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【無名なブログ】DwJのDwJによるDwJの適当な世界【注意報2017】

世界的に有名なDWJや、拡張子のDWJや、ジャッキのDWJでもない、気がついたら色々被っているDWJの適当な世界です。

小説というより、小さなお話第五回「衝動ってのはうらやましいものさ。」

2008-02-23 08:30:07 | 小説と言うより、小さなお話
「衝動ってのはうらやましいものさ。」

時折、嫌がおうなくほしくなるものがある。

たとえそれが何であっても。

思わず買って後悔したとしても、それは自分の欲求を満たした代償に過ぎない。

要は、その衝動に至るまでと、その経過が問題だ。



そんな問題にいま直面している。

生活費に少し余裕ができて、一万円ぐらいの物なら買うことができる。

そして目の前には、その70%ほどの価値の物が二つある。

二つは買えないがどちらもほしい。

そんな時人は、その二つを比べる作業を頭の中で急ピッチで進める。



しかしその頭の中の考えではイーブンである。

こういうときは他人の意見を聞く。

「こっちのほうが面白い。」

そう言われるが、実はほとんど聞いていない。
もしかしてもう一つのほうが面白いかもしれないのだ。


物や人によっては、趣味や趣向、付加価値から思い出の品まで、ひろく判別する要素がある。
それらをふるいにかけて、吟味し、より厳重に選別し、決断を下すのだ。

そう、このとき人は決断を迫られている。
そのあと後悔しようとしまいと別として、いまその場に迫られている選択なのだ。

諦めるには価値が大きいときほど、選ばなかった方の価値は大きくなる。

悩んだ挙句、衝動買いだと決め付け、自分をごまかして諦める。
しかし次に訪れたときには片方がなくなり後悔する。

だがその次に訪れたとき、そのなくなったものが再び目の前に現れる。

決めた、またなくなる前にこっちを買おう。

買った帰り道、もう片方のことなどわすれ、いま買ったものを楽しむべく、期待に満ち溢れた顔で歩いていると、こう言われる。

「嬉しそうだな。でも、悩んでいるときも楽しそうだったぞ?」

「本当にほしいものがあることもそうだが、そういう衝動ってのはうらやましいもんさ。」

「他人にとってはな。」





・あとがき
誰かに「本当にほしいものがあったらどうする?」とか、
「どうやっても間に合わないところで、大切な人が危険にさらされていたら?」と聞かれたことがあります。
私はこう答えました。

「力ずくで」。

思いっきり「力で解決できないこともある。」といわれました。
しかし、狂おしいほどに欲する、物、者、事については、私は全力をかけて行動する意味で言いました。
何もせずに祈るだけじゃ、解決しても自分はただ祈っているだけにすぎず、その祈る対象にすがっているだけにすぎない、そう思うからです。
かの名作ポセイドン・アドベンチャーでは、牧師がそう言っています。
そして自分の中の神=自分の心に祈れ=頼れといっていました。
捕らえ方は別として、私の考えもそうです。
ただ、信仰の対象を疑うのではなく、それを逃げ道にしないことが大切だと思います。
たとえ神の教えであっても、人を助けるのは人であり、実行する人の心だからです。

それゆえ、自分の思いに忠実で、なおかつ迷いながらも進む人間は、うらやましいと言われるのでしょうね。

たとえそれが愚かなる行いだとしても。


小説と言うより、小さなお話第四回「遠くへ行けるもの、行けないもの。」

2008-02-14 14:09:53 | 小説と言うより、小さなお話
「遠くへ行けるもの、行けないもの。」

そいつは遠くへと行ってしまった。

ほんの少し目を離しただけで。

遠く沖のほうへと流されていった。

オレは全力で追い駆けたが、途中で諦めた。
引き返せなくなるかも知れないと、臆したからだ。
だが本当は、このまま自分も遠くへ行ってしまいそうな気がしたからだ。

帰りの車の中、ダチが言った。

「あいつ、どこまで行くんだろうな。」

その妻が答えた。

「案外、ハワイにたどり着いて、エンジョイしちゃうんじゃない?」

俺は言った。

「オレも行けるかな?」

するとダチは答えた。

「おまえなら行けるよ。どこへだってな。」





・あとがき
 今はどこに・・・経験があるかもしれませんが、このときはロブスターのです。
浮き輪です。
そんなアイツにたいして、愛を込めて作りました。ほとんど実話です。熱海?

