三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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2008/1/31

2000-03-17 05:40:26 | 映示作品データ
■『立喰師列伝』 2006、日本 106分

 監督、脚本  押井守
 音楽     川井憲次

 「立喰師」という架空の職業師(犯罪者?)を軸に現実の日本戦後史を語る、という「座標変換モノ」。8つのエピソードの冒頭を事件史で始め、中盤からフィクション色に染まって、立喰作法と時代思潮の相互関係を述べてゆく。空虚に理屈っぽい饒舌ナレーションは、ただ聞き流すのがよいだろう。意味的には大したことは述べていないその無内容さに反比例するように、構文的・表層的には流麗なレトリックが散りばめられていて、おおむね静止画とズームで構成された映像が単調にパタパタするだけのところでも、ナレーションの攪拌作用でいたずらに濃密な時間が流れている気にさせられる。
 ポイントは、やたらシリアスなナレーション、芸術的な音楽と、映像のドタバタ喜劇的なノリのコントラストであろう。このズレを引きずって、言葉・音楽・映像が調和したハリウッド的作品に慣れきった観客の五感を揺さぶり続ける。ただし、映像のドタバタモードは、ナレーションで「定説ではない」「虚構にすぎない」「都市伝説である」等々否定的に紹介される部分にほぼ限られていることに注意。大半は、言葉・音楽・映像が一致しておごそかな「立喰師」の研究史を提示し続ける。
 先週の『バトル・オブ・チャイナ』(われらはなぜ戦うのか)で見た虚実の混合というドキュメンタリー特有の手法を二重化させている。つまり、虚実の本当の配合を背景に、その虚の部分の内部において実と虚を相対的に分けるという重層的構造である。
 シリアスとドタバタのズレは、大半の時間は潜在しているだけだが、意味的なズレは常時遍在している。「立喰」という瑣末な文化(とも言えぬ一要素)を語るのに、大袈裟なナレーションと歴史的評釈モードを持ってするところに、意味的ズレが漂い続けるのだ。商業的なヒットは始めから放棄したような純アートとしてのこの作品は、しかし、『真・女立喰師列伝』(2007)なる続編(? 外伝?)に引き継がれたらしい(私は未見)。

2008/1/21

2000-03-16 01:40:31 | 映示作品データ
■ Why We Fight 『われらはなぜ戦うのか』(全7巻)
第6巻The Battle of China (1944)
製作:アメリカ陸軍情報部1942~1945年 
監督:Frank Capra 1897-1991

 『或る夜の出来事』『失われた地平線』『スミス都へ行く』などで知られるフランク・キャプラのプロパガンダ映画。
 戦意高揚のための実用品であるプロパガンダ映画だということを忘れて、歴史記録であるかのように思い込むと、思わぬ間違いを犯すことになる。南京事件(南京大虐殺)の映像として、中国国民党の兵士が共産党の兵士を射殺している場面が使われたり、「偽装」が著しいが、だからといって、南京事件の記録はみな捏造で、日本軍は虐殺などやっていない、と強弁するのは誤りなのである。
 南京虐殺を目撃した外国人は多いが、視覚的記録は少ない。南京事件が起きたときに外国のジャーナリストが少数しか南京市内におらず、思うように記録がとれなかったことが関係しているだろう。南京事件直前のパナイ号事件(アメリカの艦船を日本軍が爆撃して死者が出た事件)も報じられていたが、そのような「誤爆事件」を防ぐという理由で、日本軍は、外国人はジャーナリストを含めどんどん南京市外に退去させていたのである。あたかも、南京でこれから起こる日本軍の暴行を隠すのが目的だったかのように。
 南京事件を目撃したナチス党員の証言(日記)は必読です。

   ジョン・ラーベ『南京の真実』講談社文庫

 ジョン・ラーベは、ヒトラーに対して、日本軍の蛮行をやめさせてくれと直訴の手紙を書いています。
 なお、日中戦争に対するアメリカ・イギリスの対応を知るのに最も有益な本は、以下の2冊でしょう。(あいにくどちらも古書でしか入手できないようですが)

 アルバート・C.ウェデマイヤー『第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー回想録』〈上〉〈下〉 講談社学術文庫
 バーバラ・W.タックマン『失敗したアメリカの中国政策――ビルマ戦線のスティルウェル将軍』朝日新聞社

 米英から中国軍への補給ルートとなるビルマでの戦いにおいて、その三国の利害がいかに対立したか(とくに米中vsイギリス)が克明に描かれている。どちらも厚い本ですが、米英も視野に入れた立体的な日中関係を知るには超お薦めです。

