「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「古代の群像・持統帝の中継」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」

2020-05-15 14:51:26 | 投稿済C

「古代の群像・持統帝の中継」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」
持統天皇(645年~702年)古代の女帝。686~690年称制。父は天智天皇、母は曽我石川麻呂の女。遠智媛
名は鸕野讃良皇女、諡号を大倭根子天之広野日女尊、また高天原広野姫天皇という。天智天皇の弟大海人皇子の后となり草壁の皇子を産んだ。672年(天武天皇元)の壬申の乱にあたって夫と行動を共にするとその後皇后となり、政権を補佐した。686年(主鳥元)の天武天皇死後は皇后のまま即位せず国制を取り(称制)689年(持統天皇3)皇太子草壁皇子が没する、翌年正式に即位をした。天皇は夫の跡を継いで律令国家建設の事業を推進、7689年飛鳥浄御原令を班賜し、官制や人民支配の体制を整えた。また初めて中国的な条坊制を採用した。藤原京の造営を進め、694年、ここに遷都。仏教の信仰にも圷、薬師寺の造営を進め、694年には諸国に金光明経を分かつなど、国家仏教を推進した。天皇は自己の系統に皇位を伝えることに腐心し、696年太政大臣の高市皇子が没すると、翌年、草壁皇子の子で15歳の軽皇子(文武天皇)を皇太子としてこれに譲位し、その後も上皇として文武天皇の政務を後見、その体制下で701年(大宝元)大宝律令が完成した。翌年12月22日没、火葬の後天武天皇の檜隈大内陵に合葬された。その存在は以後の皇位継承に大きな影響を与えた。


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