やまんばのひとりごと

あと何年 健康で生きられるかわからないけどその日まで この世に生きた足跡を残していきたいな。

子どものころ

2019-02-07 19:19:36 | 日記
ふと ジムで走りながら子供のころのことを思い出した。

博多に引揚げてきて 5人の子どもの教育のためと言うことで 上京した。母が持ってきた教員免許状がたった一つの頼りだった。

習志野の陸軍の兵舎あとに住んだ。兵士用なので何の無駄なものはつぃてなく ただ板の間の部屋だった。戦争で先生方も不足していたのだろう 幸いに教員の職を得て母は ようやく息をついた。

当然 母は教員の仕事で クラスが60人以上もいて 我が子の世話をする時間はなく 5人で助け合って生活していた。ご飯を炊くのは 1年生の私の仕事。薪を割り 火をつけて 付きっ切りだった。だって焦がしてしまったら みんなのごはんがなくなる。

今から考えると 孫と同じ年。やけどや火事の心配をしなかったのだろうか。
任せられたことが がんばる基になったのだろう。

でも 周りのみんなは同じような境遇。汚れていようが 鼻をたらしていようが 誰もいじめはなかったと思う。今のニュースを見るとなんという違いだろうか。

衣食足りて 礼節を知る から程遠い。