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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

黙示録の獣、龍そして女  第1回

2017年05月29日 | 日記

1.恐るべき警告

私たちの時代に対する最も恐るべき警告が、黙示録14章9-10節に出てきます。

「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、おおよそ、獣とその像とを拝み(Worship、礼拝)、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる」。

 この言葉は、聖書の他の箇所に出てくる神様の愛とはあまりにも対照的で、凄まじい恐怖心さえ与えます。これは神様の憐みが、真理と愛を拒み続ける者たちから取り去られる時があるという事実を語っています。悪人に対する神様の審判は、憐みによっておよそ6千年間引き延ばされてきました。しかし、神様の権威に対する人類の反逆と罪が限界に達した時、神様はその罪悪を食い止めるために介入されるのです。

 私たちはここで、愛あふれる神様をそれほどまでに怒らせる罪について、一緒に見ていきましょう。先ほど述べた聖書の言葉を注意深く読んでみると、終末の時代には間違った判断をして、獣に忠誠を誓い従う人々が出てくることが分かります。結局、世界は二つのグループに分けられ、一つは真の神様を礼拝するグループ、もう一つは黙示録13章に出て来る獣を礼拝するグループです。全世界が二つに分けられる要素として、誰を礼拝するかという問題が深く関連しています。また「礼拝」という言葉は、宗教界でのみ使用される言葉です。そのため、神様を礼拝するグループだけでなく、獣を礼拝するグループにも宗教的な立場の人が中心にいることが分かります。

 

しかし、何が世界中の人たちを二つに分けるのでしょうか?使徒ヨハネは黙示録14章9-11節で、獣を礼拝する者たちを描写した後、12節で次のように言いました。「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。まさにこれが獣に従う者と、小羊に従う者を分ける明白な境界線です!

 全世界が二つに分けられる基準が、「神の戒めを守る」ことと深く関連していることに注目しなければなりません。使徒ヨハネは獣の刻印を受けない人々を説明する時、「神の戒めを守る」者たちと描写しています。また、神様の戒めを守らない人々には、神の激しい怒りが降り注ぐと言いました。これはローマ人への手紙6章16節で使徒パウロが語ったことと正確に一致しています。「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」。

最も真実な忠誠心は、従順という具体的な行為を通して表明されます。結局、この地球上の大多数の人々は神様の偉大な戒めに従わず、反キリストの偽の権威を受け入れることになるのです。全ての人は、個人的にどちらかを選ぶことになるのです。聖書は黙示録13章に登場する獣への礼拝問題に対する選択とは、最終的に生か死のどちらか一方を選ばなければならない決断であることをはっきり語っています。

しかし、実に不思議なことは、多くの現代の神学者たちが、獣の刻印やそれに関連する黙示録14章の警告を無視するか、おろそかにしていることです。黙示録の預言に出てくる深刻な警告の言葉を宣べ伝えない牧師たちによって、クリスチャンだけでなく、世界中の人々が神様の警告を聞くことができないのです。さらに、黙示録の預言の言葉は、単に初代のキリスト教会に送られた警告文として解釈されたため、現代にはあまり関係がない本と見なされています。また、どうしてなのか分かりませんが、黙示録を封じられた本として、黙示録という名前が持っている「啓示」という明確な意味さえも否定しているのです。しかし、この驚くべき警告を研究する人たちに対する約束が、黙示録の冒頭に記録されているということを決して見過ごしてはいけません。「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである」(黙示録1:3)。

 キリストとサタンの間で繰り広げられる最後の大闘争のシナリオを、黙示録を通して学ぶ前に、まず大闘争に参加する二人の戦士(キリストとサタン)について学びましょう。