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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 VS 獣の刻印 第9回

2017年05月23日 | 日記

8.十字架によって安息日は不要になったのか?

 ほんとうに聖書上の安息日は土曜日なのでしょうか?もしかしたら、暦が途中で変わったのではないでしょうか?また、イエス様が十字架で亡くなられた後も、安息日を遵守することは、神様の戒めとして残り続けるのでしょうか。ここで、いくつかの国の曜日の呼び方を見ると、全て現在の土曜日を安息日と呼んでいることが分かります。

イタリヤで土曜日はSabbato(英語・Sabbathと同語)です。スペインではSabadoで、ポルトガルではSabbado、ロシヤではSabbota、そしてポーランドではSobotaです。これらの言葉は、すべて土曜日を安息日と呼んでいるのです。

ところで人類の歴史上、一度だけ、暦が改訂されたことがあります。しかしそれは、曜日を変えたのではありませんでした。それはどういう意味でしょうか?

1582年10月に、時の教皇グレゴリー13世が、それまで用いられていたユリウス暦、すなわちジュリアス・シーザーが作った暦を改定しました。それは太陽暦と地球の自転速度との間のずれを修正するために、それまでの暦に10日を加えたのです。そして1582年10月5日を10月15日に改定しました。その時、4日は木曜日でしたが、その次の日の金曜日を5日ではなく、15日にしたのです。そのため、日付は変わりましたが、曜日は変わることがありませんでした。

 聖書には、イエス様も安息日に教会へ行かれたと言われています。「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」(ルカ 4:16)。ここで「いつものように(いつもそうしてきたように)とありますが、これはイエス様が、ユダヤ人として当然守るべき習慣としてそうされただけではありませんでした。イエス様はご自分が亡くなられた30数年後のエルサレム神殿の崩壊や、世の終わりを意識しながら、「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである」(マタイ24:20,21)と言われました。イエス様は、十字架以降に起こる未来の艱難を語りながら、そこでも変わらずに「いつものように」安息日を遵守することの重要性を強調されました。聖書によれば、イエス様が復活し昇天された後も、使徒たちが安息日を遵守した記録が記されています。「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じ」(使徒行伝17:2)。パウロが安息日に会堂に行ったのは、ただ会堂に集まっているユダヤ人たちに伝道するためだけだったでしょうか?

 

次の聖書の箇所を見てみましょう。「そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」(使徒行伝16:12-14)。パウロがピリピへ行った時、そこは教会がない場所でした。そこで川のほとりで安息日に礼拝を捧げました。イエス様も安息日を守られ、使徒たちも安息日を守りました。中世宗教暗黒時代にも、本当の聖書的安息日を守っていたごく少数の教会やグループが、その信仰を受け継いで来ました。安息日は、天地創造以来、ずっと守り続けられ、新天新地においても守られるものです。「『わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地が わたしの前にながくとどまるように、 あなたの子孫と、あなたの名は ながくとどまる』と主は言われる。『新月ごとに、安息日ごとに、 すべての人はわが前に来て礼拝する』と主は言われる」(イザヤ 66:22,23)。