2時間49分ぐらいもあったのか。なかなか長い…。
よかった。すごく。泣いた。
既知と未知について考えさせられた。四次元だとか五次元だとか高次元の話は難しくてさっぱりだったけど、とても刺激的だった。
地球人は地球から一歩も外に出ない限りは地球の規格で生きているということを痛感した。これはSF作品を見れば同じように実感できることかもしれないけれど、『インターステラー』は俺の見てきた限りではもっともそれを強烈に印象付けた。
映像技術とそれを駆使した表現は、まことに筆舌に尽くしがたい。科学的・論理的な根拠が勿論あって表現されたものなんであろうけども、人間に知覚できるか否か定かではないもの…例えばワームホールの中身だったりガルガンチュア(ブラックホール)の中身だったりを、実際ほんとうにそういう形をしているのかすらわからないもの達を表現するにあたって、その困難さを考えると俺なんかにはとても想像が及ばない領域で仕事をした人達は素晴らしいというかもう、凄まじいよね。それをフィルムに閉じ込めて作品にして、視聴者にしっかりと伝えることに成功しているのだから。
巧みな撮影技術・編集技術・CG技術の最先端によって完成したであろうことは間違いない。俺は見ていて馬鹿なりに「どうやってこういう映像を完成させたのだろう」と考えたが、そこはまあ言った通り馬鹿だからわかんないけども、宇宙船や宇宙のシーンは間違いなく実際のそれではないことは間違いない。まあそんなことどうでもいいか。どうせ考えたってわかんないし。とにもかくにもすごい。美しいっていうか、炬燵で見てたんだけど身を乗り出して文字通り食い入るように見てしまったよ「高次元の空間」のシーン。
宇宙は遠い。地球上であれば、いくら遠くても無理をすれば会えるかもしれない。けど、遥か宇宙の彼方となるとそうはいかない。
死んでしまって二度と会えないのとどれくらい違うのだろう?何度も考えた。時間の流れも違う。アルマゲドンと同じくお父さん死んじゃうエンドかと思ってたのに生きてた。どっちにしても泣いたけど。
人類どころか生命の存在すら無いどこぞの惑星で独りというのは、社会の喧騒に疲れ果てて自ら独りを選ぶとか無人島に独りとはまるで違う。そして、真っ黒な宇宙空間の中を進む密閉された宇宙船内部も、地球上の密室とは全く違う。同じ青空のもととか絶対に言えないレベルの物理的距離。真空という絶対的で極限の空間。だからといって、閉所恐怖症や暗所恐怖症が軽く感じるとかそういう話じゃないけど、スケールの違う話というのは本当に刺激的だ。見終えて余韻に浸りながらふらっと外へ出て夜明け前のうっすら明るくなってきた空を見上げて感じることは、『インターステラー』の視聴前後で信じられないほど違う。
諦めないこと、信じること、愛すること。今更考えさせられるようなことはない。けど、娘のたくましさとか強さに、そして父が死闘の末に帰り着けたことにとても感動した。どれだけ再会を強く願ったのだろう。想像するだけで涙が出た。腕時計の秒針でモールス信号を送ったシーンでは思わず両手を合わせて息を呑んだ。
娘の「ユリイカ」が人類の未来をつくったのを見ると、人類は人類のままでも希望はあるのかもしれないと、少し嬉しくなった。それはちょっとネガティヴ過ぎるかな?w
そんな感じかな。
ちなみに、前回の投稿で書いた『コンセント/田口ランディ』を勧めてくれた友人が教えてくれたのがこの『インターステラー』。まあわざわざ教えてくれなくても話題になったのを知っていれば見ていたかもしれないが、その友人が感動していなかったら俺は今頃これを見ていないので重ね重ね感謝の極みである。因みにちなみに、『インターステラー』を見るちょうど直前に『プリディスティネーション』っていうこれまたかなり内容が似ている作品を見ているのよね。見る順番は正解だったけど、連続したのは間違いだったwまあまあ結果オーライということで。
おーわり。
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