三浦俊彦@goo@anthropicworld

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阿呆理詰日記3027

2009-11-29 01:27:00 | アフォリズム日記
目は口ほどにもないことを言う。


貧窮の何がいけないのか? ――贅沢の貧しさを知ることができないこと。


洗脳が最悪の汚染であるように、
環境破壊は最大の洗浄です。


できないと思っても、まだできる。
できなくなるのは、「できないと思ったらもうできない」と思ったときである。


喪失よりも獲得の方が必ず多いことの証明。
何かを失うたびに、必ず喪失の根拠を獲得している。


カメレオンが色を変えるのは、変化せずにすむようにである。


死の寂寥は、達成の安堵である。人生が課題であるならば。
死の恐怖は、解決の興奮である。人生が課題であるならば。
死の謎は、沈黙の緊張である。人生が話題であるならば。



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  2009年11月27日~28日
「言語表現」(土曜3限)受講生の作品へのResです。

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阿呆理詰日記3026

2009-11-28 01:46:00 | アフォリズム日記
たまにはベタな解説もあっていいですかシリーズ①

 前半の「後半の準備」は〈後半のための準備〉の意であり、後半の「前半の準備」は〈前半になされた準備〉の意です。
 「A-B-C」「B-A-C」というナイーブな対句にみせかけて、「の」の多義性を利用した濃縮系でした。
 内面の不均一な錯綜を、対句的平衡のスムーズな表層が隠匿してしまう(隠匿できる)ところが、アフォリズムの恐ろしさ(便利さ)といえます。
 むろん、後半の「前半の準備」を〈前半のための準備〉とあえて解する不条理系~汎対句系の読みもありでしょう。……前半生の意義を活かすための後半生、と解するならあながち不条理でもありませんが。
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