「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・沖田畷の戦い」電子書籍紹介。アマゾン・グーグル・角川電子書籍・楽天・BOOK★WALKER電子書籍」

2020-05-09 05:51:11 | 投稿済C

「歴史の回想・沖田畷の戦い」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」
 肥前の龍造寺氏は、もともと少弐氏の被官であった。龍造寺隆信が家を継ぐと、主家を少弐氏を滅ぼし独立、異父弟の鍋島直茂、四天王と讃えられた百武賢兼・成松信勝・円条寺信胤・倉町信俊らの勇猛な家臣の活躍で、筑前・筑後・肥後に勢力を伸ばしていった。
 龍造寺隆信は「肥前の熊」と称されるほど武勇に優れた武将であった。しかし、隆信は武勇・知略には長けていたものの、残忍な性格も併せ持ち、新参の武将のなかには彼に心服していない者も少なくなかった。
 天正九年(1581)、北進を目指す島津氏は肥後の相良氏を降し、肥後に勢力を伸ばしてきた。これをみた肥前島原領主の有馬晴信は龍造寺氏を離れ島津家に誼を通じた。これを知った隆信は、嫡子政家に有馬討伐を命じたが、有馬氏は政家の妻の実家ということでもあり、有馬氏討伐は遅々として進まなかった。これにしびれを切らした隆信は自ら三万の大軍を率いて島原に上陸、有馬氏の居城・日野江城を目指した。一方、有馬軍の兵力は約3千で、晴信は島津家に援軍要請を出し、龍造寺軍に備えようとした。
 晴信からの援軍要請を受けた島津家中では、地理不案内の島原への派遣に対し否定的な意見を出す家臣が多かった。しかし、島津義久は「古来、武士は義をもって第一とする。当家を慕って一命を預けてきたものをなんで見殺しに出来ようか。」といい、島原への派兵を決定。派遣軍の総大将には末弟で、島津家一の戦上手といわれた島津家久が選ばれ、脇将として島津忠長・新納忠元・伊集院忠棟・川上忠堅ら精鋭三千が有馬氏救援に派遣された。
 島津軍の来援で、有馬軍は活気を取り戻した、とはいえ有馬・島津両軍あわせて六千余りの軍勢でしかなく、龍造寺軍の三万に対して態勢であることは変わらなかった。そこで家久は、有馬方の諸将と協議した上で、戦場場を島原北部の沖田畷とした。沖田畷は左右を沼沢に囲まれた湿地帯で、その中央に左右2・3人並んで通るのがやっとの畦道があるだけの地で、大軍を展開することが困難な場所であった。
・沖田畷の合戦
 これに対して龍造寺隆信は、有馬・島津の主力軍は日野江城にいるものと思い込み、自ら沖田畷の中道へ軍勢を進めた。沖田畷付近で龍造寺軍の先鋒部隊が島津軍と遭遇、龍造寺軍は島津軍が小勢なのを侮り、物見も出さずに攻めかかった。策を秘めた島津軍は、たいした抵抗もせず、ずるずると後退し、勢いに乗った龍造寺軍は一気に攻め立てようと沖田畷の畦道をひた進んだ。
 家久は龍造寺軍が十分射程に入ったのを確認すると、一斉に銃弾を撃ちんだ。思わぬ銃弾の飛来に龍造寺軍は先陣が崩れ、退却しようにも後続の軍が次々と続いてくるため身動きがとれず、狭い道の中で大混乱に陥いった。
 龍造寺軍の混乱ぶりを見きわめて、島津軍は一斉に抜刀し、三方から龍造寺軍に攻めかかった。隆信は、進展を見せない合戦に苛立ち、自らが前線に立ち指揮を取ろうとした。この時、島津家久の家臣・川上忠堅の放った鉄砲弾が隆信に命中、龍造寺隆信は呆気無く五十六才の生涯を閉じた。二万余りの龍造寺軍は動揺し、鍋島直茂は退却。殿軍を受け持ったのが四天王の武将で、四名とも殉死に近い働きで、二万の将兵を無事に佐賀まで退却させりことに成功した。しかし、この合戦において、九州北部に一大勢力を築いた龍造寺は衰退を余儀なくされるのである。
 寡勢をもって、勢いにのる龍造寺氏の大軍を撃ち破り大将まで討ち取った、島津家久の作戦による大勝利であった。 これで島津氏にとって九州制覇への道が 大きく開けたのである。




