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ホイッスルバード あいざわぶん

社会のあらゆる事象にホイッスルを吹く

原付バイクで行く大分の旅 付録編

2012-11-21 09:57:00 | ノンジャンル
写真を載せようとしているのに、システムエラーと
表示されて掲載できない時が何度かある。
その理由が私には皆目解らないので、文章と写真の
関係がぐちゃぐちゃになってしまい、大変恐縮して
いる。

今回は「原付バイクで行く大分の旅 付録編」と
して、大分駅前から乗った佐賀関行きバスの車内
で見た光景を書いてみたい。

これまでの旅で何度も経験しているのは、始発で
は大勢の客が乗り込み、走る度に少しずつ客が
降りて行く、ということである。

ところが「急行・佐賀関行きバス」はまるで違う
のだった。
大分駅前で私と一緒に乗車したのはたったの三人。
それから停留所に停まる度に一人、二人と乗り込
んでくるのだ。
その大方は70歳以上の老人で、バスが停留所に
近付くと、オバアは手を挙げ、ジジは首をカクン
とさせて運転手に合図を送るのである。
最前列の椅子に座っている私にはそれが全て見え、
そのうち風景よりも興味深く思えてきたのだった。

もう既に20人以上の乗客になった筈である。
そのうち、ポツリポツリと降客も出てくる。
バスを降りて、バスの前の横断歩道を直ぐに渡り
始める老人も当然出てくる。
しかし運転手は悠然としたもので、ジジが道路を
渡り終えるまで、後続車がバスを追い越さぬよう
に車体で道路を塞ぎ、ゆっくり発車するのである。
アナウンスも朴訥な運転手だが、彼は自分の使命
をしっかりと認識しており、実に頼もしく感ぜら
れるのだった。

手押し車のオバアは、どう見ても90歳の高齢者
に見える。
運賃箱の前で、オバアはゆっくりとポケットに手
を入れて、出てきたのは10円玉。しかし必要な
のは100円玉である。再びポケットに手を入れ
て今度は100円玉を取り出した。
・ ・・転ばずにステップを降りられるのかな・・・
と想った瞬間、私の直ぐ後ろに座っていた還暦を
過ぎたと思しき女性がオバアを支えてバスから
降ろしてあげている。
オバアの嬉しそうな顔。

運転手はそうなるのを知っていたのであろう。
何もなかったかの如く、滑るように発車する。
相変わらずバス停ではオバアが手を挙げ、ジジは
コクリと首で合図を送り、バスに乗り込んでくる。

やがて左手に海が見え、日はガラス越しに車内を
温めている。
運転手はカーブの度に速度を緩め、それはそれは
おおどかに車体を回転させる。

今朝のニュースでは若い女性がインタビューに
応えて、こう言っていた。
「政治のニュースを見るとストレスになる」
全くその通りである。
それに較べ、このバスに見える市井の人々の光景
の、なんと心地よいことか。

大分駅前5番乗り場。
大分バス。佐賀関行き急行バス10時10分発。
旅の醍醐味を味わえる素敵な70分だった。
破格の880円也。



原付バイクで行く大分の旅 パート5

2012-11-21 08:58:00 | ノンジャンル
フェリーが佐賀関港を出ると、前回のブログで
紹介をした「くろめ昆布」の漁場である高島が
右手に見えてくる。
かなり大きな島だが、有人島の時代があったの
だろうか。その点は知らぬが今は無人島である。
そして17キロ向こうにある佐田岬が薄っすら
と見えている。
昨日とは違い、波は穏やかだ。
風はあるが寒くはなく、暫くは甲板で景色を
楽しむ。
南には高島がより近付いて見え、その向こう側
を右と左からフェリーが擦れ違っている。
あれは間違いなく八幡浜と九州を結ぶ同会社の
船である。
すると間もなく我が船の左側に、佐賀関に向う
九四フェリーが見えて来る。
これで海の上では右側通行なのだと理解できる。


(ここで写真が入る筈だが、何故かシステム
エラーで掲載できない)

定刻通り14時10分に三崎港に到着。
16時を過ぎると寒いので、身体の内側に新聞
を何枚も巻き、その上にジャケットを羽織る。
いつもなら時速35キロ以下のトコトコ走りな
のだが、今回は少し飛ばしてみようかと思うの
だった。

【追記】
3回程度の文章になるのかと思って書き始めたのだが、
書きたいことが溢れて5回シリーズになってしまった。
でも本当は、大分駅前から佐賀関港までのバスで見た
光景のことも書いていたのだが、パソコンの操作ミス
で削除してしまったのである。
そのことに就いては、又、改めて書きなおしてみたい
と思っている。


原付バイクで行く大分の旅 パート4

2012-11-21 08:49:00 | ノンジャンル
12時00分発のフェリーに乗れば、三崎港到着は
13時10分(の筈)。
気温が一番高い時間帯にバイクで帰れると考えての
船便選択だったのだが、私は時刻表をきちんと見て
いなかったようである。
午前7時便から一時間毎に23時まで出航している
と思ったのは勘違いで、昼の12便だけはなかった
のだ。無い船には乗りようがない。
ということで、約100分の待ち時間が急に発生。

