慰安婦問題を考える会

日本は世界から慰安婦問題で非難されていますが、その慰安婦問題はだどういうことで、どういう対応・対策をすべきか考えたい。

アメリカ・国連で活発化する中韓ロビー活動の実態ーこのままでは中韓の捏造歴史が世界中に広りかねない

2013-08-04 21:53:52 | 日記

アメリカ・国連で活発化する中韓ロビー活動の実態を解説 2013.08.01zakazaka

 アメリカ、国連を舞台に、年々激しさを増している中国や韓国のロビー活動について産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が解説する。

 * * *

 中国の対米工作の主体はまず在ワシントンの中国大使館である。アメリカ通の崔天凱大使や●(=登におおざと)洪波首席公使が米側の政府や議会を相手に活発なロビー活動を展開する。「安倍首相は危険なナショナリスト」などという反日プロパガンダ発信は日常の行事に近い。

 中国大使館は日本大使館と異なり、幹部がみな在米経験豊富でワシントンの政治メカニズムに精通している。特にアメリカ議会担当部門十数人は日本大使館の議会班の3~4倍の規模で、米側の議員や補佐官を訪中旅行に頻繁に招き、要人と引き合わせたり、歴史問題で議論を交わしたりしている。

 米国議会の諮問機関「米中経済安保調査委員会」の報告によると、2009年ごろから中国政府は国有企業の華為技術有限公司などとともにワシントンの大手ロビー企業「国際政府関係グループ」と契約し、年間30万ドルほどの報酬を払ってきた。また中国大使館は大手法律事務所の「ジョーンズ・デイ」と契約し、年間20万ドルほど支払った。いずれも米側の弁護士や元連邦議員を使い、中国側の主張を広める作業を委託したのだ。

 一方、韓国のロビー活動は全米約170万人の韓国系米人が母体となる。選挙権を持つ韓国系米人の動きには米側の議員たちも真剣な注意を向ける。彼らは本国政府の意向に忠実で、とくに反日となると団結する。

 主な組織では「ワシントン慰安婦問題連合(CCWI)」が知られる。下院の慰安婦決議でも活発に動いた。最近ではニュージャージー州などで慰安婦記念碑の設置を推進する「韓国系米人市民強化(KACE)」や「韓国系米人市民活動委員会(KACAC)」といった組織が目立ってきた。

 韓国パワーはさらに韓国系有権者の多いロサンゼルス近郊選挙区選出のエド・ロイス下院外交委員長を取り込み、5月に下院本会議で日本の「戦時の暴行」を非難する演説をさせたことでも知られる。

 米司法省への届け出によると、12年1月までの半年間に米国内でロビー活動やPR活動のために、中国側から計900万ドル(12組織)、韓国側から計1160万ドル(23組織)が支払われている。これらは氷山の一角だ。

 ひるがえって日本はどうか。政府や外務省は中国や韓国に一切反論しようとしない。このままでは中韓の捏造された歴史が世界中に広まってしまいかねない。

 ※SAPIO2013年8月号
1.もうじきしたら韓国経済は破綻する。そして、ロビー活動費が無くなることを願いましょう。
 
 
【断末魔の韓国経済】通貨スワップで中国にすがる韓国の意味不明 日韓は「どうでもいい話」

2013.08.03ZAKZAK


 韓国経済は、朴槿恵(パク・クネ)政権発足後に、「中国」に対する依存を深めていっている。

 2011年10月、欧州金融危機が深刻化して「3度目の通貨危機」におびえた韓国は、日本に日韓通貨スワップの限度額を、30億ドル(約2947億円)から300億ドルに拡大するよう要請した。12年10月に限度額拡大の時限措置が終了し、さらに13年7月に日韓通貨スワップ自体が協定満期となり、終了した。

 (一応、いまだチェンマイ・イニシアチブに基づく双方向スワップ、日本側100億ドル、韓国側50億ドルは残っている。期限は15年2月)

 麻生太郎副総理兼財務相は、期限を迎えた韓国との通貨スワップを延長しなかったことについて「韓国から何回か、これまでスワップの要請があり、要請に応じて応えてきた。今回は要請がなかったから。それだけ」と語っているが、まさに「それだけ」の問題だ。

