三浦俊彦@goo@anthropicworld

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2006/11/20

2000-02-19 02:03:33 | 映示作品データ
『放浪者と独裁者』The Tramp and the Dictator  2001年、イギリス・ドイツ 

 『独裁者』のメイキング映像、ナチス・ドイツ時代の記録映像(とくにレニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』!)を織り交ぜてチャップリンとヒトラーの人物像を並行的に描く。コメンテーターとして、チャップリンの息子・友人をはじめ映画監督、歴史家、SF作家などが登場し、それぞれのときには矛盾した見解を述べあうのも面白い。
 カラー映像で撮られたメイキングと作品本体の白黒映像を比べてみると、『独裁者』という作品が「美的否定」の手法をうまく利用していることがわかる。白黒どころか『独裁者』以前にはサイレントで通したチャップリンの芸術スタイルそのものが、ポイント集中型の美的否定に立脚していたとも言えよう。
 ヒトラーを揶揄することが、女性歴史家が言っていたように「独裁者を面白く思わせ、危険を忘れさせる」ので望ましくないのか、ブラッドベリが言うように「勇気だけでは対抗できない仕方で、悪を卑小に見せることができる」ので素晴らしいのか。ここでは、オスカー・ワイルドの次のアフォリズムを噛みしめておこう。
 As long as war is regarded as wicked, it will always have its fascination. When it is looked upon as vulgar, it will cease to be popular.
 (戦争が邪悪だと見なされるかぎり、いつまでも魅力を持っているだろう。戦争が低俗だと見なされるときに、その人気は失われるだろう)

 むろん、滑稽化し笑いのめすだけでは真の否定には届かない。ラストの「感動的な」演説によって上昇ベクトルを描いたことで、『独裁者』は総合的な風刺作品になりえた。チャップリンがあれほど作り直した結果やっと決まったフィナーレは、作品全体に完璧な構成をもたらしたと言えるだろう。