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泣き笑い介護40年講談師田辺鶴瑛

2018-04-20 09:11:50 | 問題
1955年函館生まれの田辺(本名土あか実)さんは大学受験失敗、おしゃれで美人の母の介護、19才で亡くなり心の空白を埋めるため、インド、インドネシア、沖縄の24才の旅、、本屋で「マンハッタン自殺未遂」草間彌生さんの本を買い、「水星の黄門一晩いくら」分からないから、草間さんんを訪ね、函館弁で話して言われ、あがって話せず、荒井由美さんの歌を唄って25才で入門、女優を目指したが挫折、夫と出会った。

始めの夫は独身主義で、絵を教えていたり大変まじめな方で、一緒に生活するようになり、1週間生活して、夫から、介護の母がいるが結婚してと言われ、介護の経験があるから喜んでしますと26才で結婚、28歳で長女出産子育てで悩み、義母の介護、いい嫁でありたいの願いから、甘いものが好きだが、無理やり直そうと玄米食を食べさせ、疲れて休むと夫がやってくれる。

口も利かない義理の父母だが、義父が倒れ在宅介護、愛人からも見放された義父は「嫁は泥棒、助けてくれ」と叫び、襖に穴をあける。目薬一日に56回刺す。それも冷蔵庫で冷えた物を、目薬ないから買ってくるね、直ぐ息を切らして目薬を渡す。早大建築設計科出身で素晴らし仕事したんだねと会話を楽しむコツを覚えた。すると不思議、相手の喜ぶ世界へと入り、死んだらあの世に行くねと、電話ボックスに閉じ込められた義父の気持ちが分かるようになった。

3年の介護で義父は亡くなり、口も利かない義母は涙を浮かべて義父にありがとうの言葉を言った。夫婦の世界は分からないものだね。義母も亡くなり、講談師田辺一鶴が夢枕に表れ、夫は介護で社交性がないからいいよの返事で、H2年に入門、3年に見習い、7年に昇進「鶴英」、15年真打、18年ニュヨーク・ハンガリーで公演、介護講談と。

やはり介護の基本は、相手が喜ぶ会話にあると、本音を話して笑える会話がお互いのストレスが発散し、いい方向に向かうと思う・・・。


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