 日本にとって、韓国との通貨スワップなど「どうでもいい話」である。何しろ、世界最大の対外純資産国、お金持ち国家であるわが国が通貨危機に陥る可能性はゼロだ。

 それに対し、国民資本の蓄積が不十分な韓国は、わずかなきっかけで通貨危機に陥る、極めてナイーブな国家である。97年のアジア通貨危機、08年のリーマン・ショックと、2度も通貨暴落の憂き目に会った韓国にとって、日本との通貨スワップ枠の拡大は、通貨危機に対する「抑止力」としての効果があったわけだ。
 
日本側が淡々と対韓通貨スワップを終了していくなか、中国と韓国は双方のスワップ協定(中国側が3600億元=約5兆7700億円)を3年間延長した(13年6月)。中国が通貨危機に陥る可能性は極めて低いため、スワップ協定延長の目的は「韓国の通貨危機を抑止する」こと以外には考えられない。

 とはいえ、上記の中韓通貨スワップも、現実には有名無実化している。

 中国自体が「影の銀行(シャドーバンキング)」「理財商品」などの問題で、金融が混乱に陥りつつあるのに加え、そもそも、人民元はハードカレンシー(=国際決済通貨)ですらない。国際市場で他国通貨と容易に両替することができないローカル通貨と通貨スワップを締結して、韓国にとって何の意味があるのかさっぱりわからない。

 しかも、相手は中国である。実際に韓国が次なる通貨危機に見舞われたとき、中国はいつも通り、何だかんだと強弁しつつ、暴落する韓国ウォンと人民元の交換(スワップ)を拒否するだろう。

 過去の歴史において、1000年を超える期間、中国の属国でいたにも関わらず、韓国はいまだに宗主国のやり方を理解していないのである。おめでたいとしか、言いようがない。

 ■三橋貴明(みつはし・たかあき) 1969年、熊本県生まれ。経済評論家、中小企業診断士。大学卒業後、外資系IT業界数社に勤務。現在は株式会社「三橋貴明」事務所社長。著書に「目覚めよ! 日本経済と国防の教科書」(中経出版)、「日本大復活の真相」(あさ出版)、「いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由」(ワック)など多数。

米軍が慰安婦の捕虜達に尋問した一部始終ー慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を

2013-08-01 10:25:05 | 日記

2013年
07月24日
19:31

少尉さんの日記

従軍慰安婦が高給取りの戦時売春婦である証拠の「尋問調書」は本物だった事が発覚!

 


以前より慰安婦問題に関して様々な事を調べているテキサス親父が最近発見したネット上に上がっている1944年に報告された「尋問調書」に注目した。しかし、ネット上にあ-る物の中には、捏造された物が多く存在し、その米軍の報告書とされている物が本物であるかという疑問を持った。

そこで、以前も竹島問題で「マッカーサー電文」が本物であるかどうかの確認を依頼したワシントンDC郊外にある「国立公文書館」へ問い合わせた。約2週間後にそこから一通の手紙がテキサス親父に届いた。その中には、そのネット上に上がっていた内容と同じ物の原本のコピーが同封され、間違いなく米軍が慰安婦の捕虜達に尋問した一部始終が記載されている書類だった。この中には、次のようなことが書いてあった。

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・待ちへ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。

さらにこの尋問をした米兵の主観として「慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準でも綺麗な女達ではない」と書かれている。要するに慰安婦は「不細工」だったと言う事が書かれている。

この書類はこちらからご覧頂けます。→ http://texas-daddy.com/comfortwomen.html

ちょっとアレなニュース
http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-3336.html
 
 

 アメリカ戦時情報局
心理作戦班
アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属
APO689

戦時
日本人
捕虜尋問報告
第49号

尋問場所:レド捕虜収容所
尋問期間:1944年8月20日~9月10日
報告年月日 1944年10月1日
報告者 T/3 
アレックス・ヨリチ

 

捕虜 朝鮮:人慰安婦20名
捕獲日:1944年8月10日
収容所到着日:1944年8月15日

はじめに
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対す る尋問から得た情報に基づくものである。

この報告は、これら朝鮮;人「慰安婦」を募集するために日本軍が用いた方法、慰安婦の生活および労働の条件、日本軍兵士に対する慰安婦の関係と反応、軍 事情勢についての慰安婦の理解程度を示している。

