【無名なブログ】DwJのDwJによるDwJの適当な世界【注意報2017】

世界的に有名なDWJや、拡張子のDWJや、ジャッキのDWJでもない、気がついたら色々被っているDWJの適当な世界です。

「徹底」と言う言葉を安易に使わないほうがよい。オマケ:DWJ流天才馬鹿凡人テスト。

2013-12-19 12:38:13 | どうでもいい事w
どうも。DWJです。

今回は、最近?よく耳にするようになった「徹底」と言う言葉についての話です。

近年の企業では良く使われているのではないでしょうか?「会社命令」「上司命令」などの「命令」では、反発を覚える人もいるからでしょうか?

何より、「命令」は他者からの指示であるからして、従いたくない人間に言われると嫌な感じがしてしまうのはしょうがないでしょう。

その代わりに、「徹底」と言う言葉が使われ始めていると思います。

この言葉を「多用」するのは、主に20代中盤の人では無いでしょうか?何処の誰にこの言葉を使うように言われたかは知りませんが、

今一度、この「徹底」と言う言葉のことを、よく考えてみてください。

徹底、とは、実に都合のいい言葉で、「徹底してください」という言葉は、実は、「あなた自身がそのように肝に銘じてください」と言う、

命令の受動的な行動ではなく、徹底と言う能動的な行動を行わせる言葉なのです。

ゆえに、安易に使うと、実は大変な事になるのです。





徹底、とは、

中途半端ではなく、一貫していること。

隅々まで行き届く事。

と言うこと。

つまり、~を徹底してください。という言葉は、「何があっても~は必ず行ってください」という「決まりごと」を意味することとなります。

これは企業や現場で必要なことであれば確かに問題なく、むしろ全員の行動に一貫性、統一性をもたらすのに効果的なものです。

特に、「情報共有は徹底して行ってください」と言った、「互いの情報に差異が無いよう逐一報告する」は、とても重要な事です。

また、「安全確認は徹底して行ってください」も、非常に重要で、日本人で危険な作業を行っている方は、

指差し確認や、相互声だし確認などは、たとえ日々の中で面倒くさくなっても、命の危険がある以上、自分以外の人のためにも必要な事です。

日本人は、こういった「内側への厳しさ」を持っており、それが互いのためである事を良く知っています。

ゆえに、「全員が共有し合うべき行動」などでの「徹底」という言葉は、「最上位の優先事項である」となります。

ですが・・・これが、外側に影響する話になると、問題が出てくるのです。







簡単に言うと、車の安全確認を徹底してください、と言われたタクシーを例にして話しましょう。



そのタクシー会社は、安全週間として「車発進時、停車時、走行時の安全確認を徹底してください。」と指示を出しました。

運転手達は(多分ありえないだろうが)その指示を徹底して従いました。

すると、どのような不都合が有るか?

簡単な話です。

初期発進ではなくとも、停車した車は最発進時、前方、後方を確認した上で発進しなければなりません。

まぁ、これはまだマシです。

停車もまだマシです。ただ、ブレーキをかけるときは、いちいちガックンします。

問題は客の急な道の指示などです。

「あ!そこ右に曲がって!」

と言った急な指示には一切従えません。

また、駐車禁止の場所では一切停車してくれません。

法廷速度も守ります。

ちょっとまってて、で、5分以上停車していてくれません。

と言った、簡単にわかる事も融通が利きません。

当然です。交通規則を徹底して守ると、実際タクシーは不都合が多くなります。

勿論、それは運転手にではなく、客に、です。

そうなると、客からはこういったクレームが出ます。

「指示に従って曲がってくれなかった。距離稼いでるんじゃないか?」

「止まって欲しい所で止まってくれなかった」

「遅い。メーター稼いでるんじゃないか?」

「待っててと行って戻ったら居なくて、後日請求された」

まぁ、実際あるかどうかですが・・・ともかく、簡単に考えても、客から「サービスが悪い」と思われる事がある。

もっと簡単に言うと・・・そうだなぁ・・・掃除かな?

