鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【日記】「人間」

2018-09-14 01:39:20 | 日記

2018年。現代人の生活は、大きな転換期の真っ只中にある。終戦〜高度経済成長期から高度情報社会へと移ろい、人類史の中において最も目まぐるしい時期である。

過去の投稿で何度か書いていることだが、「古い価値観と新しい価値観の衝突」について改めて書いていこうと思う。数ある衝突の中で自分が多く目にするものは
・労働観
・倫理やモラル
・メディア
に関するものだ。

技術の進歩が目まぐるしい現代。結論から言えば、技術進歩のスピードに対して人々の統率の順応が追いつかない或いはついていけない印象が強い。それは国家という大型船が、突如迫った脅威(進歩の早い技術)に対し旋回が間に合わないようである。

人々の衣食住や安全安心を支えるインフラを維持管理改善するためには膨大な税収が必要である。納税が必須ということに誰も異論はないとしても、税金の配分は果たして最適解に近いものだろうかという疑問を、半分以上の国民が常に抱いている。政治に不満があるもので旬なものと言えば、東京オリンピックのボランティア問題。そもそも開催自体に日本にとってメリットがないという超根本的かつ致命的な問題が存在しているというのに、加えてサマータイム導入可否問題まである。識者が良策と言っているところを一度もお目にかかったことがないサマータイム導入については、調べてみればどうやら発案者や支持者は頭がおかしいとしか思えない。

俺は日々、頭がおかしい人たちのその数の多さに驚いている。暴走族や暴力団のような反社会的組織に関しては議論するまでもない。ただ、暴走族や暴力団のような類ではないが「いやこいつを自由にしておくべきではない」という人がかなり多いように感じる。すぐ思いつく限りでざっと挙げてみよう。
・歩きタバコ
・走行中の車の窓から灰皿の中身ドバ捨て
・列の横入り
・馬鹿なクレーマー
・ながらスマホ
・煽り運転
・線路への投身
・刺青禁止施設に訪れる刺青が入った人
・店やで酩酊する馬鹿
・酩酊して電車に乗る馬鹿
・アクセルとブレーキを間違える脳みそで免許を返納しない馬鹿
・高速道路で逆走したり停車する馬鹿
・制限速度60km/hで時速60kmで走行中の車に対し「ちんたら云々」でキレるど短気ドライバー
・動物をボウガンで射つ馬鹿
・横断歩道がない広い車道を横断する老人
・他者に迷惑がかかる可能性が高い場所で幼児を放置する親
・歴史的残酷な殺人事件の加害者を擁護する親

職場では評判が良くて、人相も良くて、仕事もばりばりこなして、帰ったら家事の手伝いをしたり、子供と一緒に遊んであげたり、仲の良い友達が何人もいて健全に遊んだり、etc。そうした健全な側面をいくつも持っている人だというのに、意外にも致命的で看過できない一面を持っていることがある。そしてそれは全く珍しいことではなく、意識して見てみればそうした景色が日常には溢れている。

正直言って俺は絶望している。一歩自室から外に出れば、そうした危険な一面を秘めている人間が外までいかなくとも家族の中にいることだってある。外に出れば徒歩で目的地へ向かう最中だろうが車で移動する道中だろうが、目的地である飲食店やスーパーだろうが、そこらじゅうに危険が潜んでいる。その遭遇率は土砂崩れ地震家事落石落雷突風アナフィラキシーショックエイズ津波洪水よりも極めて高い。即時に重大な状況につながるわけではなく、長い導火線が火薬に着火するまでの間でどうにかできる可能性は十分に高いが、導火線の本数や爆弾の個数は数え切れないほど存在しているように思う。

なので、俺はあるときから滅多に外へでたがらなくなった。神経質なのが悪いとは常日頃から思っているが、鈍感な人や楽観的な人が正常性バイアスに囚われているだけという可能性を考慮するならば、危機管理能力が高いということで自分が異常だとは毛ほども思わない。

独りよがりの正義感をかざして悪を捌きたいなどとは思わないが、デスノートがあれば話は別だろう。キラやリュークの話は置いといて。何が悪いかといえば、根本的には悪い人間その人自身なのだが、その人間が悪くなってしまった原因を排除していくためにはどうすればよいのか、よく考えさせられる。

