「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・大政翼賛会」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書籍

2019-12-01 06:06:04 | 温故知新
「歴史の回想・大政翼賛会」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書籍
大政翼賛会は昭和15年(1940)から終戦の昭和20年まで5年間で発足したアジア・太平洋戦期を通じて活動した中心的国民運動と動員組織。新体制運動の結果。1940年10月12日に戦時体制を担う中核組織として結成された。近衛文麿首相が総裁を兼任し有馬頼寧が事務総長になるなど、当初は近衛グループが主導し、軍部・革新右翼がそれぞれ支えた。中央本部には総務局・組織局・政策局・企画局・議会局の5局が置かれ、地方組織として道府県支部一郡支部・6大都市支部一市区町村があり、その末端に町内会・部落会・隣組が組み込まれた。道府県支部長には途中から知事が就任し、独自の組織を作ったものの内務省の影響力を免れることができなかった。別に協議機関として中央協力会議一道府県協力会議一市区町村協力会議が置かれたが、実際には「下情上通」の組織であった。近衛グループは新党において指導権得ることを期待して解党した政党勢力を議会局に押し込んで、強力なヘゲモニーを発揮しようとしたが、近衛が主導することを嫌う観念右翼は、翼賛会を唯一の政治活動団体として政事結社を主張した。これを内務官僚や財界人などが呼応したため、結局1941年2月に公事結社と認められ、能動的な政治活動が禁止された。さらに4月の改組では有馬事務総長以下が辞任を余儀なくされ、内務省の「上意下達」の行政補助機関として機能することになった。有馬に代わる事務総長にはk大蔵官僚出身の石渡壮太朗が就任し、以後横山助成・後藤文夫・丸山鶴吉・小畑忠良・安藤狂四郎と官僚出身者が引き継いだ1942年1月には実践組織として大日本翼賛壮年団を発足させ、6月には産業報国団、商業報告国会・大日本青少年団など6団体を統合した。また8月には町内会・部落会の会長翼賛会の世話役に、隣組長を世話人に指名して事実上両組織の一体化図り、住民の日常生活を管理する唯一の国民運動組織・行政補助組織として戦争動員体制を支えた。1945年6月23日の国民義勇隊の結成に伴い解散し






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