日々穏やかに・・・   

デジカメをバックに入れて、アッチぶらぶらコッチぶらぶら・・・癒されながら癒しの写真を撮っています!
 

今日から〝65才のヘルパーさん〟です!

2012年04月13日 | 暮らし
       初めての仕事に行ってきました。
       ベテランさんの同行です!

         出来る?かな~   大丈夫かな~~


       取り合えず、無事に終わりました!
       1時間ですから、アッ・・・と言う間です。



           明日は別のご利用者さんの家です。

           どうかな~~~~~~ お天気が!
           雨のようですが・・



    10年程前に〝ヘルパー2級〟の資格を得ました。
    フルタイムで事務の仕事をしていましたので、毎週日曜日に学校へ行ってました。
    若かったんですねー、イヤ55才の時ですから、生徒は皆年下の若い女性ばかり!
    若くはなかった!!!
    そして実習の3日間は、有休休暇をとって・・・・

    さすがに疲れて、実習が終わると家にすっ飛んで帰って、マッサージ屋さんに駆け込みました。

    でも、この仕事はしないだろうな~・・・と思っていましたが・・・

    今になってみれば、役にたったんですね。
    良かったですよー

    

次姉からの〝手紙〟2

2012年04月13日 | 暮らし
東京からは、焼け出された多くの人が、次々と利根川の橋を渡り、茨城に逃れてきました。
私は二晩か三晩くらい、利根川の土手にたたずみ、境橋のたもとで家族を待ちました。
大勢の人々が、ススだらけの顔をして、橋を渡って来るのを目のあたりにしました。
皆 何とか生きて、ここ迄たどり着いたと言う無表情な様は、何とも言い様がありませんでした。

    B29から焼夷弾が落とされ、東京下町を真赤な炎に包み、
    燃え盛る様子は、現在でもはっきりと目に焼きついています。

私の家族は、なかなか見当たらなかった。私は半ばあきらめていました。
そんな中、三、四日して母姉妹が茨城にたどり着きました。ススだらけの顔をして。
私は67年経た現在でも、目から消える事はありません。
荷物を積んだリヤカーを引いて、燃えさかる中、赤ちゃん(2才の妹)を背負った母親が車を引き、十四歳の少女(長姉)が後押ししながら、数日かけて茨城迄やっとたどり着いたのです。
  (想像できますか?)

20年8月15日 終戦となり、父は焼野原となった亀戸に戻り、バラックを建て、そこで家族が暮らすことになった。
 (亀戸町6丁目)亀戸駅の近くです。

区民農園レター 4/13

2012年04月13日 | 区民農園
      〝ノラボウナ〟次から次へと花穂が出てきます。


           クセがなくて、美味しいです!

            茎を折ると、又その周りから数本の芽が出て来る。

             どんどん増えるんですよねー


       〝ワケギ〟も、どんどん・・・・

       この気候が、丁度良いんでしょう。
       暑くなったら、硬くなって・・・・そしたら、お仕舞いですね!





          〝スナックと絹さや〟
          手に負えなくなりそうです。

          もう~すごい勢いで伸びて、花が咲いています。
          〝莢〟を採るのが、大変そうです。

              どうしようーーー

             

4/13 チューリップ

2012年04月13日 | 草花
      アッ・・・と言うまに、色付きました。
      早かったですねー

        ちょっとピンクがかった赤でした!!!



        右の方の蕾も、見えてきました。
        こちらは、何色???