大きく括るのであれば一言で「教育」に尽きるだろう。体罰問題がニュースを騒がせること今時珍しくない。教育現場では、教職員の在り方が定まっていない。汚職という言葉から連想される職業はその多くが公務員である。キャリアや権力や教職員個人の生活やプライバシーや人格という問題まで、それは本当に深刻デリケート且つシビアで最も注力が求められる問題だというのに、未だ解決しそうな気配や良いアイディアが無いという状況である。

教育機関に限らず、親と子の問題も忘れてはならない。若すぎる結婚と早すぎる離婚。ネグレクトやDV。不十分なネットリテラシー。超高齢化社会日本の未来を握る子供達は、危険な親と危険なインターネットに晒され続け、なんとか大人になったかと思えば高齢者の面倒や腐敗した社会システムの後始末といった泥舟運営を引き継がなければいけない。賢い若者は母国だろうがなんだろうがオワコン大国日本を早々と見切って英語や中国語を学びこの監獄から脱出していく。愚者と高齢者しかいなくなった日本というアホ丸出しなギリギリ霊長類限定動物園は若者という飼育員を失ってあっという間に廃業する。

高度な医療技術は百害あって一利なしな悪い老人の悪行サービスを延長させた。健全で優しいピンコロ老人は良いとしても、自身の保身や快適のためだけに他者の自由を奪い不快を撒き散らすだけのうんこ老人の人権を守る国家は果たして優秀と言えるだろうか?俺にはわからない。人命や人権が大事だという事実には一つの異論もない。しかし、他者にはなるべく迷惑をかけないよう努め、困っている人がいたら理由などなくとも助けて、明るく喜びの多い日々を過ごすために頑張る人々がなぜ"愚かで悪い人"によって浪費されなければいけないのか、俺には少しも理解できない。それが明らかな犯罪や傷害行為でなくとも、自分の気分一つで他者や周囲を嫌な気持ちにさせる人たちがのうのうと過ごすこの世界が正しいとは俺には思えない。

病人や高齢者の介護が大変だというのは今時誰もが知っていることだが、高度医療によってかつてないほど平均寿命が高い現代では、介護によって発生した問題は全く新しいものであって、それに関連する倫理的な問題に対して解決方法が存在していないということである。

罪のない人が罪人のために死ぬ、といったような事件でなくとも、悪い人は良い人の精神や体力を日々浪費する。不健康な人を健康な人が支え、強者が弱者を助けるのは倫理的にも人道的にも当然だ。だがしかし…不健康な人や悪い人や馬鹿な人や弱者の数に対して、優秀な人・強い人・健康な人が圧倒的に足りていないのだ。「悪い奴を減らせ。悪い奴は勝手に死ね。他者を巻き込まず、独りで死ね。悪い奴どうしで死ね。」そういう思いが多くの人に抱かれていても仕方の無いことであり当然のことでありおかしくないことになってしまっている。

想像力が欠けていて、思慮が浅く、短絡的で感情的、快楽至上主義で唯我独尊、酒と金と異性にまみれて、気に入らないものに対して躊躇なく攻撃する。そうした人間に振り回されて疲れ切った人が自殺をする。自殺までいかなくても一生を棒にふる。バラ色じゃなくても充実した日々を過ごせたかもしれないというのに。そうだというのに、一方で愚かな人間はそうしたお人好しな人がいなくなったそばから次を探す。愚かな人間はお人好しを取り合う。愚かな人間はお人好しの苦労を全く気にとめずに今日も明日もお人好しを消費し続ける。そして美味い物を食べ、魅力的な異性と交わり、多くの快楽に身を任せ、大きくてふかふかのベッドで深い眠りにつく。

こんな世の中はすでに殆ど世紀末。右も左も蛮族だらけ。お人好しなお隣さんは壁の向こうで蛮族に四肢をもぎとられているところ。あちらのお人好しなおばさんは、鞭を打たれて死ぬまで働かされているところ。暇なので出かけようと思ったら、急いだところで数分しか短縮できないのに煽ってくる野蛮な人たちばかりで帰宅したころにはもうぐったり。

嫌な行動ばかりする人たちをどうにかできる合法的な方法があればいいんだけど。機関や法律はあてにできないし、自分は非力だからこうして外界とのつながりを可能な限り遮断して過ごすしかない。
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