「賢木」は六条御息女が野宮に身を寄せている間の源氏とのやり取りが書かれている。
六条が30歳、源氏が23歳、六条の娘の斎宮が14歳という年齢差である。
源氏は六条が娘について伊勢に下るのを極力慰留するのだが、とにかくめんどくさい手紙のやり取りがいかにも貴族であり、時代でもあるのだろうというところである。
手紙の内容というのも多くが漢詩や古歌からの引用とそのアレンジという風にも見えるのだが、しかし考えて見ればやはり彼らは“言霊”というものを信じ、そこに偽らざる気持ちを込めたのかも知れないとも思う。
「かわらぬ(榊葉の)色をしるべにこそ、い垣も越え侍りにけれ」
(榊の葉の色の如く変わらぬ私の心を案内にしてこそ、私は神聖な垣根をも憚らず、越えてしまったのでございました。)
という源氏の手紙は一方では調子のいいことばかり言っちゃってという見方もあろうが、現場で目にした榊を手折って手紙につけ、すぐさま自分の言いたいことをアドリブで手紙にしたためるという芸当はそれなりの教養と機転がないとやはり難しいのではないかと思うのだ。
六条の返事にしても古今集からの本歌取りがあり、お互い気持ちを伝え合うと同時に背景の教養を測り、その知性を酌む楽しみも味えるわけである。
押したり引いたりの駆け引きの中に恋の楽しみもあろうし、真実も仄見えてくる。
めんどくさいが、プロセスを略しては本当の満足感は得られないのかもしれない。
現代はなくはなかろうが、昔と比べるとプロセスは人によってはファーストフード的かもしれないなぁ。
写真は本日の茶菓子。山陽堂の「イチゴ大福」と「花いかだ」。