県立近代美術館の「ヨーロッパ・ポスター 芸術の開花」を観に、娘と一緒に出かけてきました。
友人の夫君が近代美術館の副館長をしていた頃には、招待券をもらって友人とよく足を運んでいたのだが、彼が退職して券が回ってこなくなってからは、なかなか敷居が高くなって、美術館詣でも久しぶりでありました。
やっと時間が取れて、一人でさっと観てくるつもりだったのが、娘も「ミュシャ」ファンということで、急遽、嬉し恥ずかし(?)の同行とあいなりました。母娘で美術鑑賞というのも初めての経験だっけ?
やっぱり、「ミュシャ」が一番よかったなぁ。
画を描く人間ってまず観察力と表現力が不可欠だけど、その人が持ってる感性で表現方法というか、どんな「絵」になるかというのがまったく違ってくるよね。
裸の女性を描いても、若く美しい娘ばかりじゃなく、年配の、やせて骨のごつごつした感じと“しわ”さえも容赦なく写し取って、尚且つ観賞に耐えるものを描き上げるというのにはそれなりの技術と、その人自身の透徹した審美眼が必要になってくるということになる。
ポスターという性質上、デザインの何たるかも考慮に入れて話は進めたいが、そちらの知識というか見識はゼロなので、単にシロウトからの印象で言えば、デザインなどはわたしには「完璧」にしか見えないのです。
個性と呼ぶ際にくっついてくるよけいな「くせ」が見当たらない。不快さがなく、美しいが、薄っぺらではなく、世界観はある。飽きないもの、いくら見てても。
それってデザイン性が高いことの証明になるんじゃないかな。いろんな意味で「絵」って不思議なものだなぁって私はいつも思ってんだけど・・・。
帰りに「ROCOCO」によって抹茶ケーキとレモンティをいただいてきました。
友人の夫君が近代美術館の副館長をしていた頃には、招待券をもらって友人とよく足を運んでいたのだが、彼が退職して券が回ってこなくなってからは、なかなか敷居が高くなって、美術館詣でも久しぶりでありました。
やっと時間が取れて、一人でさっと観てくるつもりだったのが、娘も「ミュシャ」ファンということで、急遽、嬉し恥ずかし(?)の同行とあいなりました。母娘で美術鑑賞というのも初めての経験だっけ?
やっぱり、「ミュシャ」が一番よかったなぁ。
画を描く人間ってまず観察力と表現力が不可欠だけど、その人が持ってる感性で表現方法というか、どんな「絵」になるかというのがまったく違ってくるよね。
裸の女性を描いても、若く美しい娘ばかりじゃなく、年配の、やせて骨のごつごつした感じと“しわ”さえも容赦なく写し取って、尚且つ観賞に耐えるものを描き上げるというのにはそれなりの技術と、その人自身の透徹した審美眼が必要になってくるということになる。
ポスターという性質上、デザインの何たるかも考慮に入れて話は進めたいが、そちらの知識というか見識はゼロなので、単にシロウトからの印象で言えば、デザインなどはわたしには「完璧」にしか見えないのです。
個性と呼ぶ際にくっついてくるよけいな「くせ」が見当たらない。不快さがなく、美しいが、薄っぺらではなく、世界観はある。飽きないもの、いくら見てても。
それってデザイン性が高いことの証明になるんじゃないかな。いろんな意味で「絵」って不思議なものだなぁって私はいつも思ってんだけど・・・。
帰りに「ROCOCO」によって抹茶ケーキとレモンティをいただいてきました。