あの道この道

日々の生活を気まぐれに・・・

母の思い出

2018-12-30 | その他

12月18日 95歳の母が永眠しました

危篤と言われ 生き延びて 3回目の危篤で帰らぬ人となりました

肺に水が溜まり 呼吸困難になり 最後の3日間は息苦しそうで可哀そうでした

酸素マスクを顔全体にはめて 見舞いに行った時だけ5分ほど外して頂き・・・

マスクを取った時に 何かを言いたそうに 口を一生懸命に動かしていましたが 何を言いたいのか判りません

しかし亡くなる日のお昼に 行ったとき みんなに良くしてくれて・・・

とはっきり言ったのです その後の言葉が出なかったので みんなに良くしてくれて有難うと言いたいんでしょう

と聞いたら 首を縦にふってうなずきました 

久しぶりに声が出たので また夕方見舞いに行った時 また声が出るかなと期待したのですが 夕方の言葉は あ という言葉でした

有難うと言いたいんでしょうと聞いたら うなずいていました

しかしその日の夜帰らぬ人となりました

 

亡くなる前は元気が出ると言いますが お昼に行ったとき 頑張って声を出してくれました

手もしっかりと 両手で握りしめて・・・

95歳大往生かな・・・しかし寂しいです

 

毎年春と 秋には姉や主人も一緒に旅行をしました

沖縄から北海道 韓国と・・・

 

 宮崎 青島海岸 主人がいつも車椅子を押してくれました    湘南海岸です

 

 

佐賀の吉野ケ里遺跡                    熊本の阿蘇

 

 

北海道 道庁                    韓国

 

 

沖縄                                                                                     今年の春最後の旅行 長崎ハウステンボス

他に京都や長野の上高地 シ-ワ-ルド デズニ-シ-等々・・・

母のおかげで 色んな所に旅行が出来て 楽しい思い出になりました

もう母と旅行が出来ないとは・・・悲しいです( 一一)

 

母は3歳から踊りを習っていたそうです

がいえ 

母の姉との共演です この写真何歳かな?

母はアメリカ生まれで 日本には7歳の時に帰ってきたそうです

なのでアメリカから持ってきた家具がありました

机のテーブルが開閉出来て テーブルを開けたらその中は 物が置ける棚が小さく分けて作ってあります

小さい時その机で良く遊んでいました

またしゃれた食器棚があっりました

前面大きなカーブのガラスです デザインがとても素敵で今でも脳裏に覚えています

有名な洋館建てに行くと 家具が置いてありますが あっこの家具我が家にもあったな~と懐かしいです

 

 

 

 若い時

 

母は踊りと三味線が趣味でした

 

発表会もよく見に行きました

しかし私は全く興味がなく 運動ばかり・・・

 母の着物が沢山あります

どうすればいいのやら・・・

一人になった姉がかなり落ち込んでいるので心配です

 

 

家を留守にしていたので 帰ってきたら 色々やることが多くて・・・

仕事もしばらくお休みして みなに迷惑かけたので 昨日 今日と2日間 朝から夕方まで合宿の手伝いに行って来ました

明日1日で今年も終わりですね

正月は息子家族が来ます

何かご馳走でもと思いますが ・・・ やる気なし・・・

こんな事情で今年は年賀状控えさせて頂きます

みなさま良いお年をお迎えください

また来年も宜しくお願い致します

 



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