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「創造=発明」された「歴史」

 明治初期、西欧諸国で開催された万国博覧会は、当時の日本にとって「国策(殖産興業)と美術という制度の整備が共に行われた場」*01だった、と八束はじめさんは指摘します。そして文化-制度空間の整序と同時に必要とされたのは、西洋と同じテーブルにのせるために個々の作品を位置づける「歴史」化の作業*01でした。
 
フランスの哲学者ミシェル・フーコーさんが「歴史が出現した場所、それは十九世紀ヨーロッパであった」*02と述べているように、いま私たちが持つ「歴史」という概念も、実はヨーロッパで十八世紀末から十九世紀初めにかけて出来上がったものでした。我が国で「歴史」化が始まる一世紀ほど前のことです。
 
しかしながら明治以降、西洋から押し寄せた様々な文物に合わせて再コード化を余儀なくされたこの国では、この彼我を隔てる一世紀の諸変化は過去の数世紀に匹敵した*01と八束さんはいいます。移入は遅れた分だけ凝集されねばならず、明治とは歴史を構成する意志に充満された時期であった、というのです。
 
アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステインさんによれば、19世紀に急速に発展した歴史学は「国民」を形成するための「ナショナリズム」装置だった*03といいます。日本に押し寄せた様々な文物のカテゴリーの、それぞれの「歴史」化を通して、それらを囲い込む「日本」という枠組が構成されたのです。「美術」や「建築」とその歴史は、「国民」や「国土」を、そしてその先に「日本」を-相互的かつ可逆的に-生産する装置*01だったのです。
 
西欧文化の翻訳であった「美術」や「建築」も、「歴史」を与えられることではじめて「美術」となり「建築」となった、と八束さんはいいます。つまり「建築史」は「建築」の「歴史」を記述するだけでなく、それを生み出す装置でもあった*01のです。
 
このようにして明治初期の日本では、岡倉天心が「日本美術史」を、伊東忠太が「日本建築史」を、各々「創造=発明」*01したのです。

 

 
UN DIALOGO SOBRE EL PODER Y OTRAS CONVERSACIONES (En papel)
MICHEL FOUCAULT , ALIANZA EDITORIAL, 2012

01思想としての日本近代建築八束はじめ 岩波書店 2005.06.28
02:ミシェル・フーコー思考集成/蓮實重彦・渡辺守章 監修/筑摩書房 1993-2001
*03:入門・世界システム分析/イマニュエル・ウォーラーステイン/山下範久訳/藤原書店 2006

 

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