2008/1/7

2000-03-15 21:33:18 | 映示作品データ
■『聖戦3年 聖戦4年』
1939~ 40年 日本 陸軍省情報部制作
 1937年以降の中国戦線の様子を、ニュース映画のダイジェスト編集版で伝える戦記ドキュメンタリー。
 ナレーションに「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」という言葉が頻出する。「膺懲」とは、「征伐してこらしめる」という意味。「我が方の不拡大方針、平和的解決の努力も暴戻支那側の不信に蹂躙され、ここに隠忍自重の我もついに正義人道のため、さらに東洋平和のために暴支膺懲の軍を進めたのであります」といったナレーションが得々と淡々と、日本軍進撃路を示す矢印アニメとともに進んでゆくこの映画を、当時の日本人は、ちょうどオリンピックやワールドカップで日本選手が大活躍しているのを見るような誇らしい気持ちで観ていたのだろう。満州事変以来の日本軍の暴走は、熱狂的な世論の支持によって行なわれた。新聞は、軍の行動を批判する記事を書くと購読者からそっぽを向かれて売れなくなってしまうので、次第に戦争賛美の記事を多く載せるようになっていった。
 日本の戦争は決して政府や軍によって国民に押しつけられた苦難ではなく、一般の民衆自身が率先して後押しした戦争だったのである。
 それにしても、明確な目的も持たずに中国奥地へ軍を進めて、それを「正義」「平和」などの抽象的なスローガンで正当化する日本帝国の無謀さは、いま見ると醜いの一言に尽きるが、当時は大多数の国民があれを「勇ましい」「美しい」「正しい」と感じていたのである。環境的文脈の変化による価値意識の変化は驚くべきものがある。

■『アリューシャン航空作戦』Report from Aleutians
1942~43年、アメリカ 陸軍省制作

 42年6月に日本軍が占領したアリューシャン列島(とくにアッツ島、キスカ島)に対するアメリカ軍の反攻をカラーで記録した映画。人の住まない辺境の地を奪いあう虚しさが伝わるが、店も工場もない島に物資を運び込み飛行場を建設する努力が比較的明るいムードで描かれる。アリューシャン列島はアメリカの領土(アラスカ州の一部)なので、単に占領されているというだけで我慢のならないことだった。映画の中では、「戦略的にきわめて重要な地」というナレーションが何度か語られたが、実際は大戦中にアリューシャン列島が重要な役割を果たしたことは一度もなく、アメリカ領土を日本軍がしばらく奪っていたという象徴的な意味がもっぱら注目される。
 前線での兵士の様子を同じく描いていても、皇族が画面に登場するたびに「脱帽」と文字が出る日本のニュース映画に比べ、上官も部下も隔てなく交流しているといったフレンドリーな感じを前面に出しているのがアメリカのニュース映画だ。しかし、敵の姿が一切映っておらず、戦闘の血生臭さが映像から消されているところは共通している。対空砲によって爆撃機の腹に空けられた穴などによって間接的に敵の存在が仄めかされるだけだ。

 43年5月、アッツ島にアメリカ軍11000人が上陸し、日本軍守備隊2600人は全滅した。キスカ島は8月、すでに日本軍が撤退したことに気づかずにアメリカ軍航空隊は無人の島を一週間以上爆撃し続け、上陸したアメリカ・カナダ軍35000人は同士討ちなどで20人以上が死亡し、負傷者は300人にも及んだという。敵が一人もいなくてもこの有様なのだから、戦争とはつくづく愚かな行為であることがわかる。
 ほとんど戦術的に重要でない土地を、単に国の誇りのためだけに奪いあい殺しあう不毛さがこの上なく伝わってくる戦線が、このアリューシャン戦線であると言えよう。

 キスカ島撤退作戦を描いた日本映画に、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年、東宝)がある。


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2007/12/17

2000-03-14 22:40:30 | 映示作品データ
『ムービー・ジャンル 戦争映画』
Movie Genre World War Ⅱ
       2002年 イギリス CreaTVty  52分
http://www.imdb.com/title/tt0886857/

 論じられた映画

『イン・ウィッチ・ウィ・サーブ/軍旗の下に』In Which We Serve (イギリス、1942年)
監督 ノエル・カワード Noël Coward
   デヴィッド・リーン David Lean

『無防備都市』Roma Citta Aperta(イタリア、1945年)
監督 ロベルト・ロッセリーニ Roberto Rossellini
原案 セルジオ・アミディ Sergio Amidei
脚本 フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini

『野火』(日本、1959年)
監督 市川崑
製作 永田雅一
原作 大岡昇平

『炎628』Idi i smotri(ソ連、1985年)
監督、脚本 エレム・クリモフ Elem_Klimov

『U・ボート』Das Boot (西ドイツ、1981年)
監督 ヴォルフガング・ペーターゼン Wolfgang Petersen
製作 ギュンター・ロールバッハ Gunter Rohrbach
原作 ロタール・ギュンター・ブッフハイム Lothar Gunther Bucheim

『プライベート・ライアン』Saving Private Ryan(アメリカ、1998年)
監督 スティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg
脚本 ロバート・ロダット Robert Rodat

