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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デイビット・カン講演 サムエルの経験 第5回 

2017年05月03日 | 日記

サムエルを召される

ハンナは、教会の真の神様の民を代表していて、本当の子供を神様からいただきたいと神様と格闘する人、その象徴であったわけです。ハンナは祈っていました。本当に神様に息子を与えて下さいと熱心な祈りを捧げていました。そして彼女が聖所で、教会で祈っていたら、祭司エリがそれを見て、ハンナは頭がおかしいと思ったわけです。自分の魂を注ぎだして、彼女は神様に熱心に祈りをささげていたわけですね。当時も今も、多くの人たちが聖所にやって来て、教会にやって来てお祈りをしますね。でもたいていのお祈りは、他の人と何ら変わりない普通のお祈りなんです。ある時には、ただの儀式的な形式的な祈りと化しています。それは本当の祈りではないですね。しかしハンナは、神様に心を注ぎ出して祈っていました。神様と格闘していたのです。ところがそういった様子は、大祭司エリにとっては狂信的に見えたのです。その状況を私たちの経験とあてはめてみて下さい。エリは彼女が酔っ払っているのではないかとさえ思ったのです。そしてその結果エリはハンナの所へ行って「どうして神の家であなたは酔っ払っているのだ」、と彼女を叱ったわけです。サムエル記上の1章10節11節をご覧ください。

「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。そして誓いを立てて言った、『万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません』。

 ハンナもまた教会に神様の霊が、聖霊が欠けているのを見ていました。そこで彼女は、神様から息子を授かったならば、教会の霊的指導者にしたいと願ったわけです。日本にもハンナのような人物がいますか?イスラエルの母、教会の回復を強く願っている人物、皆さんも教会のために祈っていますか?聖霊に満たされるべき指導者たちのために、皆さん祈っていますか?

その後彼女は、自分が身ごもっていることを知りました。その時から彼女は聖所に行くのを止めまして、祈りのうちに、サムエルという授かった子を彼女は懸命に育てました。何年かたちまして、まだ幼い子サムエルを聖所に連れて行き、そして聖所の働きに息子を捧げたわけです。ハンナの物語は皆さんもよくご存知だと思うのですけれど、サムエルがその後どうなったか、皆さんご存じのように、ある晩彼が寝ていたら「サムエル、サムエル」という声がしました。サムエルは飛び起きて大祭司エリの所にやって来まして、「私を呼ばれましたか?私はここにいますよ」、と言いました。「いや、私は呼んでいないよ」とエリは言いました。「あなたはまだ子供でしょう。何か変な声が聞こえるのか、何かありもしない声が聞こえてくるのか?まあ、とにかく戻って寝なさい」。そこでサムエルは自分の床に戻って寝たわけです。そしたら再び声が聞こえてきまして、「サムエル、サムエル」と呼ぶわけです。そこで飛び起きてエリの所へ行って、「今私を呼びましたか、私はここにおります」。「いや、私は呼んでいない」とエリは言うわけです。「頭がどうかしていないか、何かおかしな声が聞こえるのか、こんな真夜中に、他には誰もいないのだから、誰がお前を呼ぶんだ。私は呼ばなかったよ、何か頭の中がおかしなことになっていないか」と言うわけです。「まあ、戻って寝なさい」。そこでサムエルは再び床に戻って寝るわけです。三度目に神様は「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれました。サムエルは、再び飛び起きてエリの所に行って「私を呼びましたか」と言いました。どうしてサムエルはそういうことをしたのでしょうか?今まで、神様の声を直接聞いた人に彼は会ったことがなかったのです。大祭司もそういう人ではありませんでした。他の教師たちもラビたちも、神様の声を聞いたと言う人はいなかったのです。彼らは義の標準というのがよく分かっていなかったのです。神様の声、神様の言葉を聞いて理解するという、そういうお手本をサムエルは見たことがなかったのです。ですからよく分からなかったので、彼はエリの所に行くしかなかったのです。