テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

あれは三年前・・

2014-03-10 23:29:59 | 日記
良く憶えているのですが、通常の操業時間を随分と過ぎてから、顧客よりトラブル発生の知らせが入り、遠隔地(房総半島)に出張していた私は、取引先の若手担当者と翌朝にかけて連絡を取り合って取りあえずの手配をしました。そして通常、週末は、帰阪後の終電車に間に合うぎりぎりの新幹線に乗るのですが、早めに帰って、顧客先を夕方にでも訪問しようと昼過ぎに予定を切り上げました。前夜、あまり睡眠を取れなかった所為もあり、東京から乗ってすぐに遅めの昼食を取り、車両の最後部の席だったので、深くシートを倒して眠っていました。
アイマスク代わりのハンカチもぴったりと顔に馴染み、よく眠っていたはずなのに、ふと、目を覚まして、窓の外をきょろきょろ見て、その行為の後に、ようやく意識が醒めて、何故、外を見ているんだろう?と不思議に思っていたのですが、数分後、徐々にスピードを落として、列車が停止しました。関東地方で地震があり、静岡まで(その列車はもう静岡を過ぎていました)の区間で送電停止区間が生じ、安全確認の為、しばらく停止いたしますとアナウンスがあり、途端に車内では携帯電話を取り出す人が見え、私も席を外して、あちこちに連絡しました。その後、色々と紆余曲折もありましたが、列車は動きだし、なんとか帰れる目処も立ちました。後から見聞きしたところによると、私より25分後の列車に乗ったかたは、その日の内に帰れなくて、一時間後を予定していたかたは東京駅にもたどり着けなかったそうです。
前日のトラブルのおかげで、あの日の都市難民にならずに済んだことを、いまでも、稀有な巡り会いだなあと思うとともに、遅れたために、顧客訪問を返上して途中下車した新幹線のコンコースにあふれる人の群れ、そして帰宅後、恐ろしい津波の様子、東京湾の夜空を焦がした油槽所の火災など、その昔に流行ったパニック映画以上の光景に気持ちがずんと重くなったのを憶えています。幸い、知己のかたがたには福島にお住まいの方も含めて、あの規模の災害の割りには、大過なかったのですが、その後の原発事故や、様々な深刻な出来事などなどに、私自身も仕事も振り回されたのも、あの、ふと目を覚ました瞬間から始まった一幕は、ずっとずっと終わることがないのだろうか、と、どこか現実でないような気がするのも、不遜な言い方かもしれませんが、私にとっての被災だと思っているのです。

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