小説と言うより、小さなお話第三回「見上げた空、上り坂の途中。」

2008-02-11 22:03:20 | 小説と言うより、小さなお話
「見上げた空、上り坂の途中。」

胸ポケットのタバコを取り出し、火をつけた。
歯医者の帰り道。
いつもは自転車で来るが、今日はまだ予約の時間まで空きがあったので、歩きできていた。

歯医者が言うには、しばらく通う羽目になるとか。
でも、歯医者のおじいさんとおばあさんと話すのは、結構楽しい。
話が合わないんじゃないかと思われるが、実際話してみると、いろんな話ができる。
二人とも笑顔が素敵で、本気で患者のことを考えてくれる「町の歯医者さん」というような人で、実は通うのは何の苦も無く、逆に楽しみでもある。

そんなわけで治療の後少し話した後、また来ますと挨拶して外へ出る。

外は晴れ渡り、まぶしい太陽が輝いている。

「ん?」

ふと見慣れないものが目に入る。
いや、正しくは、いつも見る事も無く通りすぎてしまものだ。
呆然と見上げてみる、右はどこ方面、真っ直ぐは、左はといった道路標識だった。

その後ろにはいくつかの木が生えていて、看板の後ろで見え隠れしている。

「あ・・・」

 しかし、それ以上に目に入ったのは空だった。

「・・・・」

 それも、一目で綺麗と思える空で、しばらく見入ってしまった。

「こんなに空が綺麗なんて・・・」

思わずそう言いつつも、なぜそんな風に思ったか分からなかった。
ただ、本当に綺麗だと思ったのだ。

もし自転車で来ていたら、見上げるよりも、前を気にしてそれ所では無かった。
普通に歩いていても、暑いから早く帰ろうとか考えて、さっさと通り過ぎてしまっただろう。
すれ違って行く人達は、そんなものを気にする風でもなく、何かいそいそと通り過ぎて行く。
しかし、空を見上げたこの目は、ただそこに広がる綺麗な空だけを見ていた。

「・・・・」

それからなぜか笑顔になった。いままで気づかずにいた風景が目の前に広がって、それが嬉しくて、楽しくて・・・
不思議に夏の暑さを忘れ去っていた。

「・・・また、歩いてくるかな・・・」

いつものようにまた坂を登る。
 
坂の先を見て。

いつもは面倒だと思っていたこの坂だが、今はこの坂を好きになった。





・あとがき
 ただ単に、見上げた空が綺麗だった。そんなもんです。
でも、もしこの歯医者に通わず、歩いてこないで、タバコを吸わないで、道路標識に気づかなかったら、多分一生見ることができなかったと思います。
常に移り変わる空が一瞬だけ見せてくれた、名画も霞むような最高の風景。
でも、ほっと気を抜いたときに見る風景は、どれもいいものかもしれません。
たまには下や前ばかり見ないで、立ち止まって、空を見上げたら、いつでも見られるものなのかもしれません。
本当に綺麗でした。
まさに一品。写真に残したかったのですが、そうするとなんだか色あせてしまう気がします。
そんな風景を、見たことがありますか?

小説と言うより、小さなお話第二回「今にも落ちてきそうなあの雲の下で。」

2008-02-08 12:17:14 | 小説と言うより、小さなお話
「今にも落ちてきそうなあの雲の下で。」

 帰り道、そこは雨だった。朝。雨。人の流れ。車の流れ。文化の粋を集めたこの地でさえ、人はその行動を左右される。
 雨の元雨を避け歩く人。雨の元雨を避け流れる車。だが、オレは雨を避けなかった。
 いいわけにしか聞こえないが、今日、傘を忘れただけだった。

 他人の目から見れば、俺はおかしなヤツと思われるだろうが、俺は両腕を広げて雨を受けた。
気持ち良い。無くした何かを得るように、俺は雨を受けた。

 オレはなぜか大きな気持ちになった。そんな俺の姿を見て、人々が傘をたたみはじめたからだ。

 だが、すぐにつまらなくなった。

 雨がやんだからだ。




・あとがき
 読んだ感想は「男」と言われました。適当に浮かんだものでした。それを少し手直ししましたが、どうでしょうか?
 後にタイトルが同じなのがあるのは、特に意味はありません。

小説と言うより、小さなお話第一回「届かぬは月の人」

2008-02-06 13:27:34 | 小説と言うより、小さなお話
何でもアリだし、その他ってこともあるので、昔作った「小さな話」を掲載しようと思う。
どうせオレが誰だかわかんねーから、恥ずかしくもねえやw