「慰安婦」とは、将兵のために日本軍に所属している売春婦、つまり「追軍売春婦」にほかならない。「慰安婦」という用語は、日本軍特有のものである。この 報告以外にも、日本軍にとって戦闘の必要のある場所ではどこにでも「慰安婦」が存在してきたことを示す報告がある。しかし、この報告は、日本軍によって徴 集され、かつ、ビルマ駐留日本軍に所属している朝鮮;人「慰安婦」だけについて述べるものである。日本は、1942年にこれらの女性およそ703名を海上 輸送したと伝えられている。

募 集;

1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を募集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことば は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2~3百円の前渡金を受け取った。

これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。

 
 
これらの女性およそ800人が、このようにして徴集され、1942年8月20日ごろ、「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。彼女たちは、8人ないし22人の集団でやって来た。彼女たちは、ここ からビルマの諸地方に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。結局、これらの集団のうちの四つがミッチナ付近に到達した。それ らの集団は、キョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤであった。キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチナ駐屯部隊長の丸山大 佐が、彼の名前に似た名称であることに異議を唱えたため、慰安婦たちが到着したさいに改称された。

性 質;

尋問により判明したところでは、平均的な朝鮮;人慰安婦は25歳くらいで、無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準から いっても白人的基準からいっても、美人ではない。 とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。自分の 「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことについても話したがらない。捕虜としてミッチナやレドのアメリカ兵から親切な扱いを受けた ために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている。

生活および労働の環境;

ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営ん だ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビル マ生活2年目についてとくにいえることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの 暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うこ とができた。
彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。

優先順位料金等;

 慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、規則は厳格に実施された。利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および 特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。
 
 

 1.兵

午前10時~午後5時

 1.5 円

20~30分

 2.下士官

午後5時~午後9時

 3 円

30~40分

 3.将校

午後9時~午後12時

 5 円

30~40分

以上は中部ビルマにおける平均的料金であった。将校は20円で泊まることも認められていた。ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで 引き下げた。

利用日割り当て表;

兵士たちは、慰安所が混んでいるとしばしば不満を訴えた。規定時間外利用については、軍がきわめて厳しい態度をとっていたので、多くの場合、彼らは用を足さずに引き揚げなければならなかった。この問題を解決するため、軍は各部隊のために特定日を設けた。その日の要員として、通常当該部隊員二名が、隊員の確 認のために慰安所に配置された。秩序を保つため、監視任務の憲兵も見まわった。第18師団がメイミョーに駐留したさい、各部隊のために「キョウエイ」慰安 所が使用した利用日割表は、次のとおりである。

日曜日――第18師団司令部。
月曜日――騎兵隊
火曜日――工兵隊
水曜日――休業日、定例健康診断
木曜日――衛生隊
金曜日――山砲兵隊
土曜日――輜重隊

 

将校は週に夜7回利用することが認められていた。慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その 結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。
  兵士たちは慰安所にやって来て、料金を支払い、厚紙でこしらえた約2インチ四方の利用券を買ったが、それには左側に料金額、右側に慰安所の名称が書かれて いた。次に、それぞれの兵士の所属と階級が確認され、そののちに兵士は「列をつくって順番を待った」。慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。

報酬および生活状態

「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていたこれ は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。
 1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されてお り、

 
 
また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気 配りすように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離された のち、最終的には病院に送られた。軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえな くなることはなかったという点が注目される。
 
日本の軍人に対する反応;

慰安婦と日本軍将兵との関係において、およそ重要 な人物としては、二人の名前が尋問から浮かび上がっただけである。それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、増援部隊を率いて来た水上少将であった。 両者の性格は正反対であった。前者は、冷酷かつ利己的な嫌悪すべき人物で、部下に対してまったく思いやりがなかったが、後者は、人格のすぐれた心のやさし い人物であり、またりっぱな軍人で、彼のもとで仕事をする人たちに対してこの上ない思いやりをもっていた。大佐は慰安所の常連であったのに対し、後者が慰 安所にやって来たという話は聞かなかった。ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまったものと思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させること ができなかったという理由から自決した。

兵士たちの反応;

慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいる ところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうで ある。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった。
すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのと ころへやって来る将校と兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に向かうことになっている連中であった。しかし、同様に彼女た ちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった慰 安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか、「そのような、女にふさわしくないことを話題にす るな、といつも叱ったし、そのような事柄については丸山大佐でさえ、酒に酔っているときでも決して話さなかった」。
しばしば兵士たちは、故郷か らの雑誌、手紙、新聞を受け取るのがどれほど楽しみであるかを語った。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などが いっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした。口紅や下駄は、どう考えても女性向きのものであり、慰安婦たちには、故郷の人びとがなぜそのような 品物を送ってくるのか理解できなかった。彼女たちは、送り主にしてみれば、自分自身つまり「本来の女性」を心に描くことしかできなかったのであろうと推測した。
 
