ホイッスルバード あいざわぶん

小旅島旅独り旅「小島」編

馬島の次に上陸した小島は別名「要塞の島」。
日露戦争に備えた日本は、露西亜からの本土
攻撃に対抗すべく、各地に要塞を築いたのだ
そうな。

で、小島(おじま)がその要塞の一つ。

島中に大砲を備え、豪を掘り、撃ちてし止まん
と構えたのである。
大砲を構えた砲台は全て、敵船からは絶対に
見えない高台の窪みに設置してある。
興味深いのは、砲手からも敵船が全く見えない
ことだ。
島の天辺に司令塔があり、無線で砲手に敵艦
の位置を知らせる方法なのだろう。
・・・果たして、それで的中しますかね(笑)・・・
結局、日露戦争では吾が国が勝ったので、この
大砲は使わずに済んだのだが、この勝利で日本
は大いなる勘違いをするのだから皮肉である。

歴史を誤解する者は、日露戦争を大勝と見る。
・・・きっと映画の見過ぎが原因だな・・・
実際のところは亜米利加が仲介したから終戦に
なったのであって、露西亜が本気になれば物資
不足で日本は負けていたであろう。
露西亜にとっての日露戦争は、極東という部分
的な戦争であり、負けても痛くない戦争だった。

太平洋戦争時にも吾が国は鉄が不足した為に、
小島の大砲も供出物となる。
あの大きな大砲は分解しても重いだろうよ。
港までの坂を死に物狂いで運んだに違いない。
運ぶのは下っ端軍人と民間人である。
戦争で死ぬのも大方は下っ端と民間人である。

現在、島に残っているのは100年を越えて遺る
レンガ造りの建物だけである。

では、戦争遺産の写真を何枚か御覧あれ。
(写真1枚目の大砲はレプリカで、観光用に港の
近くに造られている)













小島の民家数は馬島よりもやや多いようで、20
数軒程度であろうか。
キャンプ場も整備され、砂浜も広く、多く、時間
が経つのを忘れるほど島全体が穏やかだ。

尻尾の無い若い黒猫が一匹、私との距離を保ち
ながら歩いてくれた。
親猫も居る筈だが、見かけない。
尻尾の無い若い黒猫は野良だから、親もきっと
野良だろう。
島に猫はとてもお似合いなのだが、結果的に
三島を訪問して出遭ったのは、この一匹だけ。
・・・ちょっと残念だったな・・・

猫の親子には出遭わなかったが、人間の母娘
が砂浜で石を海に投げて遊んでいる。
今流行の友達母娘であろう。
写真の左側歩道には、尻尾の無い若い黒猫が
写っている。

再びフェリーに乗り込んで来島に向う。
私のバイクに興味を持った団塊世代らしき男性
から次々と質問を受けた。
気が付くと来島に着いてしまったので、慌てて
一歩だけ上陸して再び船に乗った。
一歩でも地面に降りないと上陸ではない(笑)。
「なんじゃ、そりゃ」と団塊世代の爺は笑った。

波止浜港(はしはまこう)に船が入る。
両岸には造船所が並んで、大きな船が何隻も
修理を受けている。

小島から来島を経由しても僅か15分足らず。
馬島→小島→来島→波止浜の船賃はバイク
の運賃を含めても740円。
随分と安くて、ゆったり出来る旅だった。
やっぱり島旅は楽しいなぁ。

写真は、小島での撮影と、波止浜港までの撮影。















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