飲食店で、「各シフトメンバーは全ての照明を掃除する事を徹底してください。」と店長指示が出て、

常に客が居て空かない席の上で掃除をしたら、客にキレられた。ですかね。

実際ありえないでしょうが、「徹底」と言う言葉を使った以上、そこに柔軟や臨機応変は存在できません。




てな感じ?まぁありえない例ですが、用は「徹底」という言葉を使ってしまうと、それを行った際に不都合が出る場合でも、

それを行わなければならなくなるってことです。

安全確認などの内々なものは問題ありませんが、外側の人間が巻き込まれるような「徹底」は「徹底」として存在できません。

行わなければならない、と言う束縛が発生すると、それは外側、外の人間、客に関係なく行わなければならなくなります。

そこで、もし、「お客様がいて上がるまでにできなければやらなくて良い」なんていうと、それはもはや徹底ではありません。

「そんなバカなことねぇよwwww」と思うでしょうが、実際それが起きるのだから問題なんですよ。

「徹底」を言った本人が、それを妥協するような言葉を言うのは、はっきり言って、殴りたいですねw

日本語やり直して来いって話ですよwww



まぁ、つまりは、安易に徹底という言葉を使うと、柔軟性や臨機応変が失われてしまうわけですよ。

掃除をすることを徹底してくれ、と言うのは簡単ですが、超絶忙しくて掃除する暇が無いのに、徹底しろと言われたのだから、

どんなに混んでいようが客をおっ放り出して掃除するなんて、ばかげた話でしょう。

それで客からクレームが出て、「店長が徹底しろといったからやった」に対して「そういう時はやらなくていいんだよ・・・」

なんていわれたら、「店長徹底しろっていいましたよね?」ってキレても私は許しますよw

だって、店長が「徹底しろ」って言ったから「徹底した」のに「徹底するな」なんていわれたら、そりゃぁねぇw

これは安易に「徹底」を指示した店長のミスでしょう。ここは、「掃除できる時はできるだけやってほしい」でいいはずです。

そうなると、店員は掃除できない時は掃除をせずに、今の忙しさに対処するでしょうし。

最優先するべき事に、自分達の都合の「徹底」と言う最優先事項を重ねてしまうと、部下はどちらを選ぶか?

それは、客より上司の命令でしょう。やらなかったら指示に違反するわけですから、それは従うでしょう。

「客」優先、と言いながら「掃除徹底」は、もはや矛盾した指示ともいえます。

「できない状態が終始発生する」可能性を見越していない、と言う、店長の判断の甘さが露呈してしまっていますね。


「掃除は徹底して行ってください。ですが、お客様が居て掃除ができない時は、できるときに行ってください。できなければ次のシフトメンバーに伝えてください。」

こう言われて、「は?」となったあなた。それが正解です。

前半で徹底を謳いながら、中盤でアッサリそれを撤回しているわけですから。






はっきり言いましょう。

「これはまだマシです。」

なぜなら、この矛盾した徹底なんぞ、矛盾している時点で徹底としての効力を失っているので、店員が自己判断で行ってもかまいません。

むしろ、「混雑時に掃除する事は優先すべき接客を行わないとなるので、私はお客様優先を徹底しました」といえば、言い返せないでしょう。

反論の余地があるだけマシです。

そして次のは、最悪な「徹底」の使い方です。




これは、私が経験した「史上最悪の徹底」です。




以前私はレンタルビデオ店で働いていましたが、最後に二年間いたビルのオーナー兼店長が、こういったクソを吐き出しました。

「以後、店員が客の要請で二階の商品を取りに行くのを禁止します。徹底してください。」

まぁ、本当は「客に言われて二階の商品を取ってこないよう、徹底してください。」ですが、

「ああ、~(理由)からでしょうか?」と私が聞くと、

「いいえ。いいから徹底してください。」

「え?じゃぁ・・・」

と、何度かその理由を聞きますが、全て「徹底してください」といった言葉だけしかかえって来ませんでした。

これの何が史上最悪か?

