『攻殻機動隊 新劇場版』見てきた。
3回目。笑
動画@「攻殻機動隊 新劇場版」本編冒頭12分映像のコメント蘭に目を通してみると賛否両論と言うよりかは否定的な意見がどうやら優勢なご様子。
攻殻機動隊ARISEの制作発表を知った時は攻殻への心酔ゆえに不安ばかりで、実際にborder:1を鑑賞した時の俺自身も確かに否定する側だったことは否めない。
制作陣総入れ替えという決定がいかにして為されたかは定かでないにせよ、押井守監督の勇断の結果であれば疑問を持つ余地はない。
黄瀬和哉へのインタビューがパンフレットに記載されているのだが、そこで彼は
「―これまでの"攻殻機動隊"を壊すぐらいで臨まないと、新しいものにはならないんじゃないか、と考えました」
と言っている。
なるほど。ならば否定側の意見、もといアンチの意見はなかなかに的外れだと俺は思う。
そもそも、『攻殻』への愛着ゆえに続編やリメイクを望む人達は俺を含めて根本的に"わがまま"だと思う。
・スタイリッシュな戦闘シーンにこだわって他の要素を重視しない"作画厨"
・キャラデザの乱れに抜け目が無い"萌え豚"
・制作組織の変更や声優の変更に苦言を呈したがってやまない現状維持欲求の奴隷、名付けて"パストトラベラー"。
俺の、少佐の髪型への文句は2作目で消えた。
それゆえかもしれないが、納得がいかない人達に関しては、一度新劇場版を見てから文句を言って欲しいものだ。
ちなみに俺の一番好きなシーンは終盤で少佐が微笑みながら落下して消えていくとこだ。
鳥肌が立つシーンを挙げればキリがない。
菅野よう子に続投して欲しい気持ちは彼女のファンである俺もアンチ諸君と同様である。
しかしそれでもこの『第4の攻殻』を、俺は好きだ。
S.A.Cや2nd GIGのほうが良かったと言う者は少なくないが、新劇場版までを見た俺としては、むしろこちらの映像達のほうが遥かに豪華で過去の作品にどうしても違和感を抱いてしまう。
電脳空間のイメージや戦闘シーンの描写を制作資金の不足ゆえに妥協したであろうOVA時代当時の表現が、今回の劇場版では、見事に妥協した部分をついには発見できないほどの出来となっていると俺は思いたい。
もし疑う人がいるなら(そもそもこのブログの読者がいるとは思っていないが)見比べてみるといい。
そもそものそもそも。
アンチによる否定的な意見の類を見聞きした際にいつも思うことがある。
彼等は制作側の視点を持っているのだろうか、と。
作る側を経験している人でなければ分からない要素というものは必ずあると思うし、それはきっとかなり多い筈だ。
映像制作や脚本といった創作物に限らず、音楽でもそうだし、工業品でもそうだし、料理一つとっても同じことが言えると思う。
自分の気に入らない作品があったとして、無意識下や無自覚な領域に潜むその原因達に対して無関心である人達が、大した目も持ってない癖に勝手な正義を振りかざして良い気になってるのは極めて不愉快だ。
余談だが、コーネリアスの音楽も今となっては心地よくさえ感じる。
現代の創作物は、長い間かけて築かれた基盤の上に成り立っているとして、矛先を向けるのはそれの『破壊』だと思う。音楽でもそう。
濃縮や浄化にも似たプロセスを経ることでやっと芸術として名を上げるんだと思う。
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