 プロパガンダ映画から反戦映画へという流れの中で、さまざまな手法が開拓されてきたことに注目。とくに、戦争の極限状況を描くために、本物の爆薬や銃弾を使ったり、俳優の行動制限をしたり、手持ちカメラで撮ったりするなどの「リアルな演出」は、実際の事件が題材になっていない戦争映画に対してもドキュメンタリー性をもたらす。
 戦争映画や戦争文学の「芸術性」を論じるさいには、戦争という事件が実際に起こってこそ実現される「価値」があることをどう考えるか、がポイントである。戦争はなければ越したことはないが、もし悲惨な戦争が全くなかったとしたら、人間の生物学的基盤や、極限状況での責任、倫理、意志などに関する人間的価値観を深刻に問われるリアルなシチュエーションが欠けていることになる。戦争否定論やヒューマニズムも、結局は、戦争という既成事実に寄生してこそ理念を宣揚できる、つまり「過去肯定のジレンマ」の中でこそ過去断罪のパラドクスが演じられる、と言えそうである。

 戦争の惨禍が持つこの逆説的なプラス価値とその捉え方については、
 近刊『多宇宙と輪廻転生』の第12章で略述しました。
 また、映像が持つべき反戦アピール効果と、その論理的限界については、『エクリチュール元年』第3話第18章と「あとがき」を参照していただければと思います。
 ともに、目下構想中の「戦争論理学」の部分的スケッチにあたります。

2007/12/10

2000-03-13 00:14:40 | 映示作品データ
『戦火のかなた』Paisa (1946年、イタリア、126分)
監督 Roberto Rossellini
脚本 Federico Fellini

 前回に観た『悪魔の首飾り』の監督フェデリコ・フェリーニが無名時代に関わったリアリズム映画の傑作。6つのエピソードがタイトルなしで連続する構成。登場人物はすべて素人が演じているので、顔の知られた俳優による「ヤラセ」の確証を隠すことができ、論理的にドキュメンタリーの可能性を残す作りになっている。
 アメリカにとっては不必要な戦線と見られ、大英帝国の覇権主義に荷担させられた不本意な戦いであった地中海・イタリア戦線を描いているが、その戦線のしかも終戦間際のエピソードとなると、戦いの虚しさがいっそう際立ってくる。観賞した「修道院」のエピソードでは死傷者は1人も出なかったが、他のエピソードでは、アメリカ兵とイタリア娘が心を通わせあったとたんに、銃弾が2人の命を奪う、といったやるせない話が大半を占める。
 「修道院」も暗いと言えば暗いエピソードである。あからさまにドイツ支持を支持することで何百万人ものユダヤ人虐殺を可能にしてしまったローマ教皇庁の体質を思い出させる。宗教の本質そのものを暴き出しているとも言える。
 豊富な食料を提供して修道院に宿を求めた三人のアメリカ従軍牧師のうち、二人がユダヤ教とプロテスタントの牧師であることを知り、修道院の聖職者たちは狼狽する。通訳のカトリック牧師を説得して、あと二人の「汚れた魂」を救おうと試みる聖職者たち。その熱意はもちろん善意によるものだろうが、同時に、偏狭な宗派意識・排他主義でもあることに注意。崇高な理念の装いで残虐な戦いを繰り返してきた宗教の歴史を圧縮して観る思いがするだろう。
 最後に、二人の「汚れた魂」を救うために断食を表明する聖職者たちに対して、通訳のカトリック牧師が三人を代表して礼を述べる。「食事中は声を出してはならない」規律をあえて破っての発言なので、何か特別なことを言うのかと思いきや、ごく決まりきった謝辞を述べるのみである。何のオチもない。ハリウッド的基準では「何じゃこりゃ」といった終わり方であろう。しかし、そのありきたりな謝辞を口ごもりながら述べるカトリック牧師の言葉には、愛を説きながら異教徒を迫害し続けたキリスト教師へのしみじみとした感慨が込められているようにも思われる。

 『戦火のかなた』の各エピソードの舞台は、シチリア→ナポリ→ローマ→フィレンツェ→ゴシックライン→ポオ河 と北上してゆく。これは、連合軍の進出を示しているが、アルプス山脈の北、ドイツにおいても、同時進行で連合軍とソ連軍の侵攻が続いていた。つまり、ドイツとイタリアの場合は、国土が順次連合軍に占領されてゆき、その土地の住民にとっては連合軍に占領されたときが「戦争の終わり」を意味していた。全国民が一致して実感する「終戦の日」というものは、ドイツ国民とイタリア国民にとっては存在しなかったのである。それに対して日本は、沖縄を除いて、国土が戦場にならないうちに降伏できたために、8月15日に天皇の玉音放送を全国民がラジオで聴くという形で「終戦の日」を全員一致で実感できたのだった。
 一億総玉砕を叫んでいた日本が「徹底抗戦」せずにすんだのはなぜか、ドイツのように首都が戦場となり政府が消滅するまで戦わずにすんだのはなぜか、その理由をじっくり考えてみよう。