簡単な話です。それは、理由の無い徹底だからです。

理由が無いと、従う方法もなければ、客に聞かれても「店長指示」としか答えられません。

しかも、「二階に行くのが辛い足腰の弱いお客様」や「車椅子で来店されるお客様」に対する例外などは、

「徹底」である以上存在しません。

「二階に行って直接商品を見て欲しいから。」「店員が行くとお客が商品を目にする機会が減る」などの理由もなし。

ただただ「徹底」なのです。

はっきり言いましょう。

理由の無い徹底は、史上最悪のクソです。

それは、ただ指示した人間の私怨に過ぎないからです。

感情的な「徹底」ほど、最悪なものはありません。

「いいからつべこべ言わず私の指示を徹底しろ!!」と言う上司は、ゴミです。理由なき徹底は、ただの感情です。

命令は「従え」ですが、徹底は「お前が守れ」です。

言われた本人がそれを「徹底」すべきものではないと考えるようなものは、「徹底」されることはありません。

そうです。

徹底とは、思想に対する命令になるからです。

命令と違い、本人が順守するものなのですから、納得のいかないものや、理由の無いものを守ることなどできません。

そんなものをやれといわれれば、ただただ反感を買うだけでしょう。





徹底、と言う言葉を好む所ほど、ダメな所は無いでしょう。

なぜなら、そうやって「徹底」しなければ行えないのだから、ダメな所と言えるでしょう。

徹底しなくとも行う事がもっとも好ましい事なのです。

さらに言えば、「この一点だけは絶対におろそかにする事ができない重要事項」であれば、

「既に誰しもが徹底している事でありながら、さらに徹底と言う言葉を重ねることで、それは強固な意志となる」でしょう。

安全確認を徹底するのは、実際当たり前です。しかし、あえてさらに「徹底」することで、これは社員と企業の信頼関係ともいえます。

企業としても、社員に危険な目にあって欲しくは無いし、怪我なんてもってのほかである。

現場の人間も勿論、安全確認は徹底しているが、互いに徹底しあう事で、互いを思いやっている事を確認しあえるのです。

つまり、内々のことで、互いに守るべき、そして守っていることを標語として「徹底」することにより、互いの信頼関係のもと、徹底するわけです。

しかし、企業が社員や客の都合も考えずに、「これを徹底してくれ」といわれて、もしそれが作業に危険が増す事だったり、

出荷先の顧客や客に不都合を与えるものなら、反発を受けるのは当たり前でしょう。

その上客から「これこれこうで酷いんだけど」といわれても、「企業としてそこは徹底しているので申し訳ありませんが仕様です」

・・・PSPのフライングディスク事件を考えれば、かなりわかるんじゃなかろうか?

ともかく、徹底をバカみたいに使うのは、バカをみるのでやめたほうが良いでしょう。





徹底の徹とは、徹する事です。

徹するとは、その事に関しては頑なに譲らない事を言います。

~に徹するとは、その~を一貫して行う事です。

だからこそ、矛盾が生じてはいけません。

徹底。これは、軽い言葉ではありません。

覚悟を決めるのと同等の言葉なのです。

「何があってもそれに徹するべし」と言う、至上命令なのです。

これは苦言です。

徹底という言葉は、安易に使ってはいけません。

それは、柔軟な対応を失わせる言葉です。

この言葉を使えるのは、その指示を出して守り通せる人物だけです。

もっと言えば、会社であれば社長レベルが発言する言葉です。

店長レベルが考えもなしに発すれば、必ず矛盾が生じます。

なぜなら、さらに上からの指示でそれを曲げられれば、それは徹底でなくなってしまうからです。

徹底とは、その指示を出して、自らがそれに徹する事のできる人間が使える言葉です。

安易に使えば、信用は失われます。

あなたは安易に使っていませんか?

指示や命令の代わりの、都合のいい言葉として使っていませんか?

「徹底」といえば、従わせる事ができると思っていませんか?

それは間違いです。

徹底とは、徹頭徹尾。

頭の先から尻尾の先まで、龍が龍であるように、何者にも曲げる事のできないことなのですから。

それを簡単に曲げたり、矛盾が出るようでは、張子の虎ではなく、龍の頭とシッポだけのゴミとなるでしょう。

そんなものを信頼する人間など、居るはずが無いでしょう。

忘れないでください。

徹底とは、都合のいい言葉ではなく、

「貴方の覚悟」を語る言葉なのですから。








私はこの言葉を徹底しよう。

「徹底」とは、「徹底」すべき事を「徹底」することである。

ゆえに、私は多分、徹底と言う言葉を使わないだろう。

あらゆる可能性を考えれば、その徹底が邪魔になる事があるからだ。

邪魔になる徹底など、徹底的に邪魔である。

だからこそ、私は、「徹底的に柔軟かつ臨機応変に行う」事にしよう。

何事も一つの目線に縛られず、複数の視点を持って物事を見よう。

うまく行かないかもしれないし、この話さえそれが実践できていない例になるかもしれないが、

いつか見返したときに「硬いなぁw」と思えれば、その時の私は「徹底的に柔軟かつ臨機応変に」生きているのだろう。

あえて言えば、

「徹底を徹底しない事を徹底する」であろう。矛盾あれど、だ。

皆さんは、徹底、できますか?それとも、しないですか?

