「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・二・二六事件」アマゾン電子電子。 二・二六事件は昭和一一年(1936)早朝、東京で起こった陸軍の反乱事件。陸軍第一師団下の歩兵第一・第三

2019-11-02 05:01:14 | 温故知新
「歴史の回想・二・二六事件」アマゾン電子電子。
二・二六事件は昭和一一年(1936)早朝、東京で起こった陸軍の反乱事件。陸軍第一師団下の歩兵第一・第三連隊を主力とした将校20名、下士官88名、兵1375名などが総理大臣岡田啓介、内務大臣斎藤実(即死)大蔵大臣高橋是清(即死)教育総監渡辺錠太郎(即死)らを急襲、さらに別動隊は神奈川県湯が原町で前内大臣牧野伸顕を急激した。蜂起部隊は永田町・三宅坂一帯を占拠し、政治の中枢機能は完全に麻痺した。収集を急ぐ陸軍大臣川島義之は宮中の協議の結果、この日の午後3時30分「陸軍大臣告示」を決起舞台に下達した。そこのは「諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノと認ム」と記され、状況は決起部隊に有利に展開したかに見えた。しかし、翌27日午前8時50分、東京市には戒厳令が施行され、28日午前5時8分には「反乱軍」の原隊復帰を命ずる「奉勅命令」が下された。この状況転回には、重臣の殺害に激怒し、自ら近衛師団を率いて討伐するとさえ言った昭和天皇の強い意思が働いていた。事態は杉山元参謀総長と石原莞爾作戦課長を中心に鎮圧に向けて動くが「紅軍相撃」の危機も切迫、これを回避するため「下士官、兵に告ぐ」というラジオ放送が流され、帰順を勧めるビラがまかれた。こうして29日の午後、反乱軍は帰順し事件が終結した。同年3月4日「一審制、上告なし、非公開、弁護人なし」の特設陸軍軍法会議が設置され。7月5日には死刑17人を含む判決が出された。また翌年8月には村中孝次、磯部浅一、とともに思想的指導者として北一輝、西田税が処刑された。この事件の背後には、権力の掌握によって「高度国防国家」の次元を目指す統制派幕僚と「君側の奸」を排除した「一君万民」の理念の実現(昭和維新)を目指す皇道派青年将校との、国家構想をめぐる二重の対立が含まれていた。その意味で、反乱軍の鎮圧は軍幕僚の主導権の確立を意味し、以後、軍部は政治的発言を増し、戦争への道を突入していった。






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