その最中に行われたのが、文氏の年頭会見だ。大統領が入場する際には「拍手して出迎えるように」とアナウンスが流れたという。

「支持率が低下する中、“庶民派大統領”とアピールするため、異例ですが、自ら記者を指名する方式で行われました。海外メディアが座るエリアが決まっており、国内メディアと交互に当てていましたが、人民日報やワシントン・ポストの記者ばかり。日本の記者はなかなか指名されませんでした」(ソウル特派員)

 
文大統領は“韓国の鳩山由紀夫” ©共同通信社

 ところが、ハプニングが起きる。文氏がイギリス人の女性記者を指した際、前のめりで挙手していたNHKのソウル支局長が立ち上がり、回ってきたマイクを手に質問を始めたのだ。

「文氏は『アニアニ(違う違う)』と慌てていた。日韓関係に触れたくなかったのでしょう。大法院判決について政府の考えを問われると、文氏は5秒ほど考えこんだ後に、持論を語り出しました」(同前)

 そこで、飛び出したのが「日本政府は謙虚に」という発言だった

菅氏が激怒する秘書室長の投獄

文氏の頭にあるのは日本との関係改善ではなく、朴槿恵政権時代の不正を糾(ただ)す『積弊清算』、そして北朝鮮のことです」(同前)

「シンガポール大使に着任した李相徳氏が昨年1月、突然、帰任命令を受けました。朴槿恵政権で東北アジア局長だった人物です。慰安婦合意の実務責任者だったことが問題視されたと見られます。将来を嘱望されていましたが、今は閑職に追いやられている。昨年秋には、国政監査で駐日韓国大使館を訪れた与党議員が『親日派が残っている』と騒ぎ出し、国情院から派遣されていた参事官が更迭されるという一件もありました」(韓国外交部関係者)

 17年11月には、朴槿恵政権の“崔順実ゲート事件”に関連し、慰安婦合意に貢献した李丙琪・元大統領秘書室長が逮捕。実刑3年半の判決を受けている。

「李丙琪氏は駐日大使時代に菅氏との関係を深め、両者のホットラインもあって、慰安婦合意は実現しました。菅氏は今でも折に触れ、彼の話題を出して『李丙琪先生』と呼んでいる。その“先生”を投獄する文氏のやり方に菅氏は激怒しています」(官邸関係者)

 

文大統領の“理論的支柱”は「陰の朝鮮労働党員

 そんな文氏が“理論的支柱”と頼っていると言われるのが、韓明淑元首相の夫、朴聖焌氏だ。韓信大学教授で「陰の朝鮮労働党員」とも呼ばれる人物だという。

日本大使館前の慰安婦像 ©共同通信社

「彼はソウル大学の学生だった1968年、『統一革命党事件』で検挙されました統一革命党は北朝鮮の“主体思想”を指導理念とし、北朝鮮から資金提供と指示を受けた韓国の地下組織

今も『米国の傀儡(かいらい)で初代大統領になった李承晩よりも、日本統治時代にパルチザンとして抗日運動を行った金日成に正当性がある』と唱えており、文氏の“南北中心外交”を支えている。他にも“386世代”と呼ばれる学生時代、民主化運動に関わった親北左派の面々が文政権で影響力を行使しています」(前出・韓国外交部関係者)

 日韓関係が悪化の一途を辿る中、元旦に文氏が電話会談したのも、1910年の日韓併合に抵抗した「愛国志士」だった。その1人、今年100歳を迎えるイム・ウチョル氏には「3・1運動(日本からの独立運動)100周年だから感慨も一入(ひとしお)でしょう」と伝えている。年明けに来日していた韓日議連会長の姜昌一議員も小誌に「青瓦台は韓日問題よりも、3・1運動の100周年式典の準備で忙しい」と語る。

 元駐韓特命全権大使の武藤正敏氏の解説。

「文氏は日本にはそこまで関心がありません。徴用工問題にしても、対応策の検討は李洛淵首相に任せっ放し。こうした難しい問題こそ、大統領自身が指導力を発揮するべきなのに、逃げ続けているのです」

日本の政治家に見せる“八方美人”な態度

 南北融和に傾注し、日本への関心が薄いという文氏だが、実際に日本の政治家と対峙すると、こんな“八方美人”な態度を見せるという。12月14日、額賀福志郎元防衛相ら訪韓していた日本の日韓議連メンバー約10名と会談した。

手を繋いで軍事境界線を越える金正恩と文在寅 ©共同通信社

「文氏は出席予定ではなかったのですが、直前になって会うことになりました。青瓦台の長いテーブルで、約30分の会談が行われた。文氏は終始にこやかで、日本の議員1人ひとりと青瓦台のクリスマスツリーの前で2ショット写真を撮りました」(出席者)

 文氏の“八方美人”ぶりは、安倍首相との首脳会談でもたびたび見られる光景だ。首相周辺が明かす。

「金正恩との南北会談前には『拉致は伝えます。任せて欲しい』と伝えてきましたが、首相も『ころころ態度が変わるから信用できない』と嘆いていました。実際、徴用工判決についても、昨年2月の平昌五輪の頃は『国内は抑えます。合理的な判決になるでしょう』と調子の良いことを言っていましたが、9月の日韓首脳会談の際は『やはり厳しい状況になってきた』とトーンを変えてきたのです」