野党の選挙態勢の遅れにつけ込んだ安倍首相の衆議院解散、総選挙も残すところ8日間。
目まぐるしい政局の展開は、多くの有権者の関心を惹き付ける劇場型選挙といった様相だったが、ここにきて刺激過剰の疲れが出てきたような・・・
そもそもなんでこんな解散劇に至ったのか。
国難やら消費税増税分の使途変更などを急きょ解散の大義に仕立て上げたが、実態はモリかけ疑惑隠し解散であることはあらためて指摘するまでもない。
問題は、なぜそんなわがままな理由で「国権の最高機関」を構成する衆議院を解散できるのかである。
一般的には解散は「首相の専権事項」だと言われている。
しかし、これは正確な表現ではない。
少々理屈をこねると、衆議院の解散は日本国憲法第7条三で天皇の国事行為とされている。
同じく「国会議員の総選挙の施行を公示すること。」も第7条四で天皇の国事行為である。
もちろん国権に関する権能を有しない天皇が勝手に衆議院の解散や総選挙の公示を行うことはできないわけで、第7条で「内閣の助言と承認により」行なうとされている(第7条)。
日本国憲法上は「首相の専権事項」ではなく「内閣という合議機関の権限」である。
ただし解散に反対する閣僚がいても「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」(日本国憲法第68条2項)から、事実上、首相が解散を決めることになるのだが、少なくとも閣僚は罷免されるまでは「ちょっと待った!この解散はダメ」ということができる。
総理にお任せではいけないのだ。
野田聖子総務大臣も河野太郎外務大臣も首相にモノ申すかのような雰囲気で入閣したが、結局こんな安倍総理のわがまま解散に対して一言も言わなかったことは確認しておく必要がある。
いや、全閣僚、仕事人のはずだったのだから「まだ仕事してませんけど・・・」くらいは言うべきだった。
いずれにしても解散が「首相の専権事項」ではないことは現在の日本国憲法上は明らかで、このことは自民党もわかっているはず。
自民党改憲草案第54条1項では「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」とわざわざ明記している。
「伝家の宝刀」でもなんでもない首相の解散権だが、こんなことを許しているともっと大変なことが起こるとぞ!と指摘しているのは片山善博元総務大臣だ(「世界」2017年11月号)。
あらためて日本国憲法第7条をみると、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」として下記事項が列挙されている。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
例えば憲法改正は憲法第96条の規定に基づき国会両院の発議、国民投票などの手続きを経て、天皇の国事行為となる。
国会の召集は、同じく第52条から54条の規定に基づいて行なう。
大赦、特赦なども恩赦法に根拠がある。
「三 衆議院を解散すること。」についても、
日本国憲法は第69条で、
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」と定めている。
衆議院解散だけ、第69条の事実がなくても、時の内閣が閣議で決めればOK!とするのはおかしい。
まして「首相の専権事項」などと解釈するのはもっとおかしい。
片山氏は、天皇の国事行為にこんな非常識な解釈の余地があるなら、憲法改正や法律の改正も「内閣の助言」一発で可能という珍説が登場する余地もあるのではないかと危惧する。
安保法制定の際の憲法解釈変更などをみていると、冗談が冗談で済まなくなるとの指摘は、私も杞憂ではないと思う。
なお、最高裁は第96条を経ない衆議院の解散について「高度の政治性」があるからと憲法判断を避けている。
片山氏は、今回の解散はとても「高度の政治性」があるとは思えない、姑息で人を子馬鹿にした「低度の政治性」しかないのでないかと指摘し、今回の解散で「失職する議員の誰か、訴訟を提起してみないか」と締めくくっている。
こんなわがまま解散で吹っ飛ぶ衆議院も軽いものだが、こんなわがまま解散を許すようでは最高裁もなんと軽いことか。
いや、なにより憲法が軽く扱われているわけで、その裏返しで独裁政治が浸透してきていることを忘れてはならない。
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