「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・蛮社の獄」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKERグーグル・楽天・角川・電子書籍

2020-03-16 12:22:40 | 温故知新


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天保10年(1839年9に起こった渡辺崋山とその同志に対する弾圧事件でシーボルト事件(1828)とともに洋学史上最大の弾圧事件とされる。しかし、もともと幕府官僚内部の対立による疑獄事件であり、関連資料も故意に隠滅された形跡があって、真相はほとんど知られていなかった。藤田茂吉「文明東漸史」(1884)によって憂国の蘭学者たちが崋山や高野長英を中心に尚歯会という政治結社をつくり、林家を中心にした蘭学者や開明派官僚たちのグループとは別物で「蛮者」の名も普通名詞で、特に崋山らのグループを指すものではない。崋山は三河国田原藩士で1832年に年寄役末席につき、海岸役兼務を命じられたことから海防に関心を持ち、蘭学者を招き蘭学の研究を始めた。折から内政的には飢饉や一揆・打ち壊し、対外的には内憂外患が表面化していた。これに危機意識を共有する幕臣や儒者・文人など崋山のもとに集まり、崋山は「蘭学にて大施主」と評された。幕臣では川路聖謨・江川太郎左衛門・羽倉外記・下曾根信敦らの開明派、儒者・文人では、古賀侗庵、遠藤勝助・赤井東海・安積艮斎・斎藤拙堂・立原杏所らがいた。これが幕府儒官の林家を刺激し、とりわけ林述斎の次男鳥居耀蔵は崋山のグループを老中水野忠邦に告発。しかし、その告発より。1837年のモリリン号事件を契機に崋山が「慎機論」長英が「夢物語」を書いて幕政を批判したことが理由で1839年5月、二人は逮捕され、小関三英は罪が及ぶのを恐れて自殺した。崋山は在所蟄居、長英は永牢に処せられた。この後しばらくは蘭学は冬の時代に入る。



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