テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

月見る夜

2014-03-11 23:11:20 | 日記
なんてことない、雲に遮られたおぼろ月ですが、他に見える星もないので、しばらく眺めていました。
双眼鏡で星見を始める前は、月に対するネガティブな感情なんてものはなくて、詩や歌や文学に出てくる叙情的な思いが主でした。
古くは、月が綺麗だ、といういにしえの求愛の言葉、実際に行ったことが無くて、想像するしかないのですが、♪月の砂漠を遙々と~、中島みゆきの歌で砂の船という歌の、♪窓の外にはのぞくように傾いた月~~、♪月は波に揺れて幾百幾千~、というくだり、そして、あらいぐまラスカルのエンディング、おいで ラスカルの♪月夜のウェントワースの森で~、というくだりは、自分がよく体験した光景と、旋律が相まって、深い情動が呼び起こされます。

母の叔母の家が山沿いの国鉄の駅近くにあり、小さな川を遡ると夜にクワガタが沢山捕れる森にでるのですが、森の梢から差し込む僅かな月明かりを頼りに、森の中を、昼に目星をつけた木まで、まろびつつ辿り着いた経験が幾度となくあり、踏んだ下草や落ち葉の立てる音、ワクワクしながらも森の鬱蒼におびえもある微妙な心持ちなど、月の薄白い光がことさらに印象に残っています。
また、夜の海に釣りに出かけ、まだ薄明も訪れる前の暗い海の波に、低く明るく輝く月の光が、暗がりになれた瞳を射す幾百幾千の小さな光の粒となってる様子と、その小さく煌めくさざ波を微かにさわがせてルアーを引く光景も、強く印象に残っています。
そのように、月の光は詩的な叙情こそあれ、仇敵と思う日がくるとはゆめ思わなかったのですが、こんな朧月夜でもないと、じっくり月を見る、月の光の白さを感じることが少なくなってしまったことに、気付かされるのでした。
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