北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

豊平恒一さん「満蒙開拓団をかたる」

2012-06-24 | 平和
 いしかわ教育総研第10回公開研究会が珠洲市で開催された。
 交流集会に先立ち、午前中はフィールドワーク。市内の忠魂碑の視察である。

 飯田町春日神社境内・左奥の小高いところに2つの慰霊碑がある。一つは日清、日露戦争までの戦死者を慰霊する忠魂碑。もう一つは道路を挟んで向かいにあるあみだ山にあった忠魂碑を1994年に移設した報国任盡忠碑である。
 報国任盡忠碑は太平洋戦争の戦死者を慰霊する碑であるが、なんと横には大砲が・・・。戦時中、あみだ山に据えられていたものだという。
 珠洲市内に大砲が据えられていたことも、そして今日まで残されていたことも知らなかった。


 続いて野々江町の慰霊塔へ。
  
 金沢市の護国神社境内にある大東亜聖戦大碑よりはやや劣るが、なっと立派なことか。

 そして外浦・馬緤に移動し「西海分村開拓者慰霊碑」へ。

 午後は、「平和教育」交流集会。

 教育現場の平和教育の取り組みの報告を受けたあと、豊平恒一さん(87歳)を招いての講演会である。
 満蒙開拓時代、戦争末期の兵隊時代、そして抑留生活、さらに1991年、中国残留孤児となった妹さんとの再開にいたるまでの苦難の生活を聞かせてもらった。
 先日紹介した「西海村満州開拓誌」に開拓団の全体像は詳し記載されているが、当然ながら一人ひとりに固有の体験がある。豊平さんしか語れない歴史がある。
 図らずも大きな歴史の中で加害の立場に経ちつつも、その一方で国策の犠牲者でもある。淡々とではあるが、紙一重の生死の境目を何度もく潜り抜けてきた人生は想像を絶するものがある。
 87歳の今日に至り、今なお健康で農作業に精を出しておられる姿にただただ敬服する。

 西海村開拓団の帰国者で、今日生存されている方は2人とのこと。あらためて戦争体験を継承する大切さも痛感した集会であった。

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