
トルコに興味がある人なら、ケマル・アタトゥルクという人名をご存知だろう。彼は、権力が弱体化していたオスマントルコのスルタン(王様)を1922年に退位させ、現在につながるトルコ共和国を設立して初代の大統領となった軍人・政治家で、「建国の父」と呼ばれている。トルコのお札は(作者の記憶では)全ての額面に、彼の顔が描かれている。トルコでは、それほどに絶対的な存在である。
そのアタトゥルク氏が、トルコを近代化する際、非常に重視したことは、近代化を阻害するであろうイスラム教のしがらみから国民を解き放つことであった。たとえば、伝統的なイスラム社会では、女性が公共の場に出るときは、顔や身体の線が見えて男を挑発してしまわないよう、ベールをかぶり、くるぶしまで届く長い服を着なければならないが、アタトゥルクは公務員が役所で、また学生が学校で、ベールを着用することを禁止した。
トルコは国民の90%以上がイスラム教徒である。それなのに「ベールをかぶらなくても良い」ではなく「かぶってはならない」としたのだ。それほどにアタトゥルクとその同志たちは、イスラムの伝統から人々を強制的に解放しない限り、近代化(欧州化)はできないと思ったのだろう。日本の明治政府が、国民の中にある江戸幕府400年のしがらみを抜くため、ちょんまげや帯刀を禁止したのと同じ理由からだった。(最近のアフガニスタンやホメイニ革命後のイランで起きたことと全く逆の動きである)

軍隊による警備

人形のように、動かない!


大きなお棺

市内の一等地にある。
犠牲祭の祝日でもあり、大勢のお参りで賑わっていた。