「戦後日本の回想・S37年」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子」

2020-05-07 06:12:26 | 投稿済C


「戦後日本の回想・S37年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子」
昭和37年には世界は東西冷戦構造で、キュウバにソ連がミサイルを持ち込もうと画策し密かに輸送するところ察知を米国したケネデー大統領は大西洋で待ち伏せて攻撃の宣言し「一触即発のキュウバ危機」が勃発、英国の執り成しでソ連船が引き返し事なきを得た。日本の政界では創価学会の公明党が結成され、社会党江田書記長が江田ビジョンを提唱し、池田首相の「国つくり」を提唱し、社会党の左右の対立は根深いものがあった。高度成長時代に求人難から「青田買い」と国産の旅客飛行機YS11が成功し、13キロに及ぶ北陸トンネルが完成した。また青年冒険家堀江健一氏が単独太平洋を横断に成功し世間を驚かせた。また世界最大の巨大タンカー13万トンの日章丸が進水し工業を支えるエネルギーを確保した。また薬害のサリドマイド事件が起き社会問題になった。庶民の娯楽では「てなもんや三度笠」や「無責任時代」などが人気を博した。





「戦後日本の回想・S33年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-05-03 15:28:41 | 投稿済C

「戦後日本の回想・S33年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
この年に第二次南極観測隊悪天候で着岸出来ず、上陸せず15頭のカラフト犬を残したまま、愛犬ら置き去りにしたまま無念の日本に引き揚げ、翌年二匹のカラフト犬が生存しているのを発見し日本中の人々に感動を与えた。3月には関門トンネルが開通し、交通では東京神戸間を特急「こだま号」が6時間50分で結び、航空事業も遠距離に使用され一般化される時代になったが、DC3が下田沖で遭難した。スポーツを見れば相撲は栃若時代を築かれ、長嶋茂雄が新人賞に輝き、鉄腕稲尾和久が3連敗から4連騰で連勝し「神様仏様稲尾様」と言わせた。流行ではロカビリーが流行、一万円札も発行された。また皇太子の婚約で正田美智子さんのファッションにミッチーブームが巻き起こった。文学では松本清張の「点と線」は話題を呼び、12月には世界一の東京タワーが出来上がり、外交ではインドネシアに平和条約と賠償協定が結ばれた。茶の間のテレビの人気は「月光仮面」「バス通り裏」人気を博した。


「戦後日本の回想・S36年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・

2020-05-02 05:53:57 | 投稿済C

「戦後日本の回想・S36年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
昭和36年の政治は社会党の党大会で河上丈太郎氏が選出され、左右両派の均衡を保持した運営に迫られ、政権池田内閣の閣僚起用は佐藤栄作・河野一郎・藤山愛一郎・三木武人と挙党態勢で重量閣僚の布陣に野党に対峙した。この年に「創価学会を背景に「公明政治連盟」結成された。外交問題はアメリカライシャワー大使が赴任、池田・ケネデー会談が行われた。また懸案の貿易摩擦の「第一回日米貿易経済合同委員会」が進めらえた。年末には三島由紀夫のクデター未遂の「三無事件」が起き世間を騒がせた。スポーツは女子バレーボールの連署記録で「東洋の魔女」と言われた。巷の流行は柏鵬時代を迎え「柏戸・大鵬」の二大横綱が着目されたテレビの前の相撲が釘づけにされた。流行ブームは「植木等のすーだら節」に「余は挙げてレジャブーム」で余暇を楽しむ若者が出てきた。流行歌では坂本九の「上を向いて歩こう」「銀座の恋の物語」など流れた。茶の間のテレビの「シャボン玉ホリデー」「七人の刑事」も人気を博した。