間違っても本物の小説家ではないので、適当に見てくれておk。

第一回は、初めの頃に書いたものだ。








「見上げるは届かぬ月の人」

 親父はよく月を見上げていた。新月の夜以外は必ず見上げていた。
その背中は寂しそうであり、何かを懐かしんでいるようだった。
 それは、長年付き添った母が亡くなった、一年ほどした頃だった。

 ある夜、物音がしたので起きてみると、親父が月を見上げていた。
いつもなら眠っている時間だが、その日に限っては、いつまでも見上げていた。

「また見ているのか?ああ、綺麗な満月だな・・・たしか、さっきまで雨が降っていたが・・・雲が全て無くなっている・・・?それになんだか近いように見える・・・」

 親父は無言だが、俺の言葉に小さくうなづいて答えた。確かに月が好きではない人でも、思わず足を止めてしまうほどだ。

「・・・母さんがなくなってからは、ずっとだな。なにか思い出でも?」

 そう聞いてからしばらく経った後、親父はゆっくりと口を開いた。

 それは、母さんとよく月見と言ってはデートに誘い、よくいろいろ語り合ったと言うことだ。
それにプロポーズも満月の下。そう言えば、母さんが死ぬまで、満月の日は欠かさずに二人だけで出かけていたものだ。
俺にとっては、理想とも思える夫婦仲で、俺もカミサンとよくデートに出かける。
子供達にはいい年して、と冷やかされるが。

 親父はそれ以降、口を開かなかった。俺もそれ以上聞く気は無かった。
親父は、思い出をめぐらせて静かに月を見上げるのが、何よりも好きだった。
そして、母さんのことがそれだけ好きだったのだ。

 どれだけ時間がたったのか、俺は気にしていなかった。
男同士は語らずとも伝わるものがある。俺はそう思うからだ。
老いて曲がった背中。寂しそうな背中。弱そうな背中。しかしそこには、尊敬すべき強い男の後姿があった。
そしてなぜか、涙が出てきた。

 それに気づいたか、親父はゆっくり振り返ると、

「さあ、行こうか。」

 と言って、部屋へと戻っていった。


 翌朝、親父は冷たくなっていた。しかしその顔はなんだか嬉しそうで、とても起こす気にはなれなかった。

 多分、今ごろ母さんと、月見でもしているのだろう。

 その夜、俺は何気なく月を見上げた。そこには、二匹のウサギが餅をついていた。
その様子を、親父と母さんが、楽しそうに見つめていた。俺は笑みがこぼれた。
俺の後ろに息子が立っていた。多分、あのときの俺と同じ気持ちだろう。

「綺麗だろう?あそこには、いろんな人の思い人がいるんだ。」

「届かぬは月の人、だろ?じいちゃんが言ってたよ。」

 そして二人で、しばらく月を見上げていた。





・あとがき
 ある有名なセリフ?で、
「君の見上げる空は、私の見る空と繋がっている。」
 というのがありますが、死者が見上げるという行為は、なんだか暗い気がします。
そんな感じか、生者が見上げ死者が見下ろす、つまりあの世とこの世って感じです。
このおじいさんはおばあさんを思って月を見上げていますが、一歩間違えたらボケてんじゃないのかと思われそうです。
特に女性はそう思いがち(偏見?)かもしれません。
が、月というものは、古来から人々にいろんな物語を伝えてきましたが、そのほとんどが「女性の象徴」であり、神話では、「母」ではなく「女性」の象徴であり、今現在現実の女性も、その月の影響下にあります。
それを見上げる男というのは、思う人に思いをはせるロマンチックな人かもしれません。
でも、前を向いてないと、こけるぞ?
 「届かぬは月の人」と言うタイトルは思いつきで書きました。
ほとんど本文が先行して、後付けしています。
書いている途中で、本当は「届かぬは月の女(女と書いて人)」だったのですが、それじゃあおじいさんの息子は誰を見上げてるんだ?てなことになり、変更しました。
この家族は、みんなロマンチックなんでしょうね。
 しかし、女性のほうがロマンチックなものを好むのに、実は現実的というのに、男はロマンをこのみロマンに生きる節がありますが、勘違いでしょうか?
まあ、アツイ男のロマンと、女性の甘いロマンでは、差がありすぎますが。
 ま、つまるところ男のロマンチックです。こんな死に方をしてみたいものですねえ。



うわあ、はずいかも。

後書もそのまま修正なし。
元々メモに書いたものなので、改行などはしたが・・・

もう載せちゃったし、いいや。

次回は「今にも落ちてきそうなあの雲の下で。」です。

楽しみにしなくてもいいし、個人的に楽しんでるだけのオレDWJ。