもしれないではないか。人間が進化の過程で本能的に身につけてきた快楽中枢を刺激するモノは、意味を持っても持たなくても、人為的に創作されたモノでもそうでないモノでも、芸術と認められてよいかもしれないのだ(んなわけないのだが)。