「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「高僧名僧伝・鑑真」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。

2020-05-26 05:51:18 | 投稿済C

「高僧名僧伝・鑑真」アマゾン電子書籍紹介。
鑑真(688年~763年)奈良時代中期唐僧。中国の揚州江陽県に誕生。戒師招請のために入唐していた栄叡、普照が初めて鑑真に渡航を要請したのは743年、揚州大明寺においてであった。鑑真の名声はすでに高かったが、彼は直ちにとかいを決意し、難色を示す弟子たちに「是は法事ののためなり。何ぞ身命を惜まん」といったと伝える。しかし渡航は容易ではなかった。第一回、第四回目は役人に妨害され、第二、三、五回目は風浪にさえぎられて、特に五回目は難渋を極めた。鑑真は失明し、栄叡は客死した。ようやく実現したのは753年(天平勝宝5)のことで、遣唐使大伴古麻呂の船に乗り、12月薩摩国阿多郡秋妻屋浦に到着。翌年2月に入京し、吉備真備より「今より以降、受戒伝律一に和上に任す」の勅を伝えらえたという。4月には聖武上皇以下多くの人々が鑑真より菩薩会を受け、賢璟、善謝らは旧戒を捨てて受戒した。755年、東大寺大仏殿の西に戒檀院を作り、自らは同寺唐禅院に住して戒律の普及に努めた。翌年5月大僧都となる。この抜擢は彼の医学に関する専門的知識による貢献と、「学業優富、戒律清浄にして聖代の鎮護にたたえ、僧尼の領袖」という高い評価によるものと思われる。また、757年(天平法宇元)には「仏法を護持することは木叉より尚きはなし」と言い、戒律を学ぶもののために、備前国に施入させられたことも、鑑真らへの期待によるものだろう。ところが同年8月「政事燥煩にして敢えて老を労せざれ」として大僧都の任を解かれる。慾758年には、故新田部親王の旧宅に「唐律招提」の名を立てて、寺院を建立しはじめる。760年~761年には東朝集殿が施入され、藤原仲麻呂の家からは食堂が寄進された。鑑真は伝律と唐招提寺の充実に力を尽くしたが、生前には金堂が完成しなかった。



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