どうあれ、徹底は、他者よりも、自分に向けるべきでしょうね。

まずは、本人が行えないのであれば、それを他者に言う事はできませんからね~







そんな感じです。




















はい。まぁ、グチです。

そんな事より、今回は思いついた面白いオマケを乗せておきましょう。





















「あなたは???ですテスト」

このテストは、あなたが???であるという事が解かるテストです。

3つの答えを用意しますので、その中でもっとも自分の答えと近いものを選んでください。







では問題です。

正四角形の箱があります。その中身はなんでしょう?















答えが出ない方に、ヒントを差し上げます。




1:この箱の中身は定められていない。

2:この箱は開けるための鍵や機具などはついておらず、開けられない。

3:この箱はいかなる方法を持っても破壊することはできない。

4:この箱が箱であるという概念は、その箱が箱であるという概念が存在するだけで、実際に箱かどうか確かめられたものではない。

5:このテストは中断しても良い。









では答えです。下のほうにあるので、ぐぐっと下のほうを見てください。

























































答え

1:箱の中身がわからない時点で、問題として成立していない。

2:むしろ箱が凄い。中身よりも箱が気になる。

3:箱は凄いと思うが、答えはわからない。













はい。

あ、ちなみに、これ、私の自分勝手な判断なので、これが誰しもが当てはまるとは思わないでね?

ちょっとしたお遊びです。

それでOKな方は、DWJのDWJによる、DWJ判断の答えの注釈を以下に書いたのでお読みください。

却下な方は、かえってどうぞ。























答え「1:箱の中身がわからない時点で、問題として成立していない。」の方。

良く言えば常識人。悪く言えば凡人。目の前に出された問題のみに注視しています。

ですが、それこそが世の中を平均的に保つ重要なもので、それがもっとも当たり前の事です。

それ以上もそれ以下もなく、問題が既におかしいでしょ。ヒントもおかしいでしょ。と言うのが、常識です。

当たり前のことを当たり前に導き出せるあなたは、まさに「この世界においてもっとも当然の人」です。

もしかすると・・・このブログを平然と当たり前に呼んでいるあなたは、この答えには行き着かないかもしれませんww




答え「2:むしろ箱が凄い。中身よりも箱が気になる。」の方。

目の前に与えられた情報から、観察する事のできない中身はさておき、その箱が現代技術を持っても破壊することが不可能な事が気になっています。

いわば、破壊できないものは、加工できないのですから、それを加工する技術や、そのような素材を作り出す技術などの、

未知なる物に対しての好奇心と探究心にあふれています。

こんな適当なヒントからでも、その箱が如何に凄いものかを容易に想像できる貴方は、天才型です。

ですが、それこそ世の中から逸脱しているともいえます。一般的な凡人といわれる普通の常識人からすれば、

そんなよく解からない箱に注目する事や、問題そっちのけで箱を気にするのはおかしいとしか思えません。

しかし、その箱が如何に凄いものかを説明されると感心してしまうのが凡人です。

つまり、それが説明できるあなたは、まさに逸脱した人間です。

ああ、「おかしい」のではなく、いわば「発想が違う」ですからね?念のため。






3:箱は凄いと思うが、答えはわからない。

解かりやすく言うとバカです。しかし、バカとは劣っているという事ではありません。

常識的な人間からすれば、おかしな発想であるとなりますが、実際、この問題の注目すべき点はわかっています。

理屈ではなく、直感的な感覚で「なんとなくだけど」この箱は凄いとわかります。しかし、バカにとってはそれが当たり前・・・

悪い意味ではなく、「世の中でバカと言われている人は、理屈や理論ではなく直感的に物事を理解する人」であれば、凡人たる常識人からすれば、

理屈や理論で理解できないバカはバカにしか見えませんが、理屈や理論ぬきでそれを理解できるバカは、

天才からすれば、凄い存在といえます。

天才が理論から原理を何から何までくみ上げて説明したら、バカは「ああ、それ?うん、なんとなくだけど解かってた」なんていうのだから、

天才からすればそういった感性や直感。言ってしまえば超自然的レベルで物事を理解できる人は凄いと思います。

知性はバカでも、類稀なき才能を持つ人は存在するのですから。

ほら、芸人さんで、知恵遅れっぽい人が、絵画で才能を発揮して、そっちで有名になった人がいるじゃん?やってるやってる?









まぁ、こんな感じです。

私が、この私が、この問題を考えた時、答えはどうなったかと言うとですね、

この箱は何処から来たのか?こんな現代科学を超えるような代物は・・・もしや宇宙のどこかの高度な文明の存在が、

この箱を地球人が「理解」できるかを試すために送り込んだ、テスト用のものではないか?

いずれこの「箱」を解明し、新たな技術を得て、それがさらに文明を発達させる事に繋がれば、自分達の文明に近づき、

いずれは外宇宙進出を可能にすれば、接触した際に「それは我々が与えたものだ」とか言うんじゃねえの?

なんか映画のモノリスみたいだがwww

とか、飛んでましたが、実際現代科学ではつくる事ができないものは、別の高度な技術であることは確かだし、

もし発掘されたものであれば、それはオーパーツとして、かつて地球に高度な文明があった事になるし、

宇宙から飛来したものなら、こういった正四角形のような自然では生まれにくい形の物体を、作り出せる知性のある存在だとわかるし、

要は、そんな箱が目の前にあったら、正しく狂喜乱舞ものだ!となりまたね。

ともかくですが、そんなとんでもない箱があったら、ヤバイですわマジデコレ。

てなカンジです。私、天才かもねwwwwwww

まぁ、逸脱してるのは、確かですがねwwwwww









では、ついでに以前書いたものの簡易版を書いておきます。





天才から見ると、凡人はバカであり、バカは天才を超えるものである。

凡人から見ると、天才は凄く、バカは愚かである。

バカからみると、凡人は自分にできないことをこなせる憧れであり、天才は自信に近しい存在である。




これは私の持論である。

天才は、理論と原理を持って未解明なものや新しいものを発見できる、まさに好奇心と解明心の塊といえます。

もっとも、それを生かすかどうかは本人次第ですがね。

凡人は、世の中の平均を作り出す重要な存在で、それがなければ天才もバカも存在せず、バラバラな人間は共存などできないでしょう。

平均こそが世の中の常識なのですから、それがなくては常識が存在できません。

バカは、理論と原理を考えずとも、理解するべきことを理解できる、まさに自然な存在といえます。

一見愚かに見えますが、理解すべき事を直感的に理解できる彼らは、貴方も経験した事があるでしょう。「時としてバカは正論を言う」


天才であるからと言って、喜んでも居られません。それは「凡人のために」生かされなければ、タダの狂信か妄言になってしまいます。

凡人であるからと言って、嘆く事はありません。貴方が居なければ、世の中は存在しない。立派な中心なのです。

バカであるからと言って、落ち込むことはありません。貴方は、自身が理解すべき事は、誰かに教えてもらう必要なく、貴方は知っています。

どれに生まれついたとしても、それかと比べられ、自分の基準をそこに置く事になりますが、これだけは忘れないように。

当たり前でも、逸脱していても、脱落していても、誰もが、世の中に必要とされる存在なのです。

悪意を持って接しなければ、誰もが良き隣人です。まずは、自分がどの立場であるかを良く理解した上で、

他者との違いや、他者と同じ部分を理解しましょう。

そうすれば、貴方を知ることができるでしょう。






え?私?勿論天才型ですが何か?

まぁ、ムカシは自分がおかしいとか、バカとか思っていましたがね。

だからと言って、何か変わったかと言うと、特にそれほど変わっていません。

ただ・・・人の考えや行動を先読みできるのは、結構便利ですよ?ww







さて、また1万文字越えたし、今日はこの辺で。

ではでは~















IQテストの結果?

そんな事より答えが気になるね。解からなかった問題のさ。

あれは解き方が答えだから、答えだけ知ってても意味が無いんだよね~

それを導き出すのが楽しくて、何回かやってしまったので、結果は意味がありませんね~

メンサとかあるらしいデスから、興味のある方はテストを受けてみては?

まぁ、IQテストの信用性も、近年は疑われ始めていますがねw

だって、右脳型と左脳型があるんだから・・・ああ、要は、数字か絵か、ですね。はっはっは。

あなたはどっち型かな?それとも平均的かな?

じつはバカな人が、片方がものすごく天才だって人がいるかもよ?

ほら、あの映画みたいに・・・そう。対外的な知性は幼児並でも、頭の中だけで凄い計算や記憶ができる人とか・・・

天才より、実は、バカの方が、侮れないんですよ?・・・





そう思う人は、天才型かもよ?









DWJのおちょくりでした。

重ねて言うけど、これはあくまで私の個人的見解ですからね?

ふふふ・・・・





では~