ということで、九四フェリーが営業している食堂で
私は昼食を摂ることにした。
既に多くのドライバーが席を陣取っている。
テーブルメニューを見て、私は大いに喜んだ。
旅に出る前に知識として得ていた佐賀関名物の「く
ろめ昆布」が蕎麦としてメニューに書かれてある。

くろめうどん(蕎麦)

このように、うどんと蕎麦では全てうどんがメイン
のようだが、私は敢えて「くろめ蕎麦」を選択。

かまぼこ二切れ・ちくわ二切れ・牛肉の甘辛煮・
青葱・結構な量のくろめ昆布の細切り

これに一味とうがらしを振り掛け、食欲を抑えて
先ずは写真撮影。

蕎麦を数本持ち上げると、粘りの影響で重く感ずる
ほどである。
嫌味な臭いや苦味が全くなく、滋養が身体に入る
ような雰囲気すら感じさせるくろめの存在感だ。
それに、蕎麦まで上等に思えてくるから不思議。
うどんを注文しなくて良かったと、ほくそ笑む。
大盛りがメニューに書いてなかったので普通盛り
にしたが、結構満腹感もある。これもくろめ昆布
が原因と思われる。
毎日のように楽しみたい昆布である。

我が家では北海道の一部でしか獲れない「がごめ
昆布」をよく食べている。
でも、くろめ昆布の方が美味いと私は感ずる。
これはがごめ昆布は乾燥した物しか手に入らない
からかもしれない。
食堂で生くろめを使用しているのは、隣の売店の
女性からあとで耳にしたことでの判断である。
(この女性は品があり、なかなかの美人さん)

新芽が出る1月15日から3月15日までが漁の
解禁だと知った。
港から沖に見える無人島の高島辺りで獲れる昆布
こそ最高品らしい。
乾燥くろめは買わずに帰ってきたので、売店の人
には悪いことをした。知識だけ教えていただいて、
銭にならぬ客だもの。



いつのまにかフェリーは二隻停泊しており、出発
10分前から乗船開始。今回も徒歩の客は私だけ
で、皆が見ている前をトコトコ歩いて乗船。

程なく舫(もやい)が解かれるだろう。
船員はまるで昭和映画のマドロスのように片足を
舫が繋がれている鉄の上に上げている。
いつも思うのだが、着岸・離岸の正確さと俊敏さ
には舌を巻く。
三本の舫を船がスルスルと飲み込むと汽笛が鳴り、
船体は滑るように岸を離れていく。
この五分にも満たない時間に興奮するのである。





原付バイクで行く大分の旅 パート3

2012-11-20 23:29:00 | ノンジャンル
昼12時出航のフェリーに乗るためには、大分駅前
から出る10時10分発・佐賀関行きのバスに乗ら
ねばならない。

ホテルを出てバス停を確認し、近くのドトール珈琲
に入る。
全国各地のドトールに入ったが、ここは格段に上等
な店で雰囲気がいい。地元民との繋がりがベテラン
店員さんとの会話に窺えるからだ。
50代後半と、30歳ぐらいの二人のオネエサンが
切り盛りしている時間帯らしく、キビキビと働く音
が聞こえてくる。そこがいいのであろう。



バス停に着いて約10分の待ち時間。
ベンチに座って道路の反対側を眺めていると、左側
から声を掛けられた。
「あの~すみませんが・・・」という声に顔を向け、
「はい」と返事をすると、還暦程度と思しき女性は
驚き、「あっ、御免なさい男性とは思わずに・・・」
とおっしゃる。
「一昨日に56歳になったオジサンです」と言うと、
女性はポーラ化粧品に勤務する人で、何かの勧誘を
するために声を掛けたのだと言う。
髪が長く日に当ってキラキラしていたから、てっきり
女性だと思って声を掛けたのだとおっしゃる。
56歳にもなって女と間違えられるのは考え物だが、
若い頃はしょっちゅう間違われていたから腹は立た
ない。
第一、 この女性は、口が巧い。
続いて出た言葉は「では何か芸術でも・・」である。
その頃には私の顔も赤くなって高崎山の猿と変わり
はなかった筈である。
この会話を隣で聞いていたオバアが話に入ってきた
ところでバスが来た。
車窓から、その二人を撮影。
左のオネエサマがポーラ化粧品大分支部の熱心な
社員である。
相手がもすこし若けりゃ、もすこし美人なら、
うっかりバスを乗り過ごすところだった(笑)。



原付バイクで行く大分の旅 パート2

2012-11-20 12:10:00 | ノンジャンル
船から出ると、右手になつかしい友人の姿が
あった。
土曜はゴルフ、日曜はテニスが日課と聞いて
いるが、腹周りばかりが目立つ恰幅である。
まるで悪徳高利貸し業者の社長みたいだ。

時間は12時45分。
中華飯店に直行したが私は全く食欲がない。
バイクでの寒さから暖かい部屋との温度差が
頭をボーッとさせているようだ。
気分が悪い訳ではないので、ノンアルコール
ビールを注文する。
彼はタンタン麺を注文し、2分もせぬうちに
運ばれてきた。
・ ・・料理を頼まなくて正解である・・・
見ると麺ばかりが見えるタンタン麺だ。

高崎山に行きたいと私は申し出て、ドライブ
も兼ねて町の説明を受ける。
彼も小学生低学年以来の高崎山だと言う。
「こんなに小さな所だっけ」とは彼の弁。
私もチンケなところだと思う。
但し、猿の行動を観ていると、全て人間の
姿に繋がって見えてくる。
ここは一人で来るべき所のようだ。
気になる猿一頭だけを写真に収める。
これは恐らく猿としての私なのだろう。


夕刻から早くも大分市繁華街の居酒屋に入り、
私もビールと地酒をいただく。
一番辛いのを注文したが、飲み口が良く上品
な味わいである。
あれから二日も経ったので、思い出そうにも
銘柄は忘れてしまった。
驚いたのは友人の飲兵衛振りで、しかも酒に
呑まれるタイプであったことだ。
学生の頃はこんなんじゃなかったのに、県庁
職員になってから悪い酒を覚えたのだろう。
トイレに行くのに真っ直ぐ歩けないのだから、
私は帰宅のことを考えて酒は控えることにした。

酔ってはいるのだが、彼の頭は冴えている。
やはり「人は言葉で出来ている」という私の
考えに間違いはない。
そう伝えると彼は真面目な顔になり、「実は」
と話を続けたのだ。
「昨年、週刊文春の川柳コーナーに投稿して、
賞金三千円を頂戴したんだよ。それが嬉しく
てな~。でも本音のところでは、俺は和歌を
詠みたいんだよ。で、出来のいい一番下の弟
に訊いたら、歌会始めに投稿すればいい、と
教えられてな、それで昨年から投稿している
じゃ。落ちたけどな、今年も投稿したんじゃ」
と言うではないか。
これには身の毛が逆立つほど驚いた。

もちろん、それからは短歌の話になった。
彼は私の横に座り込み、「これは偶然なんか
じゃないよ。全て必然だ。君は死ぬ前に俺に
会いに来たのじゃないかと心配してたんだ」
と私を問い詰めた。
これは私の死生観が彼に勘違いをさせたので
あり、大いに反省しなければならぬことだ。
でも、死ぬ人間は歌を詠んだりはしないので
ある。
まだ死ぬ気はない。
死を理解しただけである。
そして覚悟しただけである。

彼はまだ短歌の入り口に立ったばかりである。
だから和歌なんて間抜けな言い方をする。
現代短歌に対する勘違いも多く、知恵のある
爺になっているから過去の価値観を棄てない
限り、今後の成長は見込めない。
何しろ多くの場合、否定されるのだから辛い。
自分の作品に執着を持ち、そのうちに短歌を
嫌いになるのがオチである。
だから私は面倒な話はせずに、次のような話
だけをした。
「私が嫌いにならない限り、短歌は私を嫌いに
ならない。そんな女が一人でも居たら・・・ね。
女はそうだから、私は短歌を自ら振らないのだ。
それに、長く親しめば解るが、短歌から受ける
慰藉は海のように大きい」
「ん、慰藉?」
彼はだいぶん酔ったようである。
時は午後10時30分。

私は駅の近くにホテルを予約してある。
彼は二つ離れた駅まで電車で行き、ぽくぽく
歩いて10分の自宅に帰ることになる。
県庁職員なのに、3000円のタクシー代を
惜しむのである。そこに私は好感を持つ。
今度は彼が松山に来ると言う。
実にもったいない話である。
今回の旅は、彼に昔の御礼を伝えるのが目的
なのに、完全に歓待される身にてなっている。
まるで私は客であり、手には土産を持たされ、
何処に行ってもお金は殆ど彼が出し、されど
タクシー代は惜しんでよれよれと歩いて帰宅
する彼である。
・ ・・やはり私は駄目の人である・・・

宿泊したのは大分駅裏の「ラ・ガール大分」。
1Kマンションを改築し、ビジネスホテルと
して営業しているのが簡単に見て取れる。
ネット予約で、朝食付き3300円。
風呂・トイレが別だから、風呂場が広い。
料金を考えれば、文句をつける方が理不尽で、
私は100点の評価をしたい。

7時に起床し、風呂を使い、食堂に行く。
そこで私は大いなる疑問に出遭うことになる。
驚くほど御飯が硬いのだ。
昨夜の居酒屋でも私は御飯を頂戴したのだが、
その御飯の硬さに既に驚いていたのである。
これは不満ではなく、硬めの御飯が好きな私の
嬉しい驚きなのだが、二日も続けば疑問になる。
・ ・・豊後では硬めの御飯が常識なのか・・・
・ ・・伊予では歯抜け飯が常識なのに・・・
この疑問は近いうちに解決せねばならぬ。