 
軍事情勢に対する反応;

慰安婦たちは、彼女たちが退却し捕虜になる時点まで、さらにはその時点においても、ミッチナ周辺の軍事情勢については、ほとんど何も知らなかったようで ある。しかし、注目に値する若干の情報がある。

「ミッチナおよび同地の滑走路に対する最初の攻撃で、約200名の日本兵が戦死し、同市の防衛要員は200名程度になった。弾薬量はきわめて少なかっ た。」
「丸山大佐は部下を散開させた。その後数日間、敵は、いたる所で当てずっぽうに射撃していた。これという特定の対象を標的にしているようには思われなかっ たから、むだ撃ちであった。これに反して、日本兵は、一度に一発、それも間違いなく命中すると判断したときにのみ撃つように命令されていた。」 

ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとし た。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである。その後、第56歩 兵団の水上少将がニ箇連隊〔小隊〕以上の増援部隊を率いて来たものの、それをもってしても、ミッチナを防衛することはできなかった。
 慰安婦たち の一致した言によれば、連合国軍による爆撃は度肝を抜くほど熾烈であり、そのため、彼女たちは最後の時期の大部分を蛸壺〔避難壕〕のなかで過ごしたそうで ある。そのような状況のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。慰安所が爆撃され、慰安婦数名が負傷して死亡した。
 
 
宣 伝;

慰安婦たちは、使用されていた反日宣伝リーフレットのことは、ほとんど何も知らなかった。慰安婦たちは兵士が手にしていたリーフレットを2、3見たことは あったが、それは日本語で書かれていたし、兵士は彼女たちを相手にそれについて決して話そうとはしなかったので、内容を理解できた慰安婦はほとんどいな かった。一人の慰安婦が丸山大佐についてのリーフレット(それはどうやらミッチナ駐屯部隊へのアピールだったようであるが)のことうを覚えていたが、しか し、彼女はそれを信じなかった。兵士がリーフレットのことを話しあっているのを聞いた慰安婦も何人かいたが、彼女たちたまたま耳にしたからといって、具体 的な話を聞くことはなかった。しかし、興味深い点としては、ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べたことが注目される。

要 望;

慰安婦のなかで、ミッチナで使用された拡声器による放送を聞いた者は誰もいなかったようだが、彼女たちは、兵士が「ラジオ放送」のことを話しているのを 確かに聞いた。
  彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の 慰安婦の生命が危険になるからである。しかし、慰安婦たちは、自分たちが捕虜になったという事実を報じるリーフレットを朝鮮で計画されていると盂家に活用 するのは名案であろうと、確かに考えたのである。

何とかならないのか、米の慰安婦像問題ー米の弁護士団を雇って対抗させるのはどうでしょう

2013-08-01 09:10:13 | 日記

米に「慰安婦像」、韓国系住民の政治力が背景

2013年8月1日07時38分  読売新聞)
 

 【ロサンゼルス=水野哲也、ニューヨーク=加藤賢治】米西海岸ロサンゼルス近郊のグレンデール市で30日、いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像の除幕式が行われた。

 

 米国各地で近年、記念碑の設置や慰安婦を巡る議会決議が相次いでいる。韓国系団体は同様の取り組みを各地に広める構えで、日本政府は対応に苦慮している。

 背景には、韓国系住民の組織的な活動と政治力の高まりがある。今回の少女像を設置した「カリフォルニア韓米フォーラム」は、2007年に米下院が日本に公式な謝罪を求める決議を採択したのを機に設立され、東部の団体と連携している。

 米国内の韓国系住民は、ニューヨークやロサンゼルスなど大都市の郊外に集中して住む傾向があり、献金や集票を通じ、地方議会も含めた議員に接近している。

 07年の米下院決議を主導したのは韓国、中国系が多いカリフォルニア州の日系議員。ニューヨーク州上院が今年1月に採択した慰安婦関連の決議案を提出したトニー・アベラ議員(民主)によると、原文作成には韓国系の2団体が関わった。

1.韓国は金を使って政治力を使って反日運動を展開している。
2.これに対抗するために日本の弁護を担当する優秀な言語師団を結成して